こいつもおかしい
シンコウは、庁舎で調理を受け持っているショウブの息子である。彼の黒い肌は、それが理由だ。
ショウブは横幅もしっかりとした女性であるが、シンコウは細身、というか瘦せ過ぎでは? と心配になるほどにひょろっとしていた。
波打つ黒髪を、シチリ氏族を象徴する青色の紋様が染め抜かれた布で縛り、今はたっぷりとした袖も縛って動きやすいように「準備」を整えていた。
「準備」とはもちろん、代官であるクーガーとの
今は参加者が畦道に移動して、クーガーとシンコウの周りを取り囲み、戦う舞台を作り上げていた。
このように、一対一で腕試しする者同士が向き合うのは、大会における通常運行ではある。それと木剣を用いることも、当たり前の規則であったのだが――
『この木剣でやるのか。じゃあ、手加減するか』
と、クーガーが言い出したことで、空気はさらに悪くなった。取り囲むアハティンサル領民たちの視線だけでクーガーを殺してしまいそうになるほどだ。
それは「自分が敵になる」というクーガーの目論見通りという事になるのだが、もちろんクーガーに、そこまでの考えはない。
本当に手加減が必要だから、それを口にしただけなのである。
だが、シンコウには――アハティンサル領民たちにとっては、ただの挑発としてしか聞こえない。激昂し、そのまま一対一という規則も打ち捨てて一斉に殴りかかろうと前屈みになったところで――
『お前だって、本気じゃない。それは理解している』
続けて放たれたクーガーの言葉によって、その熱が冷めた。怒りが収まったのではない。本格的な戦闘への心構えになったのである。
そうやって緊張感が増していく状況を、黙って見続けることが出来なかった者たちも、当然いた。
なし崩し的に収穫祭の監督という立場になっていたミツマである。
ミツマは、それこそ黙って見つめているだけのキンモルに詰め寄った。
『キンモル殿! 何とかお代官様を止めてください。ウチの若い者の無礼は後で謝らせますから!』
確かに発端はクーガーの
だからまずはアハティンサル側が頭を下げることで、事態を収拾させようと考えたのだ。
そういう意図が伝わったのかどうか。キンモルは長くため息をつくと、
『銃を用意してください』
と、出し抜けにミツマに告げた。ミツマはぎょっとした表情を浮かべて、
『な、何を……』
と、何とか語尾を濁すだけで精一杯だった。キンモルはそれに構わず、眼鏡を光らせながら続ける。
『火薬の匂い。気付いている。クーガー様の考えではセンホ氏族のソウモが名人だと。だから銃はこの領にある』
キンモルにそう言われたミツマは絶句するしかなかった。ぼんやりした代官とその近侍には、そういった武装については隠し通すことが出来ている、と考えていたのだから無理はないだろう。
このタイミングでホウクもキンモルに接触してきた。当然、ミツマが改めてキンモルの要求を伝えると、今はばれていることに取り乱している場合ではない、と即座に優先順位を入れ替える。
『確かに我らに邪心がありました。しかし、それでいきなりシンコウを撃つなどといううのは……』
ホウクはキンモルが銃を要求したのは、それが狙いだろうと考えたのである。
現時点では代官であるクーガーに、わかりやすく反抗しているのはシンコウだけなのだから。そのシンコウを撃ってしまえば、確かにこの場は収まるかもしれない。
それに何より、銃を持ち出せばクーガーの安全を確保できる可能性もあった。だからこそ近侍であるキンモルには、そういった考えがあるに違いない、とホウクは考えたのである。
しかし、常識人のふりをしていても、キンモルもまた立派に変人であった。
『狙うのはクーガー様。狙われているとわかれば、クーガー様、気付かれる』
『ね、狙うのはお代官様、ですか? 何故そんな……』
かろうじて理解できたのは、クーガーを狙うという事だけ。慌ててミツマがヘーダを呼びに行かせる。最近では、クーガーたちのアハティンサル語の習得が著しいので、あまり傍にいないことが災いしたのだ。
もちろん「事情」を知っていなければ、キンモルが王国語で話しても理解はされなかっただろう。王国にいた時でさえクーガーの「異能」を理解出来る者は少なかったのだから。
そういった状況で、キンモルは再び二人を困惑させる行動に出た。思い切りよく二人に向かって頭を下げたのである。
『自分、止めることは出来ない。クーガー様。最悪を避けるために銃、必要。自分も迷惑をかけられている。いつも』
つまり自分も被害者だ、と弁明を始めたのだ。
ということは、キンモルはこれからクーガーが加害者になるという認識だという事になる。
それを理解した、ミツマとホウクは呆気に取られて口をぽかんと開けてしまった。
二人にしてみれば今の状況は腕自慢の領民たちに囲まれて、これから代官に対する私刑が行われようとしているようにしか見えないからである。
だが、キンモルはその可能性を微塵も考えてはいないらしい。
かといって、戦いを全く知らないという風でもなく――
『――喝!』
その時、シンコウの気合が響き渡った。
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