クーガーに良い考えがある

 こうして資金投下という名目による買い物と、視察という名の暇つぶしの日々が三か月ほど続いた――


 青々としていた水田は黄金色に染まり、そろそろ収穫だ、と領全体がうきうきしているような雰囲気である。

 近々、領全体で大規模な祭りが行われるとのことで、それを利用してアハティンサル領は、自分たちの手による新しい統治システムの試運転を行うことになっていた。


 クーガーは代官として、そういった領の動きや企画に鷹揚に頷きを返すだけ。

 積極的に動くのは、婚約者であるスイーレにまめに手紙を送る時のみ。どこに出しても恥ずかしくない、頼りない王子様といった様相である。


 そして問題のスイーレはまだ領に現れない。「本当に実在するのか?」などと、アハティンサル領内で囁かれるようになったのも自然な流れといえるだろう。


 キンモルはそういった噂があることを知った上で、それでも自分の主人に感心していた。何しろ、今までのクーガーは暇さえあればスイーレを訪ねに行くほどべた惚れ状態なのだから。


 それに付き合わされていたキンモルに言わせれば、今のクーガーを見ても「手紙だけでよく我慢している」という評価になってしまうのである。

 最初はやる気というものが感じられなかったが、これでもクーガーは真面目に代官業に勤しんでいるようだ。


 いや、それもスイーレ様が手紙でクーガー様を操っているおかげなのかもしれない、などと甚だ失礼なことを考えていたキンモルであるのだが、ここでさらに建設的な提案を行ってみることにした。


「――クーガー様。やはりこの領ではセンホ氏族の立場が弱いようですね」


 轡を並べて、ゆっくりと収穫を待つだけの稲穂の波間を進みながらキンモルがクーガーに話しかけた。

 当然王国語で。このタイミングで切り出したのは、周囲に誰もいないことを確認しやすかったからである。


 そういったキンモルの配慮の先にはアハティンサル領の民には知られたくない相談事があることは自明の理なので。クーガーもまずはそれにしっかりと頷いた。


「うん……俺はそこにどうも違和感があったんだが、仲が悪いってのは多分間違いないんだろうな。あの、何だったっけ? 色男の事はともかく」

「トウケン、という者ですね」

「まぁ、そいつに会いに行くか呼び出しても良いんだけど……」


 代官であるクーガーには、それだけの権限がある。

 しかし、クーガーはそういった権限を行使することを、好まなかった。それは「甘い」と言われて然るべき対応ではある。


 そもそも「会いに行く」という選択肢が出てくること自体がおかしな話ではあるのだ。


 しかしキンモルは、それを指摘しない。指摘しないどころか、今では喜ばしい対応であると考えていた。


「そうですね。領民の色恋沙汰にまで口を挟むのは感心できませんし、それはさほど深刻ではないのでしょう。ですけど、それを理由にして氏族の間で仲違いをさせるきっかけとしては良い口実になるかもしれません」


 実際、きっかけどころか現状ではトウケンを巡っての諍いは頻発しているようではあるのだ。

 そういったキンモルの言葉を聞いて、クーガーは首を捻った。


「仲違い……させたいのか?」

「簡単に言ってしまうとそうです。今は良いですが、将来的に税の徴収が始まりますよね?」

「ああ、そうい話だからな」

「その他にも、王国からあれこれと言ってくるかもしれません。そういう時にアハティンサル領全体がまとまって反抗してくるなら、それは随分な厄介事になります」


 先の動乱で見せた「竹林峡」での戦いの様子。いったんこの領が怒り出したらどんな騒ぎになるのか……それをキンモルは懸念し、またそれは統治者としては当然の懸念ではあるのだ。


 そして統治する対象を分裂させておくのは、統治心得としては基本中の基本であるのだ。


 しかもその心得に従って、分裂するように画策するまでもなくアハティンサル領は勝手に分裂していたわけである。

 センホ氏族が白眼視されている雰囲気だけの問題ではなく、センホ氏族自身もまた、自らを卑下しているような雰囲気もあるのだ。


 そういった風潮に逆らっているのが、就任直後に見せたホウクの無理筋を通そうとするような動きである。そしてキンモルの見る限り、そういった動きが原因のトラブルは結構起こったいるのだ。

 それなら、そういった風潮を利用してしまおう、とキンモルが考えるのは自然だったのである。


 それに何より、キンモルにそういった気付きを与えたのは――


「スイーレ様も仰っていたんでしょう? “敵を作れ”と。アハティンサル領を調べられたスイーレ様も、統治をスムーズに行うのはそれが最適だと考えておられたのでは?」


 そう。スイーレなのである。


 そしてクーガーはスイーレの言う事には、素直に従う傾向がある。このままヤマキ氏族とシチリ氏族を抱き込んでおいて、センホ氏族を「敵」にしておくことは、代官が交代になってもきっと王国の援けになるだろう。


 スイーレはそこまで考えて、クーガーに指示を出したに違いない――とキンモルは考えていた。それほどに先の戦いで見せたスイーレの神算鬼謀ぶりは、傑出していたのだから。


 それはクーガーも同じであるはず――


「あ」


 そんな思いでクーガーの表情を窺ったキンモルは、思わず声を漏らしてしまった。

 このクーガーの表情は見たことがあると。


 つまり……


(猛烈にいやな予感がする)


 ということだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る