パテット・アムニズ
スイーレがアハティンサル領で実行する二手目は、全くの幸運で入手できた一手である。
繰り返しになるが、スイーレはアハティンサル領に向かうにあたって、民間で流布していた、アハティンサル領の資料を収集していた。
その中には、当然「おとぎ話」の類も含まれている。
そして、その「おとぎ話」について研究している人物と、接触する機会に恵まれた。いや。接触はむしろ必然――なぜならその人物は「ラティオ」に籍を置く小説家、パテット・アムニズであったのだから。
パテット・アムニズとは「密室」に拘る作家である。
いや、それだけなら何とか折り合いをつけることが出来たかもしれないが、彼の小説はそれだけでは済まなかった。「密室」以外にもありとあらゆる外連味が搭載されていることが問題だったのである。
そして登場人物もやたらに多く、製本された本の厚さはもはや凶器。
恐らくは今までの文壇では扱い切れないタイプの作家なのだろう。何かにつけて「ラティオ」に文句をつけてきた文壇の顔役たちも、匙を投げてしまったのか、パテット・アムニズについては口を噤んでいるのであるから。
スイーレは、持ち込まれたパテット・アムニズの小説を読み「ラティオ」からの出版を決めた。
それはパテット・アムニズの書いた小説が確かにミステリーであり、
「――整合性だけは間違いなくある」
という、スイーレ自身の信条にも適合しているからである。
この時のアウローラは、出版前からスイーレの執務机を占拠していたパテット・アムニズの原稿の量を警戒していた。
それを読み込むとなると、まず第一にスイーレの体調が心配になるからだ。
しかし、それでやめるスイーレでは無いし、せめてスイーレの眼鏡に適う小説であってくれ、と考えた。そこで「どうでしたか?」と尋ねてみると返ってきた評価が、先ほどの言葉だったというわけだ。
当然、アウローラは、
「だけ――ですか?」
と確認する。どう考えても良い評価とは思えない言葉であるので、その反応はもっともな事であった。
スイーレもそれに気付くが、発するべき言葉を見つけられないようだ。そこでアウローラはさらに踏み込んだ。
「では……お嬢様がよく仰られる“謎の強度”については?」
「ああ、うん」
スイーレが反応した。そして、こう訂正した。
「そうね。だけ、というのは間違いだったわ。私、完全に騙されたし」
「お嬢様がですか?」
驚くアウローラ。何しろスイーレは伯爵令嬢という暇が有り余ってる環境で、幼い頃から
単純なトリックは経験則で看破し、整合性が保たれている小説ならば、その整合性を保つための瑕を文字の海から拾い出してしまう。
スイーレはそういう令嬢であるのだ。
それなのにパテット・アムニズが持ち込んだ、ミステリーには「騙された」と言い切ったのである。これは非常に珍しい事態であることは言うまでもない。
しかし、そうなると最初の「整合性だけはある」という感想は、どう解釈すれば良いのか。スイーレの態度こそ、まったく整合性が無いとも言えた。
だがスイーレは「騙されていた」ことに気付いて、一気に前抜きになったのである。
「……そうね。私が騙されたことは間違いないわけだし、整合性もある。それを前提として考えると、このミステリーはミスリードが九割で出来ていることになるわね。きっとこれは新しいんだわ」
「はぁ」
「それにここまでやってしまう羞恥心の無さ……いえ、大胆さと言った方が良いわね。これは化けるかもしれない」
「ん?」
アウローラは引っかかってしまったが、元は伯爵令嬢の道楽である。
かくして「奇書」と呼んでも差し支えない、パテット・アムニズの「星の世界」は上梓された。
見た目から尋常では無い厚さの「星の世界」である。宣伝するまでもなく、その厚さだけで結構な話題となり、スイーレを戸惑わせるほどの内容は賛否が分かれることによって、さらなる話題となった。
続いて発表された「道化師」もまた話題になり、パテット・アムニズは一躍人気作家となったわけだ。
その愛読者としては王妃テクナスアモーラも確認されており、スイーレもパテット・アムニズの新作を待っていた。
ただしスイーレは「今度こそまともなトリックがあれば歴史に残るに違いない」という期待の仕方であり、王妃テクナスアモーラはパテット・アムニズの構築する作品世界に耽りたいという期待の仕方であるから、その内実はかなり違う。
しかしながらパテット・アムニズの新作を欲しているという点だけで見れば同じであり、だからこそスイーレはパテット・アムニズに最大限の便宜を図った。
つまりパテット・アムニズをアハティンサル行に同行させることについては全く悩まずにそれを許した。
作家の取材となれば、それは「ラティオ」主宰としても薦めるべき事案である。
そういったわけで、この庁舎の執務室にパテット・アムニズが現れる事態となったわけだが、それを嬉しく思わない者もいた。
言うまでもなくクーガーである。
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