横紙破りの赴任

 それからしばらく東へと進み、夕陽を背負う頃にようやく二人は目的地に着いた。

 街の名前はヤマキ。石造りの建物が基準である王国のそれとは違った景色を見せる街並み。


 建物の密度もさほどではなく、クーガーたちの印象では「多少拓けた田舎街」と言ったあたりに落ち着くことになった。道も舗装されずに土道のままであることも大きかったのだろう。

 それでも街の大通りを進んでいる間に、今までは水田でちらほらと目にしていただけのアハティンサル領の領民たちの姿を多く見かけることになる。


 剣を佩いた男性も多く見かけるが、それよりも街を行き交う女性の姿をよく見かけることになった。衣服に男女の違いはそれほど無い様に感じるクーガーたちではあったが、女性の出で立ちはどこか華やかだった。その点、男性の多くは何処か武骨さを感じさせる。


 アハティンサル領の領民は男性も女性も黒髪であり、それを男女の違いはあれどしっかりと結いあげており、ますます二人にとっては異郷であるという雰囲気を醸し出していた。


 二人がやってくることはある程度知らしめてあったのか、クーガーたちに改めて「何処の誰か?」と聞いてくるものはいない。道行く領民たち、それに家屋の二階部分から、二人を盗み見るものは多くいたが、言ってしまえばそれだけだった。


「あれいいなぁ。俺もあれやってみたい」

「あれ、とは?」

「あんなふうに窓枠? か何かに身体預けてさ、潮風に当たるの。涼しそうだ」


 このヤマキは、海に面しているので街を通り過ぎてゆく風には海の匂いがしている。二人もニガレウサヴァ伯領で海については経験済みであったが、このアハティンサル領では海との付き合い方が違う事を感じた。


 それがクーガーをますます呑気にさせたようだが、キンモルとしてはそう簡単に割り切れない。

 何より、常識的に考えると現状がそもそも異常なのだ。


「……クーガー様。本っとぉ~~うに連絡は出されていなかったのですね」


 そう。新しい代官の着任に加えて、その代官が王家の者ともなれば、それなりの様式を整えることは必須だ。そうでなければアハティンサル領が王家を見下し、結果治安維持に深刻な瑕疵を与えることになるだろう事は明白だからだ。


 それだというのに、クーガーはそういった手続きを全く無視してアハティンサル領に乗り込んでいる。

 クーガーの婚約者であるスイーレには、そんな無茶苦茶を注意して欲しいと考えていたキンモルだったが、それは無益な願いであったらしい。


「してないって言ってるだろ? 俺まどろっこしいの嫌いなんだよ」

「クーガー様はそれで良いのかもしれませんが……」


 様式を整えることは、王家の威厳を知らしめるためだけに行う事ではない。

 警備の観点からも、そういった形を整えることは意味があるのだ。儀礼に基づく着任儀式は、不審な動きをする者を浮き彫りにする。


 少し前までは帝国という敵国に所属していたアハティンサル領であるので、そういった用心は行って然るべきなのである。


 ところが、クーガーにとってはそういった用心は全く必要ない。

 キンモル自身もよくわかってないのだが、クーガーは身に迫った危険をいち早く察知できるからである。


 そんなクーガーがここまで呑気であるという事は、恐らく危険はないのであろう。つまりはアハティンサル領の領民たちは、とりあえず今のところクーガーに害意は抱いてないらしいことは窺えた。


 だが、果たしてキンモルについてはどういう感情であるのか?

 それが当たり前にキンモルにはわからない。クーガーがキンモルに向けられた害意も察知してくれるのかも不明だ。


 恐らくクーガーは教えてくれる、助けてくれる。

 アハティンサル領の領民たちも、恐らく自分をただの近侍に過ぎないと思ってくれるだろう。


 ……という仮定で安心するしかないキンモルにとっては、どこまで行っても心が休まらない。

 それにクーガーの勝手は、アハティンサル領にとっても迷惑であることは言うまでもない。


「知らせずに乗り込んできたのですから、こちらの領民としても対応が難しいですよ。例えば……そう、食事とか」

「とっさの時に糧食の一つも無いなら、それはそれで問題あるな」

「糧食って……」


 糧食とは、この場合戦いの時に口にするような、味についてはあまり重要視されない食べ物だという事になるだろう。

 新しい代官を迎えるにあたって、用意するような物ではない。


 しかしながら、アハティンサル領の備蓄具合や、普段の備えについては突然のことであるから、誤魔化しようもなく詳らかになるだろう。

 そう考えると、クーガーに深い考えがあるようにも思えるのだが、キンモルは当然そんな風には思わない。


 だからこそキンモルは、ため息をつきながら言わずもがなの問題点を口にする。


「寝るときは?」

「屋根があれば良いだろう」


 即座に予想された答えがクーガーから返ってくる。

 クーガー、というかニガレウサヴァ伯領出身の二人にとっては、その答えもある意味では正解でもあるのだ。


 まるで戦場――と考えれば、クーガーなりに新しい任地への覚悟はあるのだろう。

 改めて主人の様子を観察してみると、クーガーは街並みの一角を注視していた。


 キンモルがその視線を追ってゆくと、身体の大きい男が縮こまりながら建物の影に消えてゆく様子が見える。そしてその背中に向けて、他の領民が冷たい眼差しを投げつけていた――

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