クーガーのおさらい
青々とした草原の中を二騎の馬が悠々と進んでゆく。
先頭を進む一騎にまたがるのは、漆黒の瞳に白い髪でふわふわ頭の若者だった。
――名をクーガーと言う。
最近になってアキエース王家に迎え入れられた、簡単に言えば「王子」という事になる。それも単に王子になったわけでは無く、先だっての王国の動乱にあたって「異常」とも言える功績を打ち立てた。
それもまた簡単に言ってしまえば、軍人として稀有な能力を示したという事になる。今もクーガーの身を包んでいるのは、真白な軍服だった。
それは王国近衛兵の軍服ではある。
ただし、クーガーがそれを着ているのは王家の一員である自覚が芽生えたからではなく、今まで身につけていたニガレウサヴァ伯家の軍服が黒系統であったため夏向きでは無かったからに過ぎない。
クーガーと言う男はその点から窺えるように、まったく自由な部分がある男だった。今も夏の日差しの下、かなり呑気に歩を進めている。
これから王家の代官として、一年前にはチュイン帝国の支配下にあった、アハティンサル領に乗り込んできているのに、だ。
その点、クーガーに従う一騎、それにまたがる眼鏡の青年は常識的な反応を見せていると言えるだろう。
赤銅色の髪はしっかりと撫でつけられていて、身だしなみに隙は無いのだが、何としてもその表情が暗すぎた。
そもそも青年はクーガーに従ってしまっている現状に、思うところがあるのだろう。具体的には「後悔」とカテゴライズされる感情に憑りつかれているような面持ちだ。
彼の名前はキンモル。
クーガーがニガレウサヴァ伯家嗣子であった頃から、クーガーお付きの武官であり、言ってしまえば苦労人である。
それなのに、なかなかクーガーに「お暇をいただきたい」と言い出せないあたり、それはキンモルの自業自得と言えるだろう。
実際にクーガーに辞意を示した場合、あっさりと了承されるのも納得がいかないという未来予想がキンモルを躊躇わせる最大の要因でもあるからだ。全くの役立たずでは無いはずだ、という誇りもある。
「……これ麦じゃないんだな。水の中から生えてる」
「あ、はい。これらは麦では無くて『稲』と呼ばれるものらしいです」
だからこそと言うべきか不意に放たれた主人の疑問に、即座に反応するキンモル。
黙って
キンモルはそのまま続けた。
「この地方の主食ですね。帝国でも主食になりますが『米』がこの稲から収穫できるようです」
「へぇ、これがそうか。俺たちの領じゃ、麦も怪しかったしな」
この場合、クーガーが言う「俺たちの領」というのはニガレウサヴァ伯領の事だ。
王国最北の寒い領で、穀物を育てるのもなかなか難しい環境ではある。
その点、王国の南方に広がる帝国は平均気温も高く、穀物だけではなく各種農作物についても育成可能だ。
その中でも、帝国南方で収穫される果物に関しては、特産品として帝国にとっても潤いを与える輸出品でもある。
アハティンサル領は、そこまでの温暖さはないようだが、ニガレウサヴァ伯領出身の二人にとっては十分に温かい――というか暑さまで感じる気温でもある。
その暑さを感じながら、稲の畑――所謂「水田」の中の舗装されていない土道を進む二人の視界の中には、水田で仕事をしているアハティンサル領の領民の姿も見える。
帝国の衣服と同じ前合わせで、襟や袖口に文様のある布をあてがった衣服に身を包んだ領民の姿は、クーガー達にとってはアハティンサル領が異郷であるという事を視覚から伝えようとしているかのようだった。
しかしそれは十分に予想できたことでもある。
そのためクーガーはともかくとして、キンモルはしっかり勉強してきていた。
「……どうやら、この辺りはヤマキ氏族の土地のようですね。他の氏族も稲を育てているようですが、ここまで広い畑は他の氏族の土地ではまずない……はずです」
「そうなのか。っていうかさ。この領って、もっと山ばっかりだと思ってた」
キンモルの勉強については信頼していることを示し、さらには頼るように尋ねるクーガー。
そうなるとキンモルも悪い気はしない。すぐさまクーガーの疑問に答える。
「それは恐らく、クーガー様が『竹林峡』について調べられたせいかと」
「あ、それだ。クンシランって奴の事を調べようとしたんだよ」
クンシランは少し前の王国の動乱時に、傭兵隊長として王国南部に混乱をもたらした人物だ。
帝国との繋がりを噂される男で、先日の騒動で一旦は王国に捕えられたが、逃げられてしまっている。
クーガーとは直接対決にはならなかったが、動乱に於いてもう一方の主役と言っても良いだろう。
そのクンシランが、王国南部、アハティンサル領に繋がる「竹林峡」において手痛い損害を受けたことは、動乱のターニングポイントでもあった。
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