恐れるべきは、クーガーではない?
こうして、最優先問題となった食事。そのためクーガーは日々戦い続けていた。そして戦うためには言葉を手に入れなければならないと決意したのは自然な成り行きともいえる。
クーガーが気付いた時には、ある程度はアハティンサル語を察することが出来るようになっていたので、それに何とか理屈をつけて自らを慰めようとしている……という穿った見方もできるのだが。
次には、何とかショウブに自らの要望を伝えねばならない。これは言葉を聞き取るのとは、また違う努力が必要である。
最初、クーガーはヘーダに頼るつもりであったが、戦いがたけなわになるのは、何と言っても夕食時なのである。
そういった時間帯までヘーダを振り回し続けるのは、クーガーとしても考えるところがあったのだろう。その点、調理担当のショウブであればあまり気を遣わなくて済む。
いや、むしろショウブはクーガーと話をすることを喜んでいる風でもあった。
最初は「刺身をやめてくれ」という要望を何とか伝えようとしていたクーガーであったが、ショウブと話を続けるうちに、会話が脇道にそれてゆく。
いや、むしろ脇道が本道になったというべきか。
実際、ショウブからアハティンサル領の事情を聴くのは代官としても有意義な行動であることは間違いない。
しかし、それはショウブにとっても同じ事が言える現象なのである。
『何だい。お代官様の奥方は随分凄いんだね』
『そう。スイーレ。凄い』
と、箸を進めながらクーガーは嬉しそうに応じた。いち早く箸を使えるようになったことも成果であると言えるだろう。
その横で――宮中作法によればとんでもない状態ではあるのだが――食事をしているキンモルが、未だに上手く箸を使えないのだから。
ちなみにキンモルの聞き取り能力もクーガーには追い付いていないので、スイーレを「奥方」扱いにしている二人の会話に割り込んだりは出来ない。
それもまた、クーガーがショウブと好んで話をする理由になっていた。
そしてスイーレの自慢話をしようとするなら「刺身はやめてくれ」だけでは及びもつかない語彙力が必要になる。
なにしろスイーレを言い表すのに一番的確な「
アハティンサル領には推理小説と銘打たれた読み物はなかったし、クーガーはアハティンサル領の読み物を知らないのだから。
それに加えて、スイーレ自ら新しい推理小説を生み出すために活動しているのだ――などという内容を伝えるのはさらに無理が生じる。
さらにスイーレのそういった活動を継続するために、王国との間に整えられた道が必要なのだ、などと証言してしまうのは、あまりに明け透けだったと言われても仕方がない振る舞いであったのだろう。
クーガーはそれどころか、スイーレは右目の傷についても自慢げに話してしまった。そういった傷を負った原因「スカルペア」という疫病の名前とスイーレの名前がが聞こえたことで、さすがにキンモルがそれを窘めるが……
『そうかい。それは確かに凄い人なんだね』
と、ショウブがしみじみとそれに感心したような様子を見せたことで、キンモルの言葉が止まる。
キンモルも「竹林峡」でのアハティンサル領の兵士の話を聞いていたので、女性もそういった荒事に関しては王国とは受け取り方が違うのかもしれない、と考えたのである。
そんな無理を通している間に、いつの間にか「刺身はやめてくれ」という本来の目的である要望が伝わることになったようだ。
一月ほどで、ショウブと意思疎通が出来るようになり、クーガーの要望通り肉を中心とした食事が供されることになったわけである。
とくにクーガーが好んだのは瓦焼きと呼ばれている、野趣あふれる料理法であり、それもまたアハティンサル領の人々にとっては好ましく映ったようである。
もちろん――
ショウブがなかなかクーガーの要望に応じなかったのはわざとである。
アハティンサル領の全体の意思として、クーガーには「厄介な領である」という認識を持ってもらうことが目的だったからだ。
ヘーダもそういう意思を受けて動くつもりだった。だが、クーガーはそれを無自覚にキャンセルしてしまったので、ショウブがそういう役目になったというわけだ。
しかし、それはアハティンサル領にとっても良い様に働いたようである。
敵を知らねばならない、という観点では、これ以上ないほどの成果を得られたのであるから。
代官のクーガーよりも、その奥方であるスイーレの方がよほどの難物である、という情報を入手。というかクーガーは。スイーレを抑えてしまえば、良い様に操れるのではないかと。
ショウブはそう考えると、それを息子であるシンコウを通じて領の首脳部へと報告する。だが同時に、そういったカカア天下を思わせるクーガーの言葉については好意的なものを感じていた。
だからこそクーガーがアハティンサル領にいる間は、しっかり食事の面倒を見てやろうと密かに決意し、クーガーたちは何とか食生活の改善に成功したわけである。
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