第26話 風邪②

「はい、どうぞ」


 ソファの上に座ったわたしの目の前のテーブルに、ユキミさんは温かそうなお粥を置いてくれる。

 どうやらたまご粥のようで、小口切りにされたネギがトッピングされていた。


「ありがとう、ユキミさん……」

「お気になさらないでください。食べられそうですか?」


 頷きかけたところで、わたしの頭の中にふっと考えが浮かぶ。


 恋人同士は、確か……ご飯を、「あーん」で食べさせ合うのでは、なかっただろうか!?


 何も言わないでいるわたしに、ユキミさんは少し心配そうに首を傾げた。


「ええと……やっぱり食欲、そんなにありませんでしたか?」

「あ、その、違くて……!」

「違うんですか?」

「その…………わ、わたし、ユキミさんに……『あーん』を、してもらいたいと、いうか……」


 恥ずかしくて、最後の方が小声になってしまう。

 ユキミさんは目を見張って数秒固まってから、ゆっくりと頷いた。


「わかり、ました……ええと、そうしたら……」


 ユキミさんはわたしの隣に腰掛けて、銀色のスプーンを持つとお粥をそっとすくう。

 それから、わたしの口元へとそれを差し出した。


「どうぞ、サク」

「ありがとう……! ふうー、ふうー……」


 わたしは息を吹きかけて少し冷ましてから、ぱくっとお粥を食べてみる。

 優しい味わいが口の中いっぱいに広がった。

 風邪による相乗効果か、お粥がすごく美味しい……!


「美味しいよ、ユキミさん……!」

「本当ですか? ウイルス終焉の呪いをしっかり込めた甲斐がありました」

「呪いが、美味しさの秘訣!?」


 目を丸くするわたしに、ユキミさんはくすりと笑ってから、またお粥をすくってくれる。


「美味しい〜……」

「よかったです。そういえば俺も味見したんですが、久しぶりにつくった割には上手くできた気がします」


 ユキミさんはそう言って微笑むと、またお粥を差し出してくれた。

 わたしはもぐもぐ食べながら、ふと思う。

 わたしばかり、「あーん」をされていて……バランスが、悪いのではないだろうか!?


「あ、あの、ユキミさん……!」

「どうしかしましたか、サク?」

「その、スプーン、ちょっと貸してもらってもいい?」

「あ、自分で食べたかったですか? いいですよ」


 ユキミさんはちょっぴり残念そうな顔をしながら、わたしにスプーンを渡してくれる。

 わたしは、スプーンでお粥を一すくいすると、ユキミさんへと差し出した。


「はい、あーん!」


 ユキミさんは目を見張ると、一瞬にして顔を真っ赤にする。


「サ、サク……何というかさっきから、破壊力が高すぎて困ります……」

「は、破壊力……!? わ、わたし、変なことしちゃったかな……?」


 しゅんとなるわたしに、ユキミさんは「いや、違います!」と首を横に振る。


「そのですね、要は……いつもに増して、サクが可愛すぎるということです……!」

「えっ、ええ〜!? そういうこと!?」

「そうなんです! 本当に、俺の前でしかそういうことしたらだめですよ……? サクは途轍もなく可愛いんですから、もっと自覚を持ってください……」


 ユキミさんの言葉に、わたしはまたしても熱が上昇した心地になりながら、取り敢えず頷きを返した。


「そ、それじゃあ……『あーん』は、いらない……?」

「いえ、めちゃめちゃに、いります」

「めちゃめちゃに、いるの〜!?」

「それはそうでしょう……だって可愛くて美しくて優しくて素敵で素晴らしくて最高な最愛の恋人から『あーん』をしてもらえるんですよ? 断る理由なんて一マイクロミリメートルもないでしょう?」

「思ったよりも、細かい単位!」


 わたしは照れつつ驚きながら、「それじゃ……あーん!」と言って、ユキミさんの口元にスプーンを持って行った。

 ユキミさんは、ぱくっと一口でお粥を食べる。


「ん……美味しいです」

「よかった〜! そうしたら、もう一回……う、いてて……」


 きーんと頭痛がして、わたしは左手で頭を押さえる。


「大丈夫ですか、サク?」

「うん、大丈夫……」

「風邪ですし、無理をしたらよくないですから、一旦『あーん』はおしまいにしましょう。その代わり、風邪が治ったら百連続『あーん』をお願いしますね」

「食べ物の方が、先になくなってしまいそう……!」


 びっくりするわたしに、ユキミさんはくすりと笑いながら「サクは今日は、俺に甘やかされる日にしてください」と言った。


 甘やかされる日……何だか、甘美な響きだ!

 甘やかされる、ということは……何かおねだりをしたら、叶えてもらえるのかもしれない。


 何がいいだろうかと考え始めたわたしの視界に、グラスに入った水が映り込む。


 …………はっ!


 す、すごくいい案を、思い付いてしまった……!

 で、でも、ちょっと過激だろうか……!?

 いやでも、折角の、甘やかされる日だし……!


「そ、それじゃあ、ユキミさん……!」

「はい、何でしょうか?」


 わたしは隣に座るユキミさんを見つめながら、小さな声で言った。



「お水……口うつしで、飲ませてほしい……」

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