第4話
発見が早かった事も幸いし、母は今は健康元気に過ごしている。
母が一昨年脳梗塞になった時も、昨年腰の骨折で入院した時もどっちも救急車を手配しての緊急搬送だった。上二人にも連絡した。
そりゃ、多少は期待したけどさ。
特にどうって言う反応を示してくれなかった。
一緒に住んでいた私はそれまでの長い年月うまくいかなかったことやもっと優しくできたんじゃないかとか後悔とかもっと色んなところに連れてってあげれば良かったとかグルグルと心の中を駆け巡ってやるせない気持ちや言いようのない悲しみに暮れて家で涙が止まらなくなったり、人知れず誰もいない公園で絶叫して胸を圧迫する言いようのない何かを吐き出したりした。
絶叫はともかくとして、涙を流して泣くと不安や行き場のない後悔や一人の切なさを緩和してくれたように思う。いわゆるデトックスというものだろうけど、これはいまになって思うとストレス緩和にお勧めできると実感している。行き詰まったら思い切り泣いてみるのも良いだろう。
現実社会の、正解なこと正しいことが正しいのかと言うと、むしろ間違っていることが正解だったりすることもある。
言葉では言い表せないけど陳腐な言葉で言えば、人の数だけ真実がある。それぞれの人に見えていることが、その人にとっての世界で客観的に間違っていたとしても、それを教える事は難しいし、教えることに意味があるのかも分からない。
最近食欲がない気がする。というより食欲そのもが実感できない。
特に何か食べたいと言うものはないけれど、なんとなく野菜を食べなければいけないな、といった漠然とした意思を感じたりはするのだが、これといって何の野菜を食べたいのか分からない。
コーヒーを飲みたいような気がして飲んでみたりするんだけど、おいしいのかどうかもちょっと分からなくなっていた。
一時期はコーヒー屋さんでアルバイトをする位大好きだったけれど、今はただ習慣として飲んでいるだけだ。ストレスで味覚がおかしくなることがあると聞くけれど、そういうのとはまたちょっと違う気がする。
そんなこと言っても、特別に美味しいコーヒーを飲めば美味しいと言うだろう。例えば、私のために誰かが淹れてくれたコーヒーとか……
私はまあ、そんなやつ。
などと事を言いつつも何も食べてないと言うわけではなくて、食べなくちゃと思ってバナナを食べたりフランスパンをかじったりヨーグルトを食べたりと、なんとなく体に良いような、そうでもない様なものを食べている。
以前はといえば、一時期ハマったお気に入りのパン屋さんで予約をして、高台の公園で家で淹れてきた美味しい豆のコーヒーと一緒にクリームパンを食べたりするのが大好きだった。それが楽しみで、考えるだけでワクワクして行動したりしたけど、正直今は何も感じない。
日々の中で、何が楽しいかと言えば金曜日の夜23時からやっている葬送のフリーレンを見ることぐらいだ。YouTubeやネットフリックスでいろいろ見たりする人もいると言うけど、私はリアルタイムから外れたものを見るのは何となく不安になって息が苦しくなってしまう。でも誰かと繋がっていたいというのとは少し違うかな。
リアルタイムでやってるものを見ているというのはなんとなく時間感覚を正しく敷かれているようで、安心するのだ。
そもそもただでさえ時間や空間を音や映像で埋めてしまうと、ウヤムヤのうちに人生を消費している恐怖感を覚える。それはスマホやテレビを消した時、急に通常の時間軸に戻ったという違和感を感じるからだ。時間経過の感覚が明らかに変わるのを感じるし、気がつくといきなり1日が終わってたりする。
時間が経過するのを恐ろしく感じる症状には名前があるということを最近知った。名前があるということは、少なからずそう感じている人間がいるということだ。名称は「クロノフォビア」というそうだ。
そういえば、今日7月9日は友人の誕生日だ。随分とあってはいないが、彼はふざけてるようで、根がムヤミに真面目な人だ。もう少し肩の力を抜いて生きたら君の人生上手くいくよ〜と言ってやりたい。まあお前が言うな! て話なのだけれど。
ともかく今日くらいは憂いを忘れて、自分を楽しませてあげても良いんじゃない?
誕生日おめでとう! 今度会った時に生ビールでもおごるよ。
【つづく】
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