深い淵のような男
出てきた、その男は……そう。男であるという情報が無ければパテット・アムニズも判断に迷うところだった。
それと前合わせの衣服が緩みまくっていて、胸元が大きくはだけていなければ。
白、というよりも真珠の光沢を見せる絹の衣服は、繻子織の漆色の腰帯で緩く縛られている。寝巻姿なのかもしれない。
そしてそんな白い服の中の男の肌は青みがかかった白皙だった。
それらの白を取り巻くように、長く伸びた髪は黒檀。それを頭上で団子に丸め、珊瑚の簪で止めている。
そしてパテット・アムニズが聞き込んだ限り、全員が「美形だ」と言い切った男の要望は確かに美しかった。
長い睫毛に彩られた、優し気な黒曜の瞳。スッと通った鼻筋。そして椿色の厚い唇。
確かに美しい。
美しいが、しかし男の全身から立ち上る退廃的な
死ぬ直前に出会う――出会ってしまう、通常の営みでは巡り会えぬ「美」をこの男は体現していた。
――間違いなく、この男がトウケンだ。
パテット・アムニズはそう確信して、次に何をすればいいのかを見失った。
すでにトウケンの美に魅入られてしまっていたのだろう。
『う~ん、君は初めての人だねぇ。でも俺を訪ねてきたのは間違いないだろうし』
こんな入り組んだ先にある庵だ。迷い込むというのはまずないだろう。
そういう整合性のあるトウケンの言葉に、パテット・アムニズの理性が回復した。
そして、自己紹介をしなければならないと気付く。
『あ~、僕はパテット・アムニズ。王国の人間だ。この領が最近帝国から王国に割譲されたのは……』
『ああ、知ってるよぉ。してみると君は囚人なのかな?』
『囚人!?』
パテット・アムニズの声が裏返った。
今までも、なかなか怪しげな目で見られた経験があるパテット・アムニズではあったが、さすがに「囚人」は無い。
するとトウケンは、そんなパテット・アムニズの声に反応して、
『ああ、囚人は言い過ぎたねぇ。流人とか……つまり流されたような存在の事だねぇ』
と、訂正になってるのか、なっていないのか微妙なことを言い出す。
そうとなればパテット・アムニズも本格的に自己紹介をしなければならない、とばかりに、
『僕は作家だ。王国で少しは名の知れた作家でね。
と、少しばかりトウケンを威圧するように告げた。
するとトウケンは朽ちた松が折れるように身体を傾けて。
『取材……作家か。ミステリーという言葉に馴染みはないが……うん、ああ、何となくわかった気にしておくよぉ』
『それなら、その辺りの詳しい説明をしたいから、お邪魔しても良いかな?』
『ああ……そうだねぇ……おもてなしとかは出来ないんだけど、それで良いならぁ』
『話を聞かせてもらえるだけで十分だ。そうそう、手土産もある。何だったかな……バクガというものから作る甘い飴らしい』
『君はきちんと取材できる人のようだねぇ』
トウケンは柘榴が綻びるような笑みを見せて、パテット・アムニズを庵の中に迎え入れた。
~・~
庵の中は薄暗く、完全に帝国風の調度品が揃っていた。それも細かな彫刻に、彫金、螺鈿細工を施された一目で高級品とわかる贅沢なものばかり。
庵の中に充満しているのは、沈香が持つ複雑な香り。
こういった匂いの中にいるからこそ、トウケンはあれほど退廃的――いや、庵の扉を開けたときにパテット・アムニズはその香りに囚われて知ったのかもしれない。
それに対抗するように、パテット・アムニズは嫌味半分で、
『なかなか良いものを揃えている』
と、言ってみた。
そのまま首を巡らせると、この庵はなかなかの広さがあることに気付く。奥にあるのが寝室なのだろう、と反射的に思ってしまったが、
『俺が選んだわけじゃないんだけどねぇ』
と、言いながらトウケンが身体を預けているのは、帝国風の寝台だ。
つまりは庵に入ってすぐの部屋が寝室という事になるわけで、やはりこの庵ごとどこかおかしいことは間違いないらしい。
それを裏付けるかのように、トウケンは水飴の入った小さな壺に直接指を突っ込んで、それをすくい上げていた。
椿色の唇に、黄褐色の水飴がねばりつく。
その粘りを振り払うように、パテット・アムニズは話しかけた。
取材……かどうかは微妙なところだったが。
『……あなたが選んでないとするなら、これらはどうやって?』
『買ってもらったんだよぉ。この辺りは帝国から運ばれてきたんじゃないかなぁ……よくは知らないけど』
そこでトウケンは「うふふ」と笑う。
その笑いは誰に向けられたものなのか――トウケン自身に向けられたものなのか。
『……俺は生活能力が無いからねぇ。人に頼るばっかりで……何しろ
それを聞いたパテット・アムニズは、色々な意味で大きく納得した。
トウケンの不思議も。そして先ほどのトウケンの言葉についても。
――だが。
『この領は基本的に流刑地だからねぇ。それで出来上がってるのさぁ』
そのトウケンの言葉に再び驚くことになった。
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