第2章 花雹祭と再会

第12話 リジートリィ川のほとりにて

 ――――よく晴れた昼下がり。


 町の近くを流れるリジートリィ川の側の芝生に寝転びながら、わたしはうとうととしていた。

 もうすぐ春だからか、うっすらと花の香りが漂っている気がする。

 暖かいし、この世界には杉花粉も存在しないから、わたしは気兼ねなくこれからの季節を愛することができた。


「なあん」


 わたしははっとなって、声のした方を見る。

 そこにいたのは――くもりぞらさん!

 グレーの色合いをした、もふもふのねこさんだ。ちなみに「くもりぞら」という名前はわたしが付けたもので、毛並みの色彩に由来している。


 わたしは上体を起こして、とことこと歩み寄ってくるくもりぞらさんに微笑みかけた。


「こんにちは〜。くもりぞらさん、今日も可愛すぎるね……!」

「なあ、なあ〜」


 正座をすると、くもりぞらさんが太ももの上に乗ってきてくれる。

 背中を撫でると、柔らかな毛の感触が伝わってきた。

 ああ、極上の幸せだ……!



「――――サク」



 後ろから唐突にそんな声が降ってきて、くもりぞらさんに意識を完全に持っていかれていたわたしは、思わずびっくりしてしまう。

 誰かは、すぐにわかった。

 わたしを「サク」と呼ぶのは、彼だけだから。


 振り向くと、予想通りの人物が立っていた。


 まるで雪を溶かしたかのような、銀色のショートヘア。

 銀色の睫毛の下には、静かな海を想起させる真っ青の瞳。

 どこかの彫刻のように完成された美しい顔立ちは、中性的ながら確かに青年のそれで、昔のように女の子と見間違えるはずもなく。


 わたしは、彼の名前を呼んだ。


「ユキミさん……びっくりしたあ。どうしたの?」

「別に、特に用事がある訳ではありませんが……サクに会いたくなってしまったんです」

「昨日も一昨日も、会っているような……」

「何を言っているんですか。サクには毎分……いえ、毎秒……いえ、毎瞬間……会っていたいじゃないですか」

「毎瞬間!?」


 驚くわたしの隣に、ユキミさんは腰を落とす。


「……そちらの、曇り空さん。最近、随分とサクと仲が良いようですが」

「うん、そうなの! 可愛いよね〜、ふふっ」

「……ちなみに曇り空さんは、雄猫ですか? 雌猫ですか?」

「ユキミさん、どのねこさんにもそれを気にしているね……」

「だって、サクに膝枕をされているんですよ? 雌猫ならばギリッギリのラインで許すところですが、もしも雄猫だったら……」

「雄猫だったら……?」


 首を傾げたわたしに、ユキミさんは無表情のまま告げる。



「余りの嫉妬で、俺の髪は全て抜け落ちてしまうでしょうね…………」



「ぬ、抜け落ちちゃうの〜!?」

「はい。ハゲます」

「ハゲちゃうの〜!?」

「……ちなみにサクは、どのような髪型が最も好ましいと思っていますか? スキンヘッドが好ましいとあらば、勿論今すぐにそうしてきます」

「すっ、すごい勇気! え、えっと、わたしは今のユキミさんの髪型が似合っていて、好きだなあと……」


 わたしの言葉に、ユキミさんが固まる。

 それから、ずいと身を乗り出した。


「今、好きって言いましたか?」

「う、うん」

「……高望みはしません。ですから、あと百回ほど、俺に好きと言ってくれませんか……?」

「めちゃめちゃ、望んでるよ〜!」


 ユキミさんは、不思議そうに首を傾げる。

 わたしは、ふうと息をついた。

 ユキミさん、確かに昔から天然の気配はあったけれど……何というか、ものすごい天然に育ってしまった……。

 眠たげにあくびをするくもりぞらさんを撫でながら、そんなことを考えていると。


「サク……何か考え事ですか?」

「す、すぐにバレる!」

「普段の笑顔のサクも可愛いですが、そういう悩ましげな表情も可愛いです……あ、勿論、真剣な表情も、驚いている表情も、寂しげな表情も、悲しんでいる表情も、怒っている表情も、全て可愛いですよ?」

「すごい勢いで、全肯定してくれる!」


 わたしの反応に、ユキミさんはくすりと笑って。

 それから、わたしの目を見据えた。



「――――サク。いつになったら貴女は、俺のものになってくれるんですか……?」



 そんなユキミさんの言葉に、わたしの胸はずきりと痛む。

 

 彼に申し訳ないと思いながら、わたしはくもりぞらさんを芝生に下ろす。


「わ、わたし、仕事に行かなきゃ!」

「仕事、って……まだ早くないですか」

「きっ、気のせい! それじゃあ、ユキミさん、またね!」

「ちょ、ちょっとサク。まだ話は終わってな――」


 ユキミさんの声に後ろ髪を引かれながら、わたしはリジートリィ川をあとにした。

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