第10話 ユキミ③
めでたくユキミさんと友人になることができたわたしを待ち受けていたのは、とても楽しい日々だった。
――――ある日は、ユキミさんとヌールゼンさんと三人で公園へ遊びに行き。
「あははっ、ブランコ漕ぐの楽しいなあ」
「うう、ユキミ、うまくブランコがこげません……」
「あらら、そうしたら、わたしが押してあげようか?」
「いっ、いいです。えんりょします!」
「えええ、そっかあ」
「そうしましたら、爺がユキミ様の背中をお押ししましょうか?」
「……よろしくです」
「な、何でわたしだとだめなんだ〜!」
――――またある日は、ユキミさんをテラントディール侯爵家に招いてお茶会をして。
「…………! ユキミにとって、このケーキは好ましいあじわいです……」
「ふふ、遠くの町から取り寄せておいた甲斐があったというものです」
「こっちのケーキもおいしいよ〜! ユキミさん、食べてみない?」
「いいんですか? もらいます」
「そうしたら、はい……あーん!」
「………………」
「どうしたの、ユキミさん? 固まっちゃって」
「なっ、何でもないです。ぱくっ」
「ふふ、どう、美味しい?」
「……好ましいあじわいです」
「あっ、ユキミさん、口元にクリーム付いてる! えっと、ナプキンで……ちょっと動かないでね……ふきふき……うん、取れた!」
「………………」
「あれれ、また固まっちゃった。だ、大丈夫?」
「…………べつに、何でもないです」
――――さらにある日は、ユキミさんとヌールゼンさんと一緒に遠くの花畑へお出掛けして。
「お花、きれいだねえ」
「はい。ですが、こんなに広い場所だと、ユキミはまいごになりそうです……」
「そ、それは大変! そうしたらはぐれないように、わたしと手を繋ごっか」
「………………」
「ユキミさん、最近よく固まるなあ。……も、もしかして、わたしと手を繋ぐのが嫌だった!?」
「ちっ、ちがいます! むしろ好ま……このまませかいが平和であればいいのに」
「きゅ、急に壮大だ〜!」
「ふふ、お二人が仲良くしていらして、爺はとても嬉しいです」
そんな幸せな日々を過ごしていたわたしは、あるとき。
――――ユキミさんが泣いているところを、目にしてしまう。
*・*・
しとしとと降る雨で、少し冷え込む昼下がりだった。
わたしはヌールゼンさんの隣で、桃色の傘を畳む。
目の前にあるのは、菓子屋ユキルルーア。
以前テラントディール侯爵家に招かれたお返しとのことで、今日はわたしたちが初めてユキミさんの部屋を訪れる日だった。
菓子屋ユキルルーアの三階に彼女の自室があるらしい。ゲームのときに見たことはあるけれど、あれは十八歳のユキミさんの部屋だから、十年前の今は内装が幾らか異なっているかもしれない。どの辺りが違っているのだろう――想像を膨らませるだけで、何だかわくわくした。
ヌールゼンさんが、扉を開けようとしてくれる。
……しかし、その直前に扉が勢いよく開かれて。
ユキミさんが飛び出してきたと思ったら、わたしたちの間をすり抜けて、どこかへと走って行ってしまう。
「えっ!? ちょ、ちょっとわたし、追い掛けてきます……!」
「お嬢様! 雨の中走られると危ないですっ……」
引き留めようとしているヌールゼンさんに申し訳なく思いながらも、わたしは段々と遠ざかっていこうとするユキミさんの背中を追った。
傘をさすことすら、忘れながら。
*・*・
追い掛けっこは、三分ほど続いて。
疲れてしまったのか立ち止まったユキミさんの肩を、わたしは息を切らしながら掴んだ。
「ユキミっ……さん……!」
ユキミさんは驚いたように、わたしの方を見る。
雨の中だから、少しばかりわかりにくかったけれど。
彼女の青い目は、今も潤んでいた。
「……サクレーミュ、何で」
「心配だからだよ……! どうしたの、急に? 何か嫌なこととかあった? わたしでよければ、力になるよ。というか、力にならせてほしい……」
わたしの言葉に、ユキミさんのきれいな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。
雨粒と混じり合いながら、彼女の頬を滑っていった。
「ユキミ……サクレーミュとヌールゼンに、クッキー、やいたんです」
ユキミさんはそう言って、ポケットから何かを取り出す。
それは、透明な袋に入った、黒色のクッキーだった。
リボンも付けられていたけれど、ポケットに入れていたからか、少しくしゃっとなってしまっている。
ユキミさんは嗚咽を漏らしながら、言う。
「でも、しっぱいして、こげちゃって……二人に、おいしいクッキー、食べてほしかったのに……ユキミは、ばかです……」
彼女はクッキーの袋を握りしめながら、俯いた。
「……ユキミさん。よければ、そのクッキー、貰ってもいい?」
「え…………これを、ですか?」
「うん」
「……たぶん、好ましくないあじわいです……」
「それは、わたしが決めるよ」
わたしの言葉に、ユキミさんは目を見張った。
それから、ゆっくりとわたしへクッキーの袋を差し出してくれる。
わたしはリボンを解いて、袋の中に手を入れた。
小さな黒いクッキーを、口に入れる。
彼女へと、微笑んだ。
「――――美味しいよ」
ユキミさんは唇をきゅっと結んで、首を横に振る。
「……そんなわけ、ないです。ユキミ、あじみしたら、にがかったもん……」
「確かに、苦味はある。でも、わたし、苦いものも好きなんだ。……あの頃を思い出すから」
わたしがまだ、サクレーミュではなくて。
芦原美南だった頃はよく、コーヒーを飲んでいた。
あの苦味が好きだった。
忘れかけていた。
そんな記憶を呼び起こしてくれる、優しい味だった。
「……それに、わたしは、ユキミさんがそうやってクッキーをつくってくれた気持ちが、一番嬉しい。だから、これだけは伝えさせてほしいんだ……」
わたしはそっと、ユキミさんを抱きしめる。
骨ばった華奢な身体だった。
そっと、背中をさすった。
「ありがとう、ユキミさん」
ユキミさんの身体が、震えた。
耳元で聞こえる彼女の泣き声を聞きながら、わたしは暫くの間、小さな背中をさすり続けた。
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