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これから先、何をされるのだろう。体をバラバラにされて、どこかの国に売られてしまうのだろうか?それとも、何かの薬の実験台にされてしまうのだろうか?あるいは、金持ちたちの道楽のために、観衆の目の前で殺されてしまうのだろうか……?

そんなことを考えて、僕は戦慄した。

横を見ると、彼女はまだ顔を恐怖に引き攣らせ、今にも泣き出しそうな顔をしていた。僕は何か男らしく振る舞わなければ、と思い、彼女に声をかけた。

「きっと大丈夫ですよ!僕たち以外にも起きている人が誰かいるはずです。僕も前の人、頑張って起こしてみますね。」

ゆっくりとした、だがはっきりした口調でそう伝えると、彼女は目に涙をためながら頷いた。

そうだ、もっと大きな声で呼び掛ければ起きてくれる人もいるはずだ。僕は先ほど彼女が声をかけていた小太りの男性に声をかけようと身を乗り出した。

「すみません。」

そう言いかけた瞬間、「ウウッ!!!」という悲痛な唸り声が車内に響き渡った。僕と女子高生は体をビクッと震わせて硬直した。恐る恐る、声のした方向を見てみると、通路を隔てて向かいの席にいる老婆が大きく目を見開いていた。口を大きく開けたまま、その表情には苦しみが滲んでいる。よく見ると、老婆は自分の左胸の辺りを必死に押さえていた。

「ウウウッ!」

老婆は再び大きなな声を上げた。顔からは汗が吹き出し、まるで死神でも見たかのように目を大きく見開いて口を歪ませた。かと思うと、まるで操り人形の糸が切れたかのように一瞬にして全身から力が抜け、そのまま席にもたれて動かなくなった。目を見開いたまま、口から涎のようなものをダラダラと垂れ流している。そのまま、彼女はピクリとも動かなくなった。


女子高生は両手で口を覆いながらこちらを向いた。目を見るだけで彼女の恐怖心がありありと伝わってくる。大きく開いた美しい瞳から、涙がこぼれ落ちそうになっていた。その小さな両手で口を覆って、必死に叫び声を押し殺しているようだった。あまりの恐怖に、小刻みに肩を震わせている。

僕はじっと老婆を見つめていた。大きく目を見開いたまま、ピクリとも動かない。胸を抑えたまま蝋人形のように固まった彼女を見つめているうちに、僕の体は恐怖に支配され、全身から汗が滲み出した。

彼女は、亡くなってしまったのではないか。老婆の光を失った目を見つめながら、僕はそう感じた。悲痛な表情で心臓の辺りを押さえてたから、急な心臓発作だろうか。かなり歳をとっているようだったし、元々心臓になんらかの疾患があった可能性もある。たまたま今この瞬間に発作が起こってしまい、僕たちの目の前で息絶えてしまったのかもしれない。

いや、それ以上に奇妙なのはこの静寂だ。

老婆が発した悲痛な声に、誰一人として反応しなかった。このバスの中で一人の女性が亡くなったというのに、誰も気に留めていない。僕たち以外のすべての乗客が彼女の異変に気づかないなんて、そんなことあり得るのだろうか?


額から汗が流れ落ちるのを感じた。呼吸が乱れ、全身が汗でびっしょりと濡れている。

この状況、どうすればいい?

頭をフル回転して思考する。だが、今この状況について確定的なものが何一つない以上、解決策なんて思いつくはずもない。自分がなぜバスに乗っているのか、このバスはどこに向かっているのか、なぜみんな起きないのか、なぜあの老婆は急に息を引き取ったのか。

ああ、こんなことになるんだったら旅行になんか行かないで、家でゆっくりしていれば良かった。夏休みは全部バイトで埋めてしまえば良かったんだ。そしたらお金も稼げて、彼女もできて、こんなことにもならなくて……

きっと今頃彼女と一緒に遊園地で遊んでいて、一緒に綺麗な夜景を見て、幸せな気持ちで過ごしていたんだ。


「すいません」

その声にハッとして、僕は我に返った。横を見ると女子高生が恐怖で体を震わせながら僕を見つめていた。

「あ、すいません。どうしましたか?」

そう声をかけると、彼女は震えた声で答えた。

「あの、思ったんですけど、運転手さんはきっと起きてますよね……?だってこのバス、今も動いているわけだし。」

僕はハッとした。なぜそれに気付かなかったのだろう。

確かに、このバスがどこかの目的地に向かって今も動いているのなら、必ず運転をしている人間がいるはずだ。この状況からしてその運転手が”大丈夫な人”かは分からなかったが、それでもその運転手となら、会話ができるはずだ。もしその人が仕掛け人だったとしても、先ほどの老婆の件を伝えれば、バスを止めてくれるはずだ。あるいは、もし運転手が敵組織の人間だったとしても、相手は一人だ。何とか押さえ込んでしまえば、バスを止めることはできるだろう。


「そうですよ!そう!」

僕は声を押さえながら彼女に言った。

「よく気づきましたね!うん、きっと大丈夫。ちょっと様子を見てみますね。」

僕はそう言ってゆっくりと腰を浮かせた。僕が座っている席からは運転席が直接見えない。だが前方に設置された小さなルームミラーに運転席が少し映っている。僕は目を凝らしてじっと見つめた。

僕の目に飛び込んできたのは、誰もいない運転席だった。

そこには確かに誰もいなかった。運転手が座るべき座席のみがそこにあり、肝心の運転手はそこにいなかった。僕は戦慄して、そのままドスンと自分の席に座った。

「え、どうでしたか?運転手さん、いました?」

彼女は声を押し殺しながら僕に問いかける。

「いや…その…。」

僕が口籠もっていると、今度は彼女が腰を浮かせて、運転席の方に目を凝らし始めた。


「アアーッ!!!」

突如、バスの中に大きな叫び声が響き渡った。僕は突然のことに体を石のように硬直させた。中年くらいの男の声……いや、まさに前の席にいる禿げ上がった中年男性の声だ。

女子高生を見上げようと首を上に傾けたその瞬間、「ドカン」という鈍い音とガラスが割れるような音が聞こえた。耳をつんざくような大きな音に、思わず体をビクッと振るわせた。瞬間、僕の座席の上を何か黒いものが飛んでいった。それを追いかけるように、何か液体のようなものが飛んでいくのも見えた。

その黒い何かは座席の後方まで飛んでいって、鈍い音を立てて床に落ちた。

数秒の沈黙の後、女子高生は膝から崩れ落ちて席に座り込んだ。彼女は叫び声を抑えるかのように両手で口を必死に押さえていた。その彼女の頬は、何か赤い液体で濡れていた。


それが血液であることに気づくまで、数秒かかった。彼女は手で口を押さえたまま、肩を震わせて涙を流している。彼女の涙と血液が混ざって、彼女の美しい頬を伝って落ちていく。


僕は夢でも見ているのだろうか。状況が飲み込めないまま、僕は恐る恐る立ち上がって前の席を見た。そこにはさっきまでぐっすりと眠っていたはずの中年男性が、無残な姿で横たわっていた。一瞬しか見えなかったが、座席一体に血が広がっている。中年男性の頭は、無かった。

その光景を見た僕は急激に、胃の辺りから込み上げるものを覚えた。僕は膝から崩れ落ち、席にあったエチケット袋を急いで開き、その中に大量に嘔吐した。一通り胃のなかのものを吐き終えた後で、こんな状況でも馬鹿正直にエチケット袋を使っている自分に、なぜか腹が立った。


彼女は全身を震わせながら涙を流し続けている。瞳から涙が溢れるたびに、それは血に濡れて赤く染まり、彼女の顔をつたって落ちていった。



僕は、自分も彼女と同じように震えていることに気がついた。手の震えが止まらない。さっきまで運転手を押さえつけるとか、このバスから脱出するとかそんなことを考えていたのに、今僕は蛇に睨まれた蛙のように、縮み上がった体を震わすことしかできない。

「次は僕かもしれない…」

不意に、頭によぎった言葉がそのまま口からこぼれ落ちた。女子高生の耳にはその言葉が届いていたようで、目から大粒の涙が溢れているのが見えた。


「オギャァァァァ!!」

突然、甲高い声が聞こえた。僕は恐る恐る腰を浮かせて、その声の方向を見た。女子高生は体を振るわせたまま俯いている。

僕が座っている座席から2つほど後ろの席に居た赤ん坊が大きな声で泣いている。赤ん坊を抱いている母親は、うつむいたまま全く反応しない。赤ん坊は母親の腕の中で悲しいような、苦しいような声で泣き続けている。

その瞬間、さっきまで俯いていた母親が、首をガクンと曲げて前を向き、目を大きく見開いた。不気味なその光景に、思わず僕は身をかがめた。母親の表情は徐々に悲痛なものへと変わっていき、突然大きな声で叫んだ。

「キャァァァァァァ!!」

次の瞬間、母親は赤ん坊を抱いたまま吹っ飛んだ。ゴムボールを地面に叩きつけた時みたいに、大きく弾んで後方に吹っ飛んでいく。そのまま母親は5つほど後ろの席まで勢いよく吹っ飛び、その席に頭から突っ込んだ。

グシャッという痛々しい音が響き渡り、再び車内は静寂に包まれた。

僕はゆっくりと座り込み、恐怖で体をガタガタと震わせた。


続けて、遠くで「ドゴン」と鈍い音が聞こえた。座席の隙間から覗くと、赤いキャップを被っていた小さな男のが、目を見開いて宙を見上げていた。口からは真っ赤な液体がこぼれ落ち、全身の力が抜けたように座席に持たれている。かろうじて座席に収まっているが、今にも通路に倒れ込んでしまいそうだった。


やがて後ろの方で誰かが動く気配を感じ、僕は腰を浮かせて後方を眺めた。さっきまでうつむいたまま動かなかったスーツ姿の男性が突然目を見開いて前を向いている。やはりその男性も恐ろしい表情をしていて、何か小さな声でブツブツと呟いていた。

「ごめ……」「向こうでも……一緒……」という言葉だけが、かろうじて聞き取れた。そのまま彼は呟き続け、突如全身に衝撃が走ったように体を後ろにのけぞらせた。そのまま彼はまるで溺れているかのように苦しそうに顔を歪めながら、悲痛な表情で天井を見上げたまま動かなくなった。口からは透明な液体が大量に溢れていた。

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