第15話 信じられないほどの

 昔は、誰かを好きになるには、劇的なきっかけが必要なのではないかと考えていた。


 けれど、わたしがユキミさんを好きになったことに、特別何か大きなイベントがあった訳ではなかった。

 でも……気付いたきっかけは、ある。

 二年ほど前のこと。菓子屋ユキルルーアに通りかかったとき、ユキミさんがお店の前で知らない女性と話していたのだ。

 多分、常連さんなんだろうけれど……そのときわたしの胸は、ずきりと痛んで。

 前世でも、今世でも、感じたことのない痛みだった。

 どうして、と思った。ユキミさんが他の女性と話していても、何とも思っていなかったはずなのに。

 それからというもの、ユキミさんからの好意的な言葉に、何故だかどきどきしてしまって。

 家に帰ると、ユキミさんのことばかり考えるようになってしまって。

 幸せで、でも何だか切なくて。

 ……一ヶ月ほど経って、ようやくわたしは気付く。


 自分の中に芽生えてしまった、ユキミさんへの恋心に――――


 *・*・


 花雹祭かひょうさいまで、あと三日。

 今日は菓子屋ユキルルーアの定休日なので、わたしはお店で花雹祭の準備を手伝っていた。


 ユキミさんのご両親のアールさんとルルさんは買い出しに出掛けており、現在店の中にいるのは、わたしとユキミさんの二人だった。

 菓子屋ユキルルーアが花雹祭で販売するのは、様々なキャンディだ。個包装になっている小さな飴の詰め合わせもあれば、日本でのお祭りにあるようなフルーツ飴もある。

 わたしたちは、小さな飴たちを透明な袋に入れ、リボンを巻き、きらきらのシールを貼るというラッピング作業をしていた。


「…………サク」

「ん、どうかした、ユキミさん?」

「集中して作業を進めているサクの横顔が可愛すぎて、困ります」

「な、何の報告〜!?」

「サクはいつも仕事に一生懸命で、本当に素敵です。……でも、前から疑問に思っていたんですが……どうして貴女は、ここで働こうと思ったんですか? サクは貴族ですし、もっといい仕事も選び放題のはずです。……何なら働かずとも、生きていける立場ではあると思うんです」


 そう尋ねられ、わたしは内心で焦りを覚える。

 ユキミさんの指摘は、もっともだ。

 侯爵令嬢でありながら町のお菓子屋さんで働いている人は、中々いないと思う。

 ……そんなわたしが、菓子屋ユキルルーアで働きたいと思ったのは、実は割と単純な理由で。


 ――――大好きなユキミさんの側に長くいたいから、なのだ……!


 でもそれを、彼に伝える訳にはいかない。

 わたしはどうにか、それっぽい理由を見つける。


「ほ、ほら。わたし、甘いものがとにかく好きだから、甘いものに囲まれるお仕事がしたかったんだ……!」

「ああ、なるほど……確かにサクは、驚くほどの甘党ですもんね」

「う、うん! そうそう、そういうことなの!」

「では、サクのためにお菓子の家をつくるので、そこで一緒に暮らしませんか?」

「まさかのヘンゼルとグレーテル!」

「勿論、家具も全てお菓子でつくります。夏は暑いので、ベッドはアイスクリームにしておきますね」

「溶けちゃう、溶けちゃう〜!」

「冬は寒いので、熱々のアップルパイベッドなんてどうですか?」

「冷めちゃう、冷めちゃう〜!」


 慌てるわたしに、ユキミさんはくすりと笑った。


「サクはいつも大きな反応をくれて、本当に可愛いです。……そういえば。サクって、仲の良い異性の友人、俺以外にいますか?」

「ううん、いないよ! よく喋る異性は、ユキミさんとヌールゼンさんとお父さんくらいかなあ」

「そうですか……よかったです。もしもいるとしたら、嫉妬で身体中に蕁麻疹が出るところでした」

「アレルギー反応!?」

「……だって。こんなに可愛らしいサクのことを、独り占めしたいじゃないですか…………」


 ユキミさんは俯きながら、少し小さな声で言う。

 その言葉に、思わずどきりとしてしまった。

 ま、まずい。顔が赤くなってしまうかもしれない……!

 悟られないようにと、わたしはばっと立ち上がる。


「そ、そろそろ、リボンがなくなっちゃいそうだね! 新しいリボンを持ってくるから、少し待ってて!」

「確かに……あ、高いところに仕舞われているので、俺が取りますよ」

「大丈夫、大丈夫! 脚立使うから!」


 わたしは近くに置かれていた脚立を持って、リボンが仕舞われていう戸棚へと近付く。

 いそいそと脚立を置いて、昇った。

 戸棚を開くと、色々なものが入っていて、リボンは結構奥の方みたいだった。

 わたしは身を乗り出して、それを取ろうとして――――


 ――――ぐらりと、視界が傾いた。


「ひゃっ…………」


 自分の身に何が起こっているかを理解するも、もう遅い。

 わたしはぎゅっと目を瞑って、衝撃と痛みに備える。


 …………でも結局、覚悟していた痛みはなくて。

 衝撃も、想像していたより随分と小さなもので。


 わたしは恐る恐る、目を開いた。


 ユキミさんのきれいな顔が、すぐ側にある。


「えっ、えええ、ええ〜!?」


 わたしは思わず、驚きの声を漏らした。

 ユキミさんは心配そうな眼差しで、わたしを見つめている。


「……気を付けてください、サク。頭から落ちたりしたら、危ないですよ?」


 彼の言葉を聞きながら、わたしは段々と今の状況を把握していく。

 も、もしかして、わたし。

 ユキミさんに、その、いわゆる……「お姫様抱っこ」を、されている!?

 え、そ、そんな…………!

 わたしには、ちょっと、刺激が強すぎる…………!


「…………ぱたり」

「サ、サク!? どうしたんですか!? ちょっと今、水を持ってきますから……!」


 ユキミさんは、店内の椅子にわたしを下ろすと、休憩室の方に消えていく。

 わたしは机に突っ伏しながら、大きな溜め息をついた。


「信じられないほどの、どきどきだった…………」

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