第4話 サクレーミュ②

 …………ずっと、ふかふかのベッドに篭もっていた。


 目を覚ましてから三日ほどが経ったけれど、何もやる気が起きなかった。

 本当に少しずつ、今の状況を受け入れることはできてきたけれど。

 ……やっぱり、悲しくてしょうがない。

 大切な家族にも、大好きな友達にも、尊敬していた仕事の人たちにも、きっともう会うことができないのだと思うと、胸の奥がぎゅっと強く痛む。

 その辛さを忘れるために、わたしはただ眠ることばかりを繰り返していた。

 どうやらサクレーミュさんはまだ八歳という若さらしく、特に学校にも通っていないようなので、寝ていてばかりでも全く何も言われない。そもそもサクレーミュさんのご両親は、どちらもお仕事が忙しいらしく、家を空けていることが多いようだ。

 今のわたしには、それがありがたかった。


 ところで困ったことに、わたしにはサクレーミュさんが今まで歩んできた人生の記憶がなかった。

 聞くところによれば、わたしが目を覚ます前、サクレーミュさんは高いところに仕舞われていたお菓子を食べようと椅子を積み上げ、昇りきったところでバランスを崩してしまったらしい。

 それで頭から落っこちて、丸一日意識がなかったそうだ。

 にわかには信じがたいけれど、サクレーミュさんはわたしの生まれ変わりで、頭を打った衝撃で今世の記憶を失い、前世の記憶が蘇った……ということなのだろうか。

 ……もしもそうなのだとしたら、あんまり、思い出したくなかったような気がするけれど。


「うう……元気、出ないなあ……」


 お布団にくるまれながらそう呟いて、わたしははあと溜め息をつく。


 ――――そのとき、部屋の扉がこんこんと叩かれた。


「はあい……」


 わたしがどうにか大きな声で返事をすると、がちゃりと扉が開かれた音が聞こえた。

 わたしはお布団から顔だけ出して、誰がやってきたかを確認する。


 そこにいたのは、執事のヌールゼンさんだった。


 真っ白の髪を一つに結わいて、格調高い黒の執事服に身を包んでいる。

 原作では確か七十歳手前くらいだったから、今は多分六十歳手前くらいだろう。なので、ゲームをプレイしたときよりも幾らか若く見えた。


 ヌールゼンさんは優しい表情を浮かべながら、美しい所作でわたしの方へ歩み寄ってくる。


「お嬢様。お加減はいかがでしょうか?」

「……あんまり、元気じゃないです」

「あらあら、それは大変ですね。爺も心配というものです」


 ヌールゼンさんは、悲しそうに頷く。

 ゲームの中でもヌールゼンさんは自由奔放なサクレーミュさんを気に掛けていたが、それは幼少期の頃も変わらないみたいだ。

 しかも今回の「サクレーミュさん落下事件」は、サクレーミュさんがヌールゼンさんの注意を逸らしたところで発生したようだから、彼も責任を感じてしまっているのだろう。

 ヌールゼンさんを安心させるためにも、早くわたしが元気にならなければ――そう思うものの、それにはまだ時間が掛かりそうで申し訳なかった。


「……ところで、お嬢様。食欲はございますか?」

「うーん……ちょっと、なら」

「本当ですか? よろしければ、甘いものをお食べになりませんか」

「……甘いものなら、食べられるかもです」

「それは何よりです。爺がお持ちしますので、少しばかりお待ちいただけますか」

「はい……ありがとう、ございます」

「いえいえ、お気にならさないでください」


 ヌールゼンさんは温かな微笑みを残して、部屋から出ていく。

 わたしはサクレーミュさんと違って、甘いものはどちらかといえば好きくらいで、むしろコーヒーみたいな苦いもの派なのだけれど、折角のヌールゼンさんの厚意に甘えたかった。


 少し経って、ヌールゼンさんが戻ってくる。

 彼が手に持っているお皿には、苺の乗ったショートケーキが置かれていた。

 わたしはゆっくりとベッドから起き上がって、テーブルの側にあるソファに腰掛ける。

 ヌールゼンさんは、わたしの目の前にことりとお皿を置いてくれた。

 フォークを手渡され、わたしはショートケーキを一口サイズに切って、口に運んでみる。


 ――――余りの衝撃に、目を見張った。


「えっ、えええ、ええ〜っ!?」

「ど、どうされましたかお嬢様!? お口に合いませんでしたか!?」


 おろおろした様子のヌールゼンさんの隣で、わたしはショートケーキをばくばくと食べ進める。

 あっという間に、ショートケーキはなくなってしまった。


「お、お嬢様…………?」


 心配そうな面持ちを浮かべているヌールゼンさんに、わたしは「あっ、あの!」と話し掛ける。


「び、びっくりするくらい、美味しくて……! もしも楽園があるとしたら、そこで食べられるショートケーキってこういう感じなんじゃないかなってくらい、美味しくて! えええ……わたし、感動、してます……」

「本当ですか? そんなに喜んでくださって、爺もとても嬉しいです。お嬢様のお気に入りのお店から取り寄せておいた甲斐があったというものです」


 ヌールゼンさんは、安堵したように微笑んだ。


 それにしても、この世界のお菓子は、どれもこんなに美味しいのだろうか……?

 ……いや、そうだ、思い出した。

 確かサクレーミュさんは、激甘党。

 そんな彼女の味覚をもって口にするお菓子だから、これほどまでに美味しく感じられるのではないだろうか。


「あっ、あの、ヌールゼンさん!」

「どうされましたか、お嬢様?」

「その……わたし、もっとお菓子、食べたいです! 貰えたり、しますか?」


 わたしの言葉に、ヌールゼンさんは少し驚いたようで。

 それから、目の辺りに皺を寄せて笑う。


「ええ、それでこそお嬢様です。爺がお持ちしますので、少し待っていてくださいね」

「や、やった……! ありがとうございます、ヌールゼンさん!」


 嬉しくて、思わずわたしも笑顔になってしまう。


 ――――ふと、気付いた。


 この世界に来てから、初めて自分が心の底から笑えているということに。

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