第3話

 なんというか、私は前世でのカルマを一つ解消できたような気がする。


 それは、家族のわだかまりや恨みや憎しみや怒りといったものが、いかに自分もそして他人を蝕んでいくかと言うことにようやく気づいたからだ。

 

 最初に言って置くけど、これはもちろん私の主観だ。どんな感情だって、当人とそれ以外の人間にはいわゆるマリアナ海溝のような隔たりがある。


 ANIは母への怒りと憎しみ、そして恨みといったものに縛られている。

今思えば完全に見当違いのおかしなものではあるのだが、当時は私も気づかなかった。


 ANEは未だに母への恨みを。もちろんこれも客観的に見れば全く以て逆恨みなのだが、本人からすればもっともっと根強いというか、子供の頃からの記憶と結びついているので、何十年も使い込んだ鍋の底の焼きついた炭のようなものになっており、それがこびりつき、もはやこそぎおとす術が見つからない。


 この変なイニシャル表記はなんとなく言語化視覚化するのに抵抗あったからやってみだけど……

 まあ、別に良いか。良いよね。


 私もどこかでずっと母のことに怒りを感じていたことがあった。でもよくよく考えてみると、私を本当に苦しめ攻め苛んだのは、兄と姉と母との『関係性』だったと唐突に気づいた。

唐突と言っても思い返せばきっかけはあったのだけど、その話はまた今度。


 もしも兄と姉のことが私に関与せず、全くのノーカウントとするのであれば私とハハの関係と言うのは、普通の一般家庭のわだかまり程度のものだったはずだ。

ハズだったというか完全にそう。


 今となってはそのことが分かったと言うだけで、私は彼らの怒りや憎しみ恨みといったループからは外れたところにいる。結果的に、二人とは疎遠になった。


 「でもほんとに偉いと思います。お母さんもあなたが一緒にいてくれてとても嬉しいと思いますよ」


 私と母の関係性を見て、そんな言葉をかけてくれる人もいる。

 私は答えた。

 「上の2人が逃げちゃいましたからね。私はただ逃げ遅れただけかもしれません」


 我ながらうまいことを言う。でも違和感がある。


これはきっと本心ではない。なんとなく現実的に、みんなが話す言葉を聞いてそう答えるのが何かふさわしいというか正しいんじゃないかと思ってるから。


 でも、本心なんて案外自分でも分からないものじゃないかな? 


奇しくも、と言うわけではないけれど、その場にいた2人(仮にAさんとBさんと呼称します)、Aさんは母親を介護施設に入れて10年、そしてBさんは最近入所を決め、つい先日入所したと言っていた。

 自分たちがしたことに多少の後ろめたさもあるみたいで……だからきっと他の人にもおんなじようにしてもらわないと罪悪感が消えないのだろう。だからと言って私が偉いわけでもなんでもない。 


 施設に会いに行くたびに本当は家で見てあげる……べきだったんじゃないかなってBさんは気にしていたけれどAさんは「そういう時期もあったけど今は何も感じない」。そう言っていた。


 「会わなくなったから」「物理的に距離が空いたから心理的にも余裕ができた」。


 なるほど、そういうふうに思っているんだなと考えると、うちの兄姉が母に対してはまさにそれだ、と共感した。


【つづく】

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