第21話 花雹祭④

「ユキミ、さんっ…………!」

「………………」

「ユキミさん、ってば」

「………………」


 何度名前を呼んでも、ユキミさんは振り向いてくれない。

 わたしは諦めて、手を繋いだままユキミさんに付いていく。


 ――――花雹祭かひょうさいの喧騒が、段々と遠ざかっていって。


 やがてわたしたちは、リジートリィ川に架かっている橋の上にやってきた。

 歩きっぱなしだったユキミさんが、ようやく足を止める。


「ユキミ、さん」


 わたしはもう一度、彼の名前を呼んだ。

 やっとユキミさんが、こっちを見てくれる。

 真っ青の瞳に、いっぱいの哀情が溶かされている気がした。


「…………ごめんね。ここで少し待っていて、って言葉を無視しちゃって」


 わたしは申し訳ない気持ちと共に、彼へと頭を下げる。

 少しの間、静寂があった。川の音が、随分と大きく聞こえる気がした。

 やがてユキミさんは、悔しそうに口を開く。


「サクは、あいつのことが…………好き、なんですか?」

「え…………」

「正直に答えてください……お願いします」


 目を伏せているユキミさんに向けて、わたしはぶんぶんと首を横に振る。


「ぜんっぜん、違うよ! だって、わたしが好きなのは…………」


 段々と、声が萎んでしまう。


 ユキミさんが、そっと微笑んだ。

 それはいつものような微笑みではなくて、とても切なそうな、寂しそうな……そういう表情だった。

 ユキミさんは、繋がれたわたしの手をぎゅっと握る。


「……わかっています。自分の思いが、あいつの言う通り重たくて、それに一方通行だってことくらい。そういう気持ちが、きっとサクを傷付けてしまうであろうことだって、わかっているんです」


 でも、とユキミさんは口角を歪める。



「――――それでも俺は、サクを絶対に手放したくないし、手放せません。ずっと、ずっと一緒にいたいんです。今世だけではなくて、来世も、その次も、それからもずっと、隣にいたいんです。……それくらい、貴女のことを愛しているんです」



 きれいな真っ青の瞳に、わたしのことを映しながら。

 そう、彼は言った。


 ……視界が、滲んでいく。


「……サ、サク!? どうしたんですか!? すみません、悲しませるつもりは、本当になくて」

「違うよ……嬉しいの。すごく、すごく嬉しい」


 ぼろぼろと溢れ出す涙を手で拭いながら、わたしは微笑んだ。


「知らなかった。誰かを好きになることが、こんなにも幸せで、それでいてこんなにも、苦しいってこと。……知れてよかった。本当に、よかった……」

「サク……それ、どういう意味、ですか」


 思わず溢れてしまった本音が恥ずかしくて、ユキミさんのことを直視できそうになくて。

 わたしは彼から、川の方へと視線を逸らす。


「…………え」


 そのとき、気付いた。

 滲んだ視界では、わかりにくかったけれど。

 水面に、何か、灰色のものが浮かんでいる……?


「どうしたんですか、サク……って、あれ、曇り空さんじゃないですか!?」


 ユキミさんの言葉に、わたしははっとなる。

 橋の柵から覗き込むと、浮かんでいるのは確かにくもりぞらさんだった。

 しかも、バタバタと身体を動かしていて……

 もしかして、溺れている……!?


「そんな……いけない、助けなきゃっ……!」


 わたしは勢いに任せるように、橋から思い切り身を乗り出して飛んだ。


「サ、サク…………!?」


 ユキミさんの声が遠ざかっていく代わりに、一気に水面が近付いてくる。

 少し怖くて、ぎゅっと目を瞑った。

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