仕事始めも難しく
夕方遅く。あるいは宵の口辺りに二人は執務を行うべき庁舎と住居が一緒になった建物に到着した。
王国によく見られる石造りの建物で、絡みついた蔦や苔むした外壁からは長い間使用されてないことが窺える。慌てて他の建物から迎えに出てきた勤務する者の身振り手振りでは、ここは倉庫として使われていたことが判明した。
アハティンサル領は王国と帝国の間で、外交問題を片付けるために、何度も割譲と復帰という形でやり取りされていた領でもある。そういった歴史を鑑みると、こういった石造りの建物は王国が治めていた時に建造されたものなのだろう。
そしてこの石造りの建物のすぐ横には、帝国風の建物が聳えていた。
木材と漆喰で建造されており、柱には彫金まで施されている。随分豪華な設えであるようだ。迎えに出てきた者も、こちらの建物で仕事をしていたのだろう。
外見からも、帝国風の建物の方が大きいことは自明の理ではあるし、文化的にはアハティンサル領は帝国に通じる部分が大きい。どちらが便利かと言われれば考えるまでもなく帝国の建物であることは間違いないところだ。
海沿いの高台に建造された二つの建物のうち、どちらかを選ぶべきか、と考えると難しいところなのだが、クーガーは躊躇いなく王国風の石造りの建物の方を選んだ。
それがクーガー独特の“勘”による選択で、何ら根拠のないものであったとしても、逆にそれを否定する材料もない。
結果として、椅子造りの建物――王国風庁舎に食事と寝床が運び込まれることになって、その日はそれだけで終わった。
いや、終わったのはクーガーたちだけ、と言い切っても良いのだろう。
そこからアハティンサル領の役人たちはてんやわんやの大騒ぎになり、何とか新しい代官を迎える形が整えられたのは、翌日の午過ぎになってからとなった。
……もちろんこれでも、常識外れに早いことには間違いないのだが。
そうやって、何とか恰好を整えたクーガーの前に三人のアハティンサル領の役人が出頭することになった。
名前だけを先に挙げるなら、リチー、ミツマ、ホウク、の三名である。
『リチー、ミツマ、ホウク』
と、その名を紹介されたクーガーは律儀に、その名を呼びながらそれぞれを確認していく。クーガーは王国風の石造りの建物中に、執務室として急ごしらえされた比較的大きめの部屋で、立ったたまま、この三人を迎えていた。
三名とも壮年の男性という点では共通しており、衣服については設えはほぼ同じ。生地の色や、袖口などに見られる細かな文様の違いは当然あるが、それはおいおい理解してゆくしかないだろう。
その理解の助けになるべく、早くから通詞として任命されていたのがへーダという男だった。
身体はかなり大きく、髪をひっつめ。そのせいでは無いだろうが顔のパーツが何か引っ張られているような印象。それなのに、にこやかな表情になっているのは、なんとも不思議なものがあった。
身につけているのは前合わせの、この地方では一般的な衣服で、布地の色は柑橘系の果物の色によく似た色だった。夏であるので袖丈は短く、その袖口は赤い文様で縁取られている。
これは布地の色は違えども、先ほど紹介されたホウクという、こちらも大柄な男と共通している。
クーガーの後ろで控えていたキンモルは「氏族としては同じという事になるのだろう」とあたりを付けていた。
当たり前の話だがヘーダはアハティンサル領の言葉と、王国公用語を操れるという事で通詞の仕事をすることになったわけだが、現在のところ問題は無いようだ。
とはいっても、出会ってから一点鐘も経過していないのだが。
クーガーは言葉はわからぬまでも、それとわかる三人の挨拶を頷きながら受け取ると、続いて三人の役割についてヘーダを通じて尋ねてみた。
そうすると、出頭した三人の間である程度は段取りが決まっていたのだろう。
三人の中で真ん中に立っていたミツマが一歩前に出た。
そして、自分の役割について述べているのだろう。
小柄ながらも腕を懸命に振りながら、何事かをクーガーに訴えていた。
三人の中では、恐らくは最も高価な衣服を身につけているようだ。黄金色にも見える布地は恐らくは絹。そして袖口などに見られる文様の色は白であった。
整えられた口髭から見ても、裕福さが窺える。
それでいて、どこか幼さを感じてしまうのは、決して背の高さだけが理由では無い。元々、顔の造作が幼い――つまりは童顔なのだろう。
そんなミツマの訴えをふんふんと頷きながら聞いているクーガーの方は、実際に年若いわけだが、どうかするとミツマと同い年にも見える。背の高さもあまり変わらないようだ。
やがてミツマの訴えが一段落し、そのまま一歩後ろに下がった。
それを確認したクーガーは、やおらヘーダに顔を向けると。
「……で、なんだって?」
と、なかなかに台無しな言葉を口にした。
前途多難とは、こういう状況の事を言うのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます