残されたもの(短編小説)

小木

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眩しい光、大きな音。これまでに感じたことのないような衝撃と、頬を伝う温かい液体。

苦しいようで心地よい。何も見えない真っ暗な世界の中で、ただその感覚だけが、確かにそこにあった。


僕はハッとして目を覚ました。

低いエンジン音と座席が軋む音。どうやら、僕はバスに揺られているようだ。

ふと窓の外を眺める。

窓の外は暗く、一体どこを走っているのか全く分からなかった。道の脇には街灯が一定間隔で立っていて、道を進むたびに一瞬だけバスの中は眩しい光に包まれた。

一体どこに向かって進んでいるのだろうか。なぜ僕はこのバスに乗っているのだろうか。

僕には何も分からなかった。


車内は薄暗く、あまりに静かだった。車内の暗さに目が慣れた頃、周りの様子がぼんやりと見えてきた。

隣の席に目をやると、女子高生だろうか、制服を着た若い女性が座っていた。長くつやのある黒髪を垂らし、眠っているのか、俯いている。顔はよく見えなかったが、鼻筋が通っていてかなりの美人に見えた。僕は少しだけ腰を浮かせて、車内の様子を眺めてみた。

バスには僕を含めて十数人が乗っていて、みんな寝ているのだろうか、一様に下を俯いて動かない。バスにはさまざまな客が乗り合わせているようだった。

スーツを着たサラリーマン風の男、小さな赤ん坊と一緒に座っている若い母親、上品な身なりに白髪が目立つ年老いた女性、赤いキャップを被った小学生くらいの男の子。


僕はバスに乗るまでのことを思い出そうと、頭の中で記憶を手繰り寄せた。今日は大学の友人たちと一緒に夜のドライブに出かけていたはずだ。大学はちょうど夏休みだったから、友達と一緒に東京から大阪までの旅行を計画していたのだ。

友人の家で待ち合わせ、4人揃ったところで車に乗り込んで出かけた。東京から大阪まで車で約6時間。長い旅だが、時々運転を交代しながら向かうはずだった。

車に乗り込んでから数時間、お菓子を食べながら友人たちとくだらない会話で盛り上がった。高速道路を走っている途中で「静岡」の地名を発見した友人が「静岡に入ったらとりあえずどこかのサービスエリアに寄ろうぜ。もう膀胱が破裂しそうだよ。」と笑いながら言っていたのを覚えている。

それからもしばらく車で進んでいたはずなのだが、どうにもそこからの記憶が曖昧だ。途中で眠ってしまった気もする。

だが、なぜ僕は今バスに乗っているのだろう。車で大阪まで行くはずだったから、途中でバスに乗り換えたとは考えにくい。それに、一緒に車に乗っていたあいつらはどこに行ったんだろう?


僕が必死にこれまでのことを思い出そうとしていると、隣に座っていた女子高生が「うう…」と声を出してゆっくりと顔を上げた。女子高生は二、三度周りを見回した後隣に座っている僕の方に目をやった。ぱっちりと開いた目に整った鼻筋、ぷっくりと膨れた唇が印象的だった。明らかに美人と言える容姿であった。吸い込まれてしまいそうな美しい瞳に、僕はハッとした。

数秒目があった後、彼女は一瞬にして警戒心に溢れた表情を見せた。

「あの、どちら様ですか?」敵意を込めた口調で彼女は言った。

「あ、あの、僕は都内の大学に通ってるものでして、、いつの間にかこのバスに乗っていまして。。」

急に敵を向けられて狼狽した僕はそう答えたが、よく考えたら「いつの間にかバスに乗っている」なんてことはあり得ない。

僕のセリフに、彼女も怪訝な表情を見せている。なんとか警戒されないように自分の状況を説明しようと再び頭を悩ませていると、彼女は少しだけ腰を浮かせて車内を見渡し、その後でまた座ってこちらを見た。

「あの、こんなバス、乗った覚えないんですけど……」


僕の額を汗が流れていくのを感じた。

「え?」

わけもわからず、僕はすっとんきょうな声を出した。

「いや、私さっきまで迎えの車に乗っていて、こんなバス乗ってなかったんですけど。」

彼女は明らかに動揺しながら続けた。

「私、予備校の帰りにお母さんの車に乗って、家に帰ろうとしていたんです。今日の夕飯はハンバーグだって、そんな会話をしていて。こんなバス、乗った覚えないんです。」

どういうことだ?彼女も僕と同じように知らないバスに乗っている?現実的に考えて、そんなことがあり得るのだろうか?

たまたま二人とも、気付かないうちに知らないバスに乗ってしまって、さっきまで眠っていたというのか?


なんとか現実的にあり得る状況を考えていた僕は、これが巨大な犯罪組織の陰謀ではないか、と考えた。例えば僕たちは何らかの方法で眠らされてバスに乗せられ、今その巨大な組織のアジトに連行されている。僕たちの家族には犯人たちから身代金が要求されていて、きっと外の世界ではそれがニュースになっている。

いや、もしかしたらこれはテレビ番組の大掛かりな企画か何かで、隣にいるこの女子高生もまた仕掛け人の一人なのではないか?今僕は隠しカメラで動揺している様子を撮られていて、スタジオでは芸能人たちが僕たちを見ながらゲラゲラと笑っているんじゃないだろうか?

「素人たちを勝手に誘拐した様子をモニタリング!」きっとこれは、そんなくだらない番組の大掛かりな企画なんだろう。


僕は自分を納得させるかのように、座席や天井に目を凝らしてカメラを探した。そんな様子を隣で見ていた女子高生が再び口を開いた。

「あなた、私のこと騙そうとしてますよね」

「え?」

急な言葉に動揺したが、なるほど、彼女も僕と同じような発想に至って、僕が犯罪組織の一員であったり、テレビ側の仕掛け人だと思ったのだろう。

「いや、違いますよ。僕も何が何だか分からなくて、ただ友達と一緒に車に乗ってただけなのに。。」

女子高生はまだ疑いが解けないようで、僕からなるべく離れようと体を隅に寄せている。恐怖心と警戒心が入り混じった表情で、こちらをじっと見つめてくる。

「いや、ちょっと落ち着きましょうよ。」

そう言ってなだめようとするが、それが逆に彼女の猜疑心を煽ってしまったようだ。彼女は我慢の限界が来たかのように、通路を挟んで向かいの席にいる白髪の老婆に声をかけた。

「すみません、、ちょっと、すみません!」

老婆は深く眠っているのか、彼女の声に全く反応しなかった。我慢ならない様子で彼女は老婆の肩を軽く揺すったが、それでも老婆は目を覚さない。

彼女は諦めて、前の座席に座っていた男性にも声をかけた。その男性は50代くらいの少し禿げ上がった小太りの男のようで、紺色のスーツを着ていた。

「すみません、聞こえますか?」

彼女は先ほどよりも大きな声で問いかけるが、男性は全く反応を示さなかった。彼女は前のめりになってその男性の方を揺すってみたが、彼はまるで人形のように、何の反応も見せなかった。

彼女はバッと立ち上がり、周りに向かって向いてさっきより大きな声で言った。

「すみません!私の声聞こえてますか?」


女子高生の声が響き渡り、やがて静寂が車内を包んだ。女子高生はたったまま車内を見回している。それから数秒間、バスの走る音以外、何一つ聞こえなかった。誰かの返事はおろか、ヒソヒソ話すような声も、咳払いでさえも、誰かの呼吸音も、何も聞こえなかった。ただ奇妙な静寂だけがそこにあった。

しばらくすると女子高生は体の力が抜けたかのようにドスンと席に座った。その横顔を見ると、さっきまで滲んでいた警戒心や猜疑心が表情から消え、子供のように怯えていた。明らかに動揺し、唇を震わせている。


見かねた僕は、なるべく落ち着いた口調で声をかけた。

「…なんか、みんな寝てるんですかね。」

その声に、彼女は俯いたまま少しだけ頷いた。僕の言葉に納得したわけではなく、「きっとみんな寝ているんだ」と自分に言い聞かせるように、ゆっくりと頷いていた。

もし全員が寝ていたとしても、先ほどの彼女の声に全く反応を示さないはずは無いだろう。いくらぐっすり眠っていたとしても、誰か一人くらいは目を覚ましたりするはずだ。

だとすれば、全員何かの薬で眠らされてしまっているのだろうか?もしくは、僕たち以外全員気を失っているとか?さっきまで冗談みたいに考えていた巨大な犯罪組織の影が、何だか現実的なものに思えてきた。

不気味なほどの静寂と夜の闇の中、自分の心臓の鼓動だけが確かに聞こえる。

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