第3話 サクレーミュ①

 夢を、見ていたような気がした。


 薄茶色の長髪が美しい誰かの側で、ぼろぼろと泣きながら話をしているみたいな、


 そういう、夢を…………


 *・*・


 穏やかな風に、頬を撫でられている心地がする。


 それが何だかくすぐったくて、わたしは重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。


 霞んだ視界に映るのは、見慣れない部屋の天井。

 豪奢なシャンデリアがきらきらと輝いていて、少し眩しい。

 ……ここは、どこだろう?

 その答えを、考えようとした矢先。


「サクレーミュ……! 聞こえるか、サクレーミュ!?」


 そんな声が聞こえてきて、わたしは目を見張る。

 少しだけ顔を上げると、二人の人が視界に入った。

 向日葵を想わせる金色の髪をした男性。

 まるで桜のような色合いの瞳を持つ女性。


「え…………え、」


 見覚えのない二人の姿に、思わず困惑の声を漏らしてしまう。

 自分の声のはずなのに、何故か響きが随分と異なっているように感じられた。

 男性が、くしゃりと表情を歪める。


「よかった……! 心配したんだぞ、サクレーミュ……!」


 女性は瞳に涙を浮かべながら、わたしの手を取る。


「サクレーミュ。本当に、無事でよかったわ……」


 自分の頭の中に、沢山の疑問符が浮かんでいるような心地がした。

 ここがどこかもわからないし、この二人のことも知らないし、それに何故かわたしは「サクレーミュ」と呼ばれている。

 サクレーミュって、まさか、あの…………?

 いやいや、そんな訳ないと、よぎった思考を振り払う。

 だって彼女は、ゲームの世界のキャラクターで。

 実在しているはずが、ない。


 悪い夢を見ているのかもしれないと思って、女性に握られていない方の手を、頬の辺りに持って行く。

 それから、できうる限りの強い力で引っ張った。


「いっ、いたた…………」

「だ、大丈夫か、サクレーミュ!? まだ、頭が痛むのか!?」

「いや、違くて、ほっぺたです……」


 男性の問いにどうにか答えつつ、ひりひりとする頬をさすりながら、わたしは夢から覚めるのを待つ。

 でも、十秒経っても、二十秒経っても、三十秒経っても――そんな瞬間は訪れなくて。

 それどころかむしろ、少しばかり霞がかっていた自分の意識が、どんどん鮮明になっている気がした。

 怖くなってきて、わたしはきゅっと唇を噛む。


「……あの、すみません、」

「どうしたの、サクレーミュ?」

「……手鏡とかって、あったり、しますか?」

「手鏡? 勿論あるわ。少し待っていて」


 女性がわたしから手を離して、部屋の奥の方へと歩いていく。

 それから高級そうなチェストを開いて、いそいそとわたしの方へ戻ってきた。


「はい、手鏡よ」

「ありがとう、ございます……」


 わたしは女性から手鏡を受け取って、のろのろと上体を起こす。

 ずきりと頭が痛んで、思わず顔を顰めてしまった。

 そうしてわたしは、手鏡に自分の姿を映す。


 ――――そこにいたのは、いつもの自分ではちっともなくて。


 ふわふわの金色の長髪も、右目を覆うほど長い前髪も、少し垂れ気味な桜色の左目も、

 ……紛うことなく、で。


 わたしはふと、自分がまだ確かに自分だったときの、最後の記憶を思い出す。

 目の前に迫った、とても大きなトラック。


 気付きたくないのに、気付いてしまう。


 もしかしたら、本当のわたしは。

 あのトラックに、轢かれて、もう――――


「え…………う、うう…………」


 余りのショックに、ぼたぼたと涙が溢れ出した。


「どうした、サクレーミュ!? やっぱり、頭が痛いのか……?」

「サクレーミュ、大丈夫だからね。高いところから落ちて、怖かったわよね……」


 恐らくサクレーミュさんのご両親であろう二人は、そうやって優しい言葉を掛けてくれたけれど。

 今のわたしはただ、泣くことしかできそうになかった。

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