第5話 サクレーミュ③

 あの日から、ヌールゼンさんはおやつの時間になると、美味しいお菓子を部屋に持ってきてくれるようになった。

 わたしの中で、彼と談笑しながらお菓子を食べるときが、どんどん楽しみになっていって。

 ……やっぱり、かつて自分の周りにいてくれた人たちを思い出して、悲しくなってしまうときもあるけれど。

 少しずつ、少しずつ沈んでしまった気持ちが回復していっているような、そんな気がした。


 *・*・


「お嬢様。本日はお天気もよろしいですし、爺と一緒に外へ出掛けませんか?」


 ブルーベリーのタルトに舌鼓を打っていたわたしは、ヌールゼンさんの提案に目を丸くする。


「お外……ですか?」

「ええ。お嬢様が何かしたいことがあれば、爺が喜んでお手伝いしますよ」

「したいこと……あっ、それなら」

「何でしょうか?」


 わたしはヌールゼンさんを見つめながら、微笑う。


「公園に行きたいです! それで、ブランコ、背中押してください」

「ブランコ……ですか? もっとお金を掛けなくてよろしいのですか?」

「いっ、いやいや! 全然ブランコでいいし、ブランコがいいです!」


 両手を前に出しながら首を振るわたしに、ヌールゼンさんは「お嬢様がそれでよろしいのならば、喜んで」と笑う。

 かつてのわたしは家がそこまで裕福ではなかったので、侯爵令嬢だというサクレーミュさんとして過ごしていると、何だか金銭感覚が変になってしまいそうだ。


「では、タルトを食べ終えたら、爺と一緒に出掛ける準備をしましょうね」

「はい」


 わたしはそう返答して、残っているブルーベリーのタルトを再び食べ始めた。


 *・*・


 ヌールゼンさんが連れてきてくれたのは、自然豊かな広い公園だった。

 到着するまでの町並みは、やはり日本というよりは西洋の雰囲気に似ていて、何だか物珍しかった。

 しかも、すれ違う人たちは髪の色も瞳の色もカラフルで、見ているだけで何となくわくわくした。


 ブランコを漕ぐわたしの背中を、ヌールゼンさんが押してくれる。

 こうやって公園で遊ぶのなんて、いつぶりだろうか。


 ……そういえば幼かった頃、家族で公園に行ったな。

 はしゃぎすぎて、お母さんに叱られちゃったっけ。

 お父さんは、まあまあ二人ともって笑っていたな。

 懐かしい、なあ……


 そんなことを考えていたら、ブランコを漕ぐ足が止まっていた。


「お嬢様……? もう、よろしいのですか?」


 振り向くと、そこには優しく微笑っているヌールゼンさんがいる。

 頷いたわたしに、ヌールゼンさんは「では」と言った。


「少し、あちらのベンチで休憩しましょうか」


 わたしはもう一度、頷いた。


 *・*・


「それにしても、本当に良い天気ですね。気温も過ごしやすくて、ありがたい季節です」

「そうですね」

「……ところで、お嬢様」


 ヌールゼンさんが、わたしの方を見る。

 淡い紫色の瞳を、アメシストのようだと思った。


「何か、悩んでいらっしゃいますか?」

「…………え?」

「頭を打ってしまって、目を覚ましてからというもの、お嬢様は随分と落ち込んでいらっしゃったものですから。最近は元気になられたようにも見えますが、時折とても悲しそうです。それに雰囲気や口調も、何だか随分と大人っぽくなられました」


 わたしは、目を見開いた。


「よろしければ、爺に相談してくださいませんか。爺はいつだって、お嬢様の一番の味方ですよ」


 温かい言葉に、思わず涙が出そうになる。

 それを何とか堪えながら、わたしはそっと口を開いた。


「……大事な人たちが、いたんです」

「はい」

「とても優しい人たちで、だめなところも沢山あるわたしの側にいてくれて。……でも、その人たちは今すごく遠いところにいて、きっともう会うことができなくて」

「はい」

「それがすごく……寂、しくて」

「……そうなのですね」


 ヌールゼンさんが、優しく相槌を打ってくれる。

 わたしは、太ももの上に置いた手をぎゅっと握りしめた。


「わたし、これから、どうすればいいんだろうって……」


 声が勝手に、震えてしまう。

 わたしはそっと、俯いた。


「……爺は、こう思います。お嬢様は、笑顔で幸せに過ごしていくのがいいのではないかと」

「え……どうして、ですか?」


 思わず、顔を上げてしまう。

 ヌールゼンさんの面持ちは、どこまでも優しかった。


「お嬢様がずっと悲しんでいることを、その方たちは望んでいないと思うからです。彼等は、お嬢様を愛してくれていたのでしょう? そうだとしたら、その方たちが望むのは、お嬢様の笑顔と幸福に違いありません」


 わたしは、数度瞬きを繰り返す。


「どうして…………わかるん、ですか?」


 決まっているでしょう、とヌールゼンさんは微笑んだ。



「……爺もお嬢様を愛していて、お嬢様の笑顔と幸福を心から望んでいるからですよ」



 その言葉で、もうだめだった。

 ダムが決壊してしまったかのように、涙が溢れて止まらなくなる。


「ううっ……うわああああああああん…………」


 ヌールゼンさんは、わたしの小さな身体をそっと抱きしめてくれる。

 彼に背中をさすられながら、わたしは暫くの間泣いていた。

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