時の流れが歪む
シンコウが斜めに木剣を振り下ろした。
そして次の瞬間――
シンコウは盛大にこけていた。原因はクーガーに足を払われたから。
『『『『『は!?』』』』』
一斉に声を上げる参加者たち。いや、アハティンサルの領民たち。
シンコウがこけた原因も、結果も見間違いようがない。
クーガーはシンコウの攻撃をあっさり躱し、その上で自分の足でシンコウの足を引っかけた。
それが厳然たる事実。
しかしアハティンサルの領民たちはそれを理解することを心で拒んでいた。
シンコウは――弱くはないはず。まだ若年であるので、重い立場では無かったが、純粋な強さだけで言えば、この領でも十本の指に入る剛の者であるのだから。
上背の高さ、しなやかな筋肉、そして欠かさぬ鍛錬によって身につけた技量。シンコウ自身も自分の強さに自信があり、そしてそれは過信では無い。
実際、先ほどのクーガーに向けての一撃も、決して生半可なもでは無かったはずだ。つまり代官に向けての攻撃としては、すでに自重を取り去った速さであったのである。
長い腕としなやかな筋肉によって放たれる一撃は、鞭の一撃に似ていた。
音を追い越さんばかりのスピードに乗った一撃。
――しかしそれが躱された。
躱される、どころかその後に足を払われているのだが、剣を躱されたというのなら、それは可能なのだろうと想像できる。
しかし「躱される」理屈が、どうしてもアハティンサルの領民たちには想像できない――理解できない。
『一回付き合った。もう一回は許す』
そんな状況の中で、クーガーは木剣をだらりと下げたまま、座り込んでいたシンコウに話しかけた。
『くっ……!』
シンコウは唇を噛んで立ち上がると、今度は木剣を担ぐような構えを見せた。姿勢も随分前のめりだ。
クーガーはその構えを見て小さく頷くと。誘うように木剣の切っ先で攻撃を促した。羽織っている鷹の染付が僅かに身震いする。
瞬間――
シンコウが木剣を繰り出した。
それは突きとも、斬撃とも言えない――ただひたすらにクーガーの頸動脈を狙った一撃。
斬撃と思わせる一撃から、技巧でもって突きに転じる変幻な軌道。
初見で躱せるわけがない――
――ないはずなのだが……
クーガーは躱していた。
躱した、という結果だけをそこに出現させたかのように。
そしてクーガーはシンコウに攻撃すらしなかった。先ほどの攻撃よりも、躱されたことで大きく態勢を乱しているのに、だ。
『シンコウ、本気になるのが良い』
クーガーは、木剣で自分の肩をトントンと叩きながら告げる。
『軽い剣では、難しい?』
それは親切だったのか――挑発であったのか。
いや、それよりもシンコウが憂慮すべきはクーガーに隠していた「本気」を見抜かれていることだ。
『……持ってきてくれ』
『そ、それはダメだ。~~~を使えば――』
『代官がそれを望んでいる!』
シンコウは決意した。周りがそれを止めようとするが、もうそんなことに配慮できるような状況ではない――力の差ではない。
ふわふわ頭の、とらえどころのない代官クーガー。
ナメていなかったと言えば嘘になる。しかし今、出せるだけの全力で打ちかかっても、それがあっさりと無効化されたのである。
こうなってしまえば、もうナメることは出来ない。
この段階ですでに、シンコウの心の内にはクーガーにナメられたという怒りは無かった。
ただ純粋に、クーガーに挑戦したいという気持ちが強くなっている。
そしてシンコウのそんな想いは、周囲を囲んでいた参加者たちにも伝わったのだろう。
『持ってきたぞ! お前の――タチだ!』
シンコウが求めた反り身の剣――刀が現れた。それもシンコウの身の丈に及びそうなほどの長い刀だった。
それは野太刀と呼ばれる異形の刀。シンコウは鞘ごと受け取ると、流れるような動きで、それを抜き放つ。
現れるのは凍り付くような鋼の香り。
命に触れることを容易たらしめる、無慈悲な輝き。
当然――手加減は出来ない。
『納得した。俺は手加減をやめる』
野太刀が持っている殺傷力に敬意を払うかのようにクーガーはそう言うと、羽織っていた着物を脱ぎ棄てた。
そのまま、シンコウの正面で構える。
シンコウもまた、それに応えるかのように、先ほど見せた剣を担ぐような構えを見せた。そして前のめりに――
『え?』
クーガーがいつの間にか、シンコウの目と鼻の先に現れていた。
シンコウが覚悟を決めた瞬間――つまりクーガーを斬る、と決めた瞬間。
その決意が生み出す、僅かな隙にクーガーは侵入したのだ。
そしてシンコウが何もできないうちに、野太刀の束を握りしめた拳を木剣で叩く。
たまらず、野太刀を手放すシンコウ。担いでいたことで、その刃がシンコウの身を切り裂く危険性はあった。
クーガーはそれも見越していたのだろう。
主が手放した野太刀を木剣で弾き飛ばすと、
『遅い』
とだけ告げると、今度はシンコウの肩口にキチンと一撃を入れた。
『ぬあっ!』
『覚悟だけは確かに』
あまりの速さに、周りの参加者も気付かなかった。
そう。もはや勝敗は決しているのだ。
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