アハティンサルの歩き方

 「竹林峡」はその名の通り、隘地に竹が生い茂っている奇観の名所でもある。

 クンシランはこの「竹林峡」に立てこもって、王国のシーミア公爵軍を迎え撃った。


 そんなクンシラン配下の傭兵隊の後背に襲い掛かったのがアハティンサル領の兵士たちだった。アハティンサル領の兵士は精強であることは知られていたが、この時クンシランに最も被害を与えたのは火薬の爆発である。


 それもクンシランが「竹林峡」に蓄えていた火薬であり、アハティンサル領の兵士たちは躊躇いなくこれらの火薬に火を放った、という顛末があった。


 その経緯が派手すぎるために、王国からアハティンサル領へ続く道は「竹林峡」しかないような印象になってしまう。

 先だっての戦いで初めてアハティンサル領を知った者は、確実にそんな風に「誤解」してしまうのも無理はないところだろう。


 しかし実際には王国とアハティンサル領を繋ぐ道は、もっと平坦な地形でも敷設されており、今二人が辿っている道も王国の東に位置するフローディスポーネ公爵領から始まるランスティン街道の果てに接続している。


 そのため、アハティンサル領が特殊な地形によって所謂「陸の孤島」みたいな状態になっているわけでは無いのだが、それでもアハティンサル領が王国の住人にしてみれば「異郷」であるという印象が拭えない。


 その理由はまず衣食住に渡る文化の違い。これは概ね帝国の文化に近いのでまだ割り切ることも出来る。

 だが、使っている言葉が王国の言葉とも帝国の言葉とも違うせいで、まるでアハティンサル領が世界からあぶれた領のように感じてしまっても仕方のない部分はあるのだ。


 その上である――


「――アハティンサル領は北から、シチリ氏族、ヤマキ氏族、センホ氏族という三つの氏族に別れていまして」


 そのあぶれ者たちの中でも、内訌があったのだろうと思わせるキンモルの説明が続く。どう考えても、アハティンサル領は治めるのに容易いような領ではないだろう。

 しかしクーガーは変わらず呑気に、周囲を見渡した。


「ヤマキ氏族ってのはさっき言ってたな。つまり俺たちは領の真ん中に乗り込もうとしてるわけだ」

「そうなります。王国にしても帝国にしても、アハティンサル領を治めるための府はヤマキ氏族が中心になっている土地にありますから」


 そもそも、そういったアハティンサル領の内政の中心部――謂わば領都にあたる街の名は「ヤマキ」という名前なのである。

 ヤマキ氏族が住んでいる地域がアハティンサル領の中心であることは間違いないだろう。


 では他の二つの氏族に関してはどうか?


 シチリ氏族は北方の丘陵地域に居を構え、基本的には我関せず的なスタンスであるらしい。

 そして南方の山岳地帯を含めた――つまり「竹林峡」を含めた――地域に住まうセンホ氏族は、祭祀階級に属するものを多く輩出している。


 そして位置的に帝国との影響も大きく、王国に対しては反抗的であろうことが予測された。


 アハティンサル領は先だっての動乱で帝国から王国に割譲されたばかり。

 そのため王家の直轄地になっており、新しく王家に連なることになったクーガーが代官として赴くことになったわけである。


 アハティンサル領の特殊性、特にセンホ氏族の存在から鑑みるに、クーガーは王家に疎まれているようにも思えるわけだが、実情はそこまで単純なものでは無かった。

 それがまたキンモルに辞職の決意を鈍らせる要因でもあるのだが……今はとにかくアハティンサル領の解説に夢中になっているようだ。


「それでセンホ氏族が祀る神々についてなんですが――」

「その辺りはスイーレに任せてるよ。まず資料が読めないからさ」


 使っている言葉が違う、という事はこういう弊害があるという事だ。

 もちろん、王国でもそれなりに知っている者も当然いるのだが、アハティンサル領が長らく帝国領だったために、どうにも頼りない。


 むしろ民間の方が様々な資料があるわけだが、それは当然雑多であるため知識を得る前に収集した上で整理という手間がかかるのである。


 その点、クーガーの婚約者であるルースティグ伯令嬢ラナススイーレ、通称スイーレはこういう仕事に適した人材でもある。


 何しろ貴族令嬢のお遊び以上に熱を入れて運営している、推理小説専門のレーベル「ラティオ」の主宰なのだから。彼女が抱えている小説家たちに声を掛ければ、割とあっさりと資料が集まる可能性もある。


 それでも時間は必要なことは間違いないので、スイーレがクーガーに同行していない理由としてはそれが主だった理由になるだろう。


 何しろスイーレの能力は、婚約者のクーガーに勝るとも劣らぬ奇異な部分があり、キンモルとしてはそこにも恐れを抱いている部分がある。


 それでも知らないよりは知っておいた方が良い、という考え方で思い切って尋ねてみることにした。

 あるいはクーガーが少しは緊張感を持ってくれるかもしれないと期待して。


「スイーレ様は、何か仰っておられましたか? その……代官心得みたいなものを」

「ああ、うん。ちゃんと教えて貰ったぞ」

「そ、そうですか。スイーレ様は何と?」

「“敵を作れ”ってさ」


 その言葉にキンモルは息を呑み、次いで沈黙を選んだ。

 ただ夏の日差しだけが、二人を灼く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る