相補的

「葉子、髪伸びた?」

「ん? そういえばだいぶ切ってないや。うなじが蒸れるかも」

「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆ結って差しあげましょうか?」

「なんで敬語なん。ポニテはやったことなかったかも。お願いしずま」


 粉砕してシャーベット状にした氷に着色したソーダで味付けしたものを食べてから、私たちは部屋まで戻ってきていた。葉子たちはどこからか持って来た扇風機の前で戯れ、淫乱院櫻子はこれ見よがしに縦ロールを解こうと四苦八苦している。


 陽菜もだいぶ落ち着いたみたいで、今は隅で天井を眺めていた。私はそこの売店で買った鈴カステラを半開きの口へ放り込む。「むごっ!?」陽菜は混乱してデスメタルみたいになっていた。


「ゆずっ、ゆずりはっ……なにっ、なんで?」

「ご、ごめん。本当は指突っ込もうと思ったんだけど。後はささやかな嫉妬かな」

「し、嫉妬なら許します。でも指の方がよかったです……」


「いやクラスメイトがクラスメイトの指舐めてるのを、あたしたちはどういう目で見ればいいのよ」


 何故か常識人面している水島しずまだが、葉子の髪を結いあげている際には気味が悪い笑顔を刻んでいたことをここに明記しておこう。どう考えても異常性は向こうの方が上だ。


「海原の具合がよければ、日が傾く前に課題済ませちゃおうぜ。明日にやるのも面倒でしょ」


 葉子はポニーを手で弄びながら発案する。名を呼ばれて陽菜はゆるゆると顔を上げた。


「へ、いきです。歩けます」

「そう? まあ無理そうなら天野が即座に発見するしいいか。すっかり保護者面だ」


 鈴カステラを葉子へ投げつけると、奴は優れた外野手の如く掴み取り、水島しずまと半分こしていた。「もう一個プリーズ」軽く放ってやると、今度は淫乱院櫻子と分け合っていた。


「ゆ、ゆずりは」控えめな主張があったので陽菜にも鈴カステラを分け与えた。


 不満げな表情が変わらなかったので半分に割って差し出すと、笑顔の花を咲かせる。ほっこりした。太陽の笑みにあてられ怒りがたちどころに蒸発した。


 広島弁の寮母が目撃したら卒倒しそうなやり取りを終え、私たちはぞろぞろと遺跡へ足を向けた。


 遺跡と聞くからにはミステリーサークルのような凸凹したものをイメージしていたのだが、案に相違してだだっ広い平原があるに過ぎなかった。


「石器時代の遺跡って、貝塚とかあるかと思ったんだけど、違うみたいだね」

「そういうのが出土したのって結構昔よ? 流石に今はないわよ」


 足元の土を掬いながら、水島しずまが答えた。


「あ、あの……これじゃ、まともなレポートを書くのは難しいのでは……」


 陽菜も私と同じようなものを想像していたのだろう。落胆と困惑によっていつも以上に挙動不審だ。


 水島しずまは大儀そうに立ち上がった。雑草を毟って遊んでいた葉子に言う。


「そうね……どうする葉子」

「え? あー、うん。ハゲは私の適当な演説でも言いくるめられるし、土質の一つを取っても悠久なる云々とか書いときゃいいんじゃない?」

「石塚先生は、確かに……その、頭髪に恵まれてるとは言い難いけど、ハゲってあんた」


 昨年度は来なかったのか。疑問に思ったが、それを追及するほど葉子たちに興味はないので、取り敢えずスマホで何枚か写真を撮っておいた。

 この遺跡の沿革を写真つきで解説したらそれっぽいものが出来上がるだろう。


 陽菜を混ぜて謎のじゃんけん大会を開催していた連中へ、撮影した数枚と共に呼びかける。


 「ならそれでいいね。さすあま」


 人を舐め腐った葉子の賛辞と共に、趣旨もわからない大会への参加を強制され、あえなく初戦敗退という苦杯をなめさせられてしまう。なんということだ。私は天を仰いだ。


 優勝した陽菜がどうすればいいのか困っていると、くぅと可愛らしい音が鳴る。淫乱院櫻子はお揃いのポニーテールを嬉しそうに弄りながら、


「みなさま、空腹でありませんこと?」


 と恥じる様子もなく言った。


 遺跡への滞在時間十数分という不真面目な学生らしさをほしいままにした私たち一行は、すぐさまロッジへ戻って昼食と洒落込むことになる。何だこれと首を傾げたが、学生というのは本来そういう生き物なのだろう。


「去年もこんな計画性なかったの?」


 隆々たる衣をまとったえび天を齧りながら葉子に問う。


「そーねー」


 奴は老人みたいに蕎麦湯を啜りながら頷いた。「んー……」そして珍しく、言葉を探すように切り出す。


「何だろ、私たちは時間に縛られて生きてるわけじゃん? 効率性とかばっかり求められる世の中だから、どれを数分で終わらし早めに準備をしておくことで……みたいな。えーっと、なんだ、誰もが分刻みのスケジュールに追われているわけだよ」


「葉子が珍しくまともなこと語ってる……!」


「しずま茶化さないで。まあだから……なんだろ、天野とか海原とか、言っちゃ悪いけどいつも周りキョロキョロ見回して余裕なさそうじゃん。

だから、何者にも束縛されない解放感というか、そういうものを味わって欲しいと、私個人としては思い提案したわけだ」


「葉子の提案でグダグダになったけど」


「天野の妙案で片付いたようなもんだから良いのさ。終わりよければすべてよし。だって天野、ぶっちゃけ今結構リラックスしてるでしょ?」


 私は陽菜を見た。彼女は小動物のようにハムハムと、小さくそばを口へ運んでいる。


「どうだろうね」

「全てが海原基準はやめなって。あれか。ポテトとハンバーガーか。嫁か」


 ぶぼっと陽菜が咳き込む。

 今日は何かと気管支に優しくない日だ。


 私はそばをそのまま啜り、代わりにえび天をつゆに付けてしまうという愚行を犯してしまっていた。せっかくの衣が台無しだ。


 淫乱院櫻子がちょっと難しい顔をする。


「まぁ、葉子ったら。同性間での婚約はできませんわよ?」

「事実婚して国から黙認されてるのは結構いるらしいですよ?」

「うぇ、そうなの!?」


 水島しずまがそわそわし始める。そのそわそわ足るや、箸でつまみあげた麺を飲み水のコップへ浸しても気付かないくらいだ。葉子が険しい表情で吸い込まれる麺を見ていた。


 しかし今の私はそんな挙動不審を笑うことが出来ないほど混乱していた。葉子が何気なく口にした嫁という比喩が、集中線を伴って縦横無尽に飛び回っているのだ。

「てぇてぇ」淫乱院櫻子は覚えたてのスラングを嬉しそうに言った。「ぐはっ」水島しずまが机の脚でスネを打っていた。


 このままじゃ醜態を晒すかもしれない。陽菜の前で体裁を保っても無意味だとわかっているが、何となく葉子たちと一緒だと流体らしい私でいたいという意味不明な見栄があった。ごちそうさま。不作法を断わりながら、手を合わせて立ち上がる。


「ゆずりは、どこへ?」


 そんな置き去りにされる子どもみたいな目つきをされると、胸がときめいて困る。


「ジュース買ってくる。陽菜も何かいる?」

「あ、ちょっと、待って」


 陽菜はザルの上に横たわる大きな灰色を箸でむんずと摘みあげると、そのまま器用に口の中へ押し込んだ。


 いささかお行儀が悪いが、対岸はもんどりうつ水島しずまに気を取られているので責め立てる者はいない。


 そんなに一緒にいたいのか。

 私は湧き上がる歓喜を押しとどめるように苦笑を浮かべた。陽菜はなにと勘違いしたのか、愛らしく控えめに笑った。


 猛烈に頭を撫でてあげたい衝動に駆られたが、何とか深呼吸で誤魔化せた。


「葉子さん、たち」


 私が靴を履いていると、陽菜は賑やかな大部屋を見ながら言った。


「賑やかな人たちですね」

「羨ましい?」


 はからずも鋭い口調になってしまったことを後悔する。私は感情の種類が少ない代わりにそれらの制御が不得手だ。


 マキちゃんのことや、ポーカーフェイスが苦手なことからそれが窺える。


「いいえ」私の杞憂を追い払うように、陽菜はゆっくりと首を振った。


「……わたしは、その、賑やかなのはそんな上手じゃありませんから」

「奇遇だね。私もうるさいのは苦手だ」

「うるさいって……」

「あ、一緒だって言ってくれないんだ」

「え? い、言って欲しかったんですか……?」

「うん」

「ど、うして?」


 私はサイフに小銭が入っているか確かめてから、


「その方が嬉しいからかな」


 陽菜がなにか反応を返すより早く、精妙な磁器みたいな指先を握った。


「行こうか」

「……」


 しかし一歩を進めず前につんのめってしまう。陽菜もつられて転びそうになったが、寸での所で踏みとどまれた。


「嫌だったかな」

「あ、いえ、そんな。ただ……」

「ただ?」

「……この間から、ゆずりはが、なんだか、積極的だと感じまして」


 瞬間、私の脳細胞はまさしくトップギアで回転を始めた。受験期でさえここまで凄まじい思考速度を見せたことはないだろう。気分はまるでイタズラ小僧だ。


「そうかな」


 算出出来たのはありきたりな返答だった。天野楪に搭載されたCPUはとっくに型落ち扱いなのかもしれない。


 それきり陽菜は無言になってしまい、しかも顔を背けられるという始末だ。


 私は自分でもビックリするくらいのショックを受け、陽菜が顔を背けた理由を深く考える余裕を失った。


 これまで陽菜と共有する沈黙は気心の置けない心地いいものだったが、今回は若干の気まずさを含むものだったのも大きい。


 暗い面持ちのまま大部屋に戻ると、乱闘は既に収まって、一同は仲良くモノポリーに興じていた。もうボードゲーム同好会でも設立すればいいと思った。どうやら今の私は気が立っているようだ。


「景気悪いわね……」

「は?」

「ひっ、なんで天野が怒るのよ……」

「コラ天野。しずま虐めんな。ぶっ殺すぞ」

「まあ葉子ったら品位に欠けますわよ?」

「僭越ながらわたくし手ずから大地の養分とさせていただきます。ご了承ください」

「エクレセント!」


 水島しずまは身震いしながらルーレットを回す。現在首位を独走しているのは淫乱院櫻子のようだ。


 現実でも金のある者がゲームをも制すというのは、何とも反民主主義的ではないか。


 駄目だ。私は買ってきたファンタを一気飲みする。

 甘ったるい紫色が食道を冷たく潤す。


 どうやら予想以上に動揺しているようだ。普段の自分がどういう態度なのかを思い出そうとするが、考えるほど自然体が遠ざかっていくような気がした。


「……」

「なによ、天野機嫌悪いの?」

「例の日だから放っておいてください」

「機嫌もタイミングも悪いわね……」


 水島しずまは陽菜の方へ視線を転じた。部屋の隅で壁に向かって指で何かを描いていた。


「海原は何してるのよ」

「恥ずかしいですけど、嬉しいです。これって思い上がりなのでしょうか」

「あんた達がわからないわ……」


 頭を抱える彼女は素っ頓狂な声をあげていた。どうやら盤上で更なる負債を背負うことになってしまったようだ。


 無駄に広い敷地内を歩きながら考える。


 セミの声は少し控えめになり、それを補うように鈴虫たちが寄り集まって大合唱の準備をしているようだ。傾いた日が梢を黄金色に照らし出していた。


 自惚れではなく、私は陽菜に好かれているだろう。度重なる彼女の奇行を根拠とすることもできる。


 つまり顔を背けられたことは彼女の照れ隠しであり、ネガティブは的外れなのだ。


 自分が恥ずかしがるべきか怯えるべきかを分析して、単に緊張しているだけなのだと気づいた。


 鋭敏になった知覚では、陽菜の一挙手一投足が何倍もの価値を誇って飛び込んでくる。


 それが私から落ち着きとか余裕とかを払底して、混乱させる。


 初々しいなぁ。

 初恋の中学生か。


 皮肉を吐き、その評が正しいことを理解してしまった。


 流体と僭称せんしょうし、他人を見下すことで価値を下げて承認欲求を抑え込んできた私は、これまで誰かを好きになったことがなかったのだ。


 そうでなくとも頭髪の問題で、昔から人との関わりは私にとって苦痛と恐怖しか生まなかった。私の他者への欲求は、つまるところ自己防衛本能と紐づけされたものである。こんな状態で恋をするなんてよっぽどのマゾぐらいだ。


 だから理論上陽菜に嫌われていることはあり得ないとわかっていても、平静ではいられなくなる。

 私はどちらかといえば帰納法で思考するから、経験という根拠がないと不安でたまらなくなってしまうのだろう。


 でも、不快ではなかった。必死に練習し、太鼓判を押され、本番に臨む直前のような。みなぎっているのは、そんな自信のある緊張感だ。


「陽菜……」


 呟いてみる。胸の奥がじんわり温まった。頬が熱くなった。


 遠くの稜線りょうせんに沈みゆく。昼と夜のホライゾンでは薄紅と藍色が絶妙な塩梅で混じり合っていて、論理性皆無の仮託で、なぜだか背中を押されたような気がした。


 軽い深呼吸を挟んで部屋に戻ろうとする。そこで、気まずそうな顔をする水島しずまと目が合った。


「あ、えーっと、ごめんなさい。盗み聞きする気はなかったんだけど」


 彼女の手には詩集の施されたハンカチが握られていた。お手洗いの帰りだろう。


 私は沈黙を保つことにした。


 水島しずまとは間に葉子を置くことで辛うじてつながっている関係性で、俗な表現を用いれば友達の友達だ。そんな相手なので何を言うべきかわからなかった。


 向こうも派手な外見とは裏腹に非社交的な性質のようで、気まずさを隠そうともせず(あるいは隠すことが思いつかず)、もみあげを弄ったり視線を散らしたりしていた。


 長い時間戻らなかったら不審に思われるかもしれない。成功率を下げる要因は可能な限り排除したかった。


 私は嘆息を装って一拍吐き出す。そして切り出した。


「どう思った?」

「え? あ、えーっと……」


 露骨に目を逸らした辺りから察するに、概ね想像通りだろう。本当にわかりやすい。


 だが、葉子が近くにいたことから気が緩んでいたに違いない。水島しずまは私たちに薄く張り詰めた警戒心を向けながらも、幾度となくボロを出していたのだ。


「水島しずまも同じでしょ?」

「なにが、よ?」


 確認の声音は震えていた。そこで、大きく目が見開かれる。


「まさか、天野も葉子を?」

「いやそれはない」

「いいいいいいいいやややっ! だだだだだだだだだだだだってさ! 天野と葉子の仲良いし……葉子、変な子だけど悪い奴じゃないし、そのどこか大人びているところあるし、気持ちはわかるけど」


「君テンパるの好きだね」

「え。え!? 違うの!?」

「違うし。そっちが勢いよく墓穴掘っただけだし。そうなんだ、葉子好きなんだ」


 水島しずまは悶えた。


 難儀な態度を見ていると、緊張も解けて同情心が湧き上がってきた。


 私も対人は得意じゃないが、こいつのそれは筋金入りだ。繊細な分陽菜より重症かもしれない。


「こ、このことは、葉子には」

「水島しずまの恋路には興味ないよ。好きにすればいい」

「あんた冷たいわね……」


 こいつめんどくさいなぁ。陽菜と反りが合わないとこの間言っていたが、多分私とも合わない。


「どうでもいい事柄に対して、さも関心のあるように振る舞う方が不誠実だと思わない?」

「確かに……」

「うん。だから私は君に干渉しない。だからそっちも私の邪魔はしないでくれると嬉しい」

「……いや、最初からそんなつもりないけど」

「ならいいや」


 少なくとも水島しずまは害にはならない。

 それなら放置しておいてもこれといった問題は生じないだろう。


 ほっと胸を撫で下ろす。万が一ゴシップ指向の詮索好きな人物で、根掘り葉掘り尋ねられたら対応に困っていた。


「あ、ちょっと」


 呼び止められて振り返る。目が合って、僅かに臆しながらも、


「でも。あ、あたしは応援するわよ? 正直、天野って心がないと思ってたから。海原が天野にとって道しるべ? ……になるのなら、それって良い事だと思う」


 何気なく持ち出された救いという単語が、妙に私の関心を引く。道しるべ。反芻すると、それは私たちを端的に表す表現だと感じた。お互い社会で生きていくには決定的に欠けているものがあり、だからこそ私は陽菜に惹かれるのだろう。


「……ありがと。水島しずまも、うまく行くといいね」


 水島しずまがどういう表情をしていたのか、逆光で良く見えなかった。

 日は暮れていく。


 時は近づいていく。


 ※ ※ ※


 月明かりが美しいと思うんです。陽菜ははにかみながら言う。

 夏草って、夜になると月明かりで金銀に輝くじゃないですか。わたし、それがとても好きで。


 陽菜の好きなものに包まれて描かれるのなら、私は額縁の中の自分に嫉妬してしまいそうだ。


 夕食のいかにも高級そうなコースを乗り切った私たちは、少し重たい胃袋と戦いながら、昼間訪れた遺跡跡までやってきていた。


 わずかだが上向きに勾配があるので、一面に生い茂る草の海原を見渡せる。


 陽菜に指示された位置へ折りたたみ椅子を展開した。陽菜は慣れ親しんだ手つきで、私たちの身長ほどもあるイーゼルを組み上げる。


 思わず感嘆の声が漏れた。本位で描いていたとはいえないけれど、それでもやっぱり陽菜はプロの画家なのだ。


 避暑地として有名な場所なので、夜風は少し肌寒い。半袖を着てきたことを後悔しながらも、腰かけて表情を引き締めた。


「あ、いえ。そんな意気込まなくても平気です」

「そうなの?」

「はい。ゆずりはのゆずりはらしさって、やっぱり演技の奥に隠された臆病でかわいらしいところだと思うんです。わたし、そういうところが素敵だと思っています」

「あ、あぁ……うん。ありがとね」


 こういう時の陽菜はやたら恥ずかしい言葉をためらいなく使ってくるから対処に困る。

 指摘したら照れてくれるのだろうけど、陽菜は筆を握り、いつになく表情を引き締めた。それを邪魔するのは気が引けたし、何より私は陽菜のそんな顔をもっと眺めていたかった。


 木炭みたいなものと、小学校から久しい練り消し。イーゼルの足にある突起に顔料の入った袋を引っかけると、ますます雰囲気は厳粛なものと化す。


「同じ態勢は辛いと思います。楽にしていて平気です」

「……」

「ゆずりは?」

「ふぇ? うん、わかったよ」

「どうかしたんですか?」


 私は答えに窮した。このタイミングで陽菜に見惚れていた、なんて言ったら告白したようなものだ。「気にしないで」訝る陽菜を愛想笑いで躱した。


 かまびすしく鈴虫がさえずっている。


 静寂のはざまで、陽菜の指先はキャンバスを行き来する。時に流麗に、時に荒々しく、時にたおやかに。


 それは指揮者の手つきと似ていた。


 病的なまでに白い陽菜の指先が、炭素で黒く染まっていく。それすら私を恍惚とさせる要因となる。


 私は二階堂深月の心境を、いま深々と理解していた。

 おそらく彼女はこうなった陽菜をどこかで見たのだろう。

 神々しささえ漂わせる陽菜の集中力は、およそ人の世にあるべきものではない。

 常識という物差しから憐憫を抱かせるほど逸脱した、万夫不当の天賦の才。触れてはならないと悟っていながらも、それでもなお近づきたくなる衝動。


 大げさだが、私はいま生を実感していた。

 陽菜と二人で閉ざされたこの世界で、全身に火を浴びる植物のように、のびのびと呼吸ができている。これまでにないほど落ち着いている。


 そこが私と二階堂深月の差違だ。彼女は憧憬しょうけいしてしまった。焦がれてしまった。こんな、とても人の身には余るものを手に入れたいと願ってしまった。


 これは陽菜固有のもので、その身を形作る原子の一つでも異なれば、きっとするりと抜け落ちてしまう。


 だから二階堂深月は虚像を追いかけるしかない。たどり着くことのない蜃気楼を追いかける、砂漠のさすらい人のようだ。


 体育祭の日。

 私以外にも信じられるものがあればいい、そう陽菜は漏らした。今ならその気持ちもわかる。人は自分以外にはなれない。そこに性質の良し悪しはあれど、配られたカードで自分と向き合い続けるしかない。


 いつか、二階堂深月にも救いがあればいい。私も強く願った。あのまま虚栄の物質に押しつぶされ、二度と立ち上がれなくなる前に、何か手に入れられるものがあればいい。


 だがそれは、あくまで願いでしかない。もしも二階堂深月の目が曇って、満たされない欲求を追いかけるだけの存在になったとしても、心を痛めるだけで、救おうとはしないだろう。


 やがて陽菜は木炭を置いた。いつもの妙に素早い動きで首や肩を回す。


 私は大きく息を吐いた。首回りの筋肉が硬くなっていた事に、いま気づいた。


「普段は、下書き、しないんです」

「陽菜には必要ないんじゃないかな」

「はい。これまではいらないものでした。後付けでそれっぽく仕上げていただけですから」


 陽菜は穏やかに相好を崩すと、


「でも、今回はちゃんと書きました」

「それはどうして?」

「ふふっ、言わなくちゃだめですか?」

「いや……」


 自分の胸に手のひらを添える。


 拍動のリズムは急ぎ足だけど、妙な安心感がある。さっきまで馬鹿げた理由で戦々恐々していたのが嘘のようだ。


 でも。誰とも関わらないように生きてきた私が、人を好きになることができた。不安になるのはその証左だ。


 そう考えると、これまで無意味と嘲っていた足跡に背中を押さえているような気がする。


「わかってるから大丈夫だよ」


 今、穏やかでいられる私は、陽菜によって構築されたと言っていい。彼女と出逢い、私は不毛な思い上がりから出ることができた。おっかなびっくり友達になって、お互い様々な面を発見した。


 そして何より、私をマキちゃんの呪縛から解き放ってくれたのは陽菜だ。生きたくなければ生きなければいい。私さえいてくれれば、ほかには何もいらない。多くを望まず、多くを見捨てて、自分たちだけの世界に閉じこもる。何も進展していないどころか、世界からの逃亡そのものである姿勢は、きっと誰からの理解も得られないのだろう。


 だからこそ素晴らしい。わたしを理解できるのは、あなたとわたしだけだ。それだけでいい。ほかの生き物はみんな、遠くへいって、いなくなってしまえばいい。陽菜は繰り返しそう伝えてくれた。だから私も同じように願った。


 陽菜は何も言わずに頷いてから、顔料を練り始める。彼女秘伝の製法で練り上げられる陽菜の世界の材料。


 ああ。私は落下に似た感覚とともに理解した。陽菜がどうして私を描きたいと言ったのか。


 何気なく用いた、自分たちだけの世界という比喩。それはまさしく正鵠を射ていたのだ。陽菜が生きている世界は現実にあらず。人の足ではたどり着けない幽谷の彼方にしか存在しない。この絵はつまるところ、そこへ行くための片道切符だ。


 涙が出そうになって、私は鼻をすすった。それを聞いた陽菜は嬉しそうに笑った。


 成仏する霊が未練を数えるように、私もこの世界に残したものを思い返そうとする。


 だけど、私の中には陽菜しかない。陽菜がくれた成分で構成された天野楪は、つまりそれ以外は何も持っていないということだ。


 彼女も同じであることを望む。過去に生きた陽菜の亡骸に、私が何かを与えられているのなら、それは何にも代えがたい喜びだ。


 やがて陽菜は絵筆をおいた。それを皮切りに喉の奥に沈着していた空気が一気に吐き出される。


「できました」


 弾む声のすぐそばまで椅子を寄せる。当たり前だが、そこには私がいた。こんな顔してたかなと首を傾げそうになる。だって実物より何倍も美人だ。


 陽菜は些細な疑問を見越していたように微笑する。


「ゆずりはは、もうちょっと自分に自信を持ったほうがいいと思います。美人ですよ」

「自信を持つ。私からしてみれば、陽菜にこそ言えるセリフなんだけどな」

「そうでしょうか」

「うん。だって陽菜は優しいしさ」


 一か十しかない両極端の私よりもずっと。その言葉は奥深くに飲み込んでおく。


「それ、いつもわたしが言っていることです」

「そうだったかな」

「ひどいです」

「怒らないでよ」


 少しぬかるんだ風が吹き抜けた。夏の成分をたっぷり含んだそれは、重たく草葉を揺らす。銀色の海にさざなみが立つ。


 人里からだいぶ離れた場所だというのに、空には星一つなかった。

 場違いな月が精神の均衡を乱した人のように不安定にうごめいている。


 昼間の入道雲が蓄えた水気を吐き出そうとしているのだろう、生ぬるい夜風は勢いを増すばかりだ。


 私は陽菜の手を取った。お風呂上がりなのか、それともさっきまで動かしていたのが関係しているのか、ほのかな熱を保っている。


 陽菜はびっくりして私を見たけど、すぐに顔を真正面に戻した。盗み見る。穏やかな起伏の横顔が、暗闇のなかに力強い輪郭を持って浮かび上がっている。


 指先に少し痛みが走った。陽菜は絵筆の扱いこそ繊細微妙なくせに、人の手をどれくらいの力で握ればいいのかわからないみたいだ。


 そんな未熟な部分で独占欲が満たされている私は、きっと金輪際陽菜の愛情を重たいと言うことができないだろう。


「あのさ、陽菜」

「……なんですか?」

「どうして私を描きたいと思ったの?」

 陽菜は小さく笑った。

「ゆずりはが、鈍いですから」

「……いや、鈍いつもりはないけど」


 周囲にもかなり気を配っているし、何より陽菜の不調を真っ先に見抜いたのは私だ。


 そう理由を並べ立てると同時に、陽菜が言いたいのはそんな話ではないとわかっていた。


 だって陽菜が乞われてもいないのに、わざわざ自分の描き方について説明するはずがない。そんな彼女がご丁寧に下書きをしたと明言した。


 わかっているからこそ、私は近づいたのだ。自分の変わらなさに思わず苦笑が漏れる。思い返せば、最初に踏み込んできたのだって陽菜だった。私たちの関係は陽菜が天野楪にもたれかかる形で成長していき、結局最後までその形式を保ったまま結実する。


 復学初日、私は手を引いて校舎の見捨てられた区画まで向かった。しかし、私の乱暴な足取りに合わせてくれたのは果たして誰だったのだろうか。


 そして今度は、陽菜の世界まで連れて行ってくれようとしている。


 その時、雲間がわずかに晴れた。鈍い光が降り注ぎ、私たちを薄く照らした。


「うん。鈍くない」

「あの、ゆずりは?」


 私が自己完結した横で、陽菜は笑みを怪訝なものへ変化させている。鈍いといえば、こいつのほうが何倍もそうだろう。


「また質問するね。じゃあさ、どうして私がモデルになるのを受け入れたと思う?」

「……え、と」

「どうして私がいじめに間接的に加担してしまった事実を打ち明けたと思う?」

「と、もだちだから?」

「うん。やっぱり鈍感は陽菜だよ」


 しかしそれも理由の一つではある。


 もしかすると私がレの字に倒れこんだだけで、無効はまるで意識していないのかも。ちょっと不安になりながらも、しかし今の私はそう簡単には揺らいだりしないのだった。


「できれば気付いてさ、なんだろ。少女漫画っていうか、漫画自体ほとんど読まないんだけど……ああいうのでよくある、言葉を介さずとも伝わるみたいなのが理想だったな。ああもう、私不器用極まりないよね。恥ずかしい」

「ゆずりは」


「あ、ごめん。ウソ。揺らいだりするよ。だって基本的に内的引きこもりだし、多分だけど対人恐怖とか患った身だし。そんな天野楪が一世一代の大勝負に出るんだから、もうダメ。無理。頭のなかかき回されたみたい」

「あの」


 体中の熱量が、メッカへ巡礼するイスラム教徒のごとく集合し、何ならそのまま破裂してしまいそうだ。陽菜相手だから、ここまで感情が高ぶるのかな。冷静な私がそう分析して、混乱はさらなる規模まで膨らんでいく。顔は熱いのを通り越してもはや痛かった。


 陽菜は不安げにのぞき込んできた。


「待って、無理だから。顔見ないでくれると嬉しいな。あ、えっと。びっくりするくらいテンパってるというか」

「……やっぱり、ゆずりはのほうが鈍感です。わたしがそこまで世俗と懸隔けんかくを設けているのだと考えられていたら、ほんの少し悲しいです。だってゆずりはがわたしのことを全部わかってくれていなかったってことになっちゃいます」


 琥珀色の世界が、ほんのわずか拗ねたように歪む。


「ゆずりは、やっぱり、人に興味がないんですよね。だから優しいんです。どうでもいいって思えるから優しいんです」

「……そんなこと」


「いま、わたしに向かうゆずりは、自分勝手で、説明してくれなくて、思わせぶりなことばっかり言って、結局尻込みして……優しくないです」

「そうかな」


「お返事を考えたくないとき、ゆずりはいつもそう言います」


「うぐ」私は押し黙った。確かに思考停止で答えている部分はある。触れられたくないという意思表示になってしまっているのかもしれない。


「……もしかして、わたしが近づいたのも、あの、絵に、共感しただけとか」

「いや、それは」


 思いもよらぬ陽菜の洞察力に舌を巻いていると、彼女はずいと顔を寄せてくる。


 吐息と吐息が触れ合う距離。うっかり心停止するかと思った。


 陽菜は微笑みを湛えていた。それはどちらかといえば押しとどめていた感情が漏れ出した類に見えた。


 そして、初めて映画を見に行ったあの日、私の絵を握って浮かべていたものでもある。


「ゆずりは、嫉妬深いです」

「それは、陽菜もだよ」


 こんな真正面から見つめあうなんて芸当、今の私にはできそうになかった。同じ布団で何度か眠ったけど、あれは陽菜に意識がないとわかっているからこそ保てる平静だ。


 私が目をそらして逃げると、陽菜は俊敏に回り込んでくる。


「でしたら、一緒です」


 その単語は陽菜が好んで扱うもので、また彼女が執着している概念でもある。


 私は過去の喪失から生じた空洞を補うための欲求だと理解していたが、考えてみれば、単に既存の構図に当てはめて筋道を立てたに過ぎない。陽菜が鈍いというのなら、あるいは。


 最初から、手を握られ、自分の世界へ招き入れられたあの日から。



「好きだよ」



 求められていたのかもしれない。


 もう、疑うべくもなかった。


 自分でも驚くほど、その言葉はすっと喉から這い出た。羞恥や見栄などが介在する余地のない、澄んだ一言だった。


「……」


 陽菜は目を丸くしている。私はできの悪い脳みそがこの状態を忘れてしまわないうちに、急ぎ足で言葉を重ねる。




「いつからそうだったのかはわからないけど、でも、私は陽菜のことが好きなんだって気が付いた。あんたに喜んでもらえると嬉しかった。あんたに縋ってもらえるのが喜びだった。あんたを他の誰かにとられたくないって思った。



 陽菜がいつかたとえたように、私はこれまでずっと死んでいた。マキちゃんの件は私個人がどう足掻いても変えられない必定のもので、そんな現実と向き合うことが嫌になって、だから自分のことを流体のクズみたいな人間って言い訳して、逃げ続けていた。



 でも、陽菜は違った。あんたが善意をもって私に近づいたわけじゃないってのはわかっている。単に共依存の相手が欲しくて、同じ属性を持った私に白羽の矢が立っただけだったってのは理解している。



 私はそうやって生まれなおした。死体として。液状化してぐずぐずになっていたスープおじさんみたいな汚穢が、陽菜の隣では呼吸していられた。陽菜の隣で、お互いだけを見つめて現実から目をそらしていられる間だけ、私は私であれたんだよ。



 私、陽菜にヘアピンをプレゼントしたよね。今もつけていてくれる。それさ、名札みたいなものなんだ。


 海原陽菜は、佐藤葉子でも二階堂深月のものでもない、天野楪だけのものなんだって言外に示すための。だから陽菜がそれをつけて私に微笑みかけてくれるたびに、私の心は所有欲と安心感とぬくもりでいっぱいになった」



 言い終わって、自分がなんてことをぶちまけてしまったのだと後悔の念につまされる。頭を抱えてこの場から逃げ去りたくなった。肌寒かったはずの夜風が、少しぬるくなってきたように感じる。


 陽菜は何も言わないまま、じっと私の束縛に耳を傾けていた。顔に出やすい彼女にしては珍しく、磁器のように白い肌も、凝固した琥珀色の瞳も、時が止まったように動かなかった。


「……ごめん。ごめんね。陽菜は、そういうつもりじゃなかったかも」


 陽菜が求めていたのは、九相図と化した両親の代替品。


 よほど問題を抱えていない限り、肉親と想い合うことなどありえないことだ。後悔は勢力を増し、いよいよ嵐のごとき様相を呈す。


 マキちゃんで発作が起こったように、暗い感情が無限に増殖していく。


 だが、そんな快進撃はあえなく終わった。


 同じベッドで眠ったことこそあれども、鼻先に吐息を感じたことはこれまでなかった。陽菜はすでに歯磨きを済ませていたのか、薄いミントが香る。


 というか。


 恋愛初心者未満の私は、むろんのことキスなどしたことがない。


 つながれた手は握りつぶさんばかりで、前歯が何度もぶつかってコツコツ硬質な音を立てている。


  密着しているからかそれ以外の理由なのか定かではないが、体の芯が火照ってくる。


 体をくねらせたような淫靡な声が耳朶を叩いた。

 その波長が普段何気なく会話するものと同じだと気づくと、火照りは衝動へと変換される。なんだかよくわからないぬめぬめしたものが、唇を強引に引き裂いて進入してくる。流し込まれる膨大な情報量に処理が追い付かなかった。


 頭がおかしくなりそうで、今すぐ陽菜から身を引かなければまずいのに、互いの唇に磁石でも埋め込まれてしまったのか、まるで離れることができない。


「――ぷはっ」


 唇が外気に触れて急速に冷えていく。てらてらと光るか細い橋が、私たちの間に架かっていた。


「……」

「……」

「はる、な?」


 陽菜は何も答えない。だが、その沈黙こそが何より雄弁に答えていた。


「んっ……」


 どちらからともなく、もう一度近づける。刹那、呼吸が止まった。目を閉じていて、陽菜がどんな表情をしているのかがわからないのがもどかしい。陽菜も同じだろうか。いや、彼女は豪胆なところがあるから、案外余裕をもってやっているのかもしれない。


 今回はさっきよりも短く、ついばむような、えっと、それだった。


 陽菜はどうかはわからないが、私にこんな場面で気の利いたことが言えるはずもなく、程よく温められた沈黙が空気に交じって沈滞する。


「ゆずりは」

「ちょ、ちょっと待って!」


 三度唇を近づけてきたので、さすがに身を離そうとする。だがその臆病はかなえられなかった。


 いつになく素早く伸びてきた陽菜の両腕が私の頭を抱きしめるようにして、強引に引き寄せられる。


 また前歯と前歯が衝突した。こんなことばかり繰り返していると、若くして差し歯の面倒になりそうだ。


「いや、あの、陽菜。その、これって、陽菜も……す、ぅ、きってことで」

「わたしが誰にでもこういうことすると思われているのなら、ショックです」


 頬を膨らませてねめつけてくる陽菜。子供のような無垢さと、成熟した行為が同居している。胸が高鳴り、それは私の余裕を土台から揺るがせる。最初からそんなものはなかったと言われればそれまでだが。


「あの、さ」

「なんでしょう」

「なんか、余裕あるね」

「だって」


 陽菜は唇を尖らせる。子供のような一面。


「ゆずりは、自分の気持ちにも鈍感なんです。わたしの気持ちにも鈍感です。いえ、優しくして見ないようにしていたんです」


 私は彼女をじっと見た。頬は完熟した果物みたいに赤く染まり、目線もいつも通り一所に収まらない。だからこれは陽菜のまぎれもない本心なのだ。


 陽菜が優しいという言葉を口にするとき、私は決まって何かをごまかそうとしていた。字義の通り受け取れば、そういうことになる。


 確かに思い当たる節はあった。だが。私は苦笑する。


 あの、その決定的な行為をする直前の会話で、私は鈍感と言い返したが、同時にそれも正鵠を射ていた。


 陽菜がとがめる意図でその単語を使っていたのだろうが、私にとってそれは誉め言葉だった。


 陽菜から肯定されるたび、うれしさのやり場に困っていたことに、まるで気が付いていない。


「なんていうか、陽菜って自分勝手だよね」

「え……」

「いや、否定的な意味じゃないよ。言い方が乱暴になったのは、ちょっとした仕返しだから気にしないで」


「し、かえしって。わたし、自分勝手、ですか?」

「うん。だって、優しいって基本的には誉め言葉だし。私ってほら、見ての通りそんな自信満々ってタイプじゃないし。認められたみたいで嬉しかったんだ」

「……」

「改めて、言っていいかな」


 陽菜は厳粛な様子で何度も頷いた。落ち着きのない動きは初めて会った時から変わらないはずなのに、こんなにも違って見えるのはなぜだろう。


 私は小さく息を吸った。


「陽菜が好き。

陽菜の笑顔が好き。

陽菜の指先も、柔らかいのにすっと通る横顔も好き。

控えめに見えて意地っ張りなところも、我の強いところも、強引なところも、わがままなところも、全部」


 ボフン。擬音にしたらそんな感じ。


「ぁ、ぅあ……はい」

「き、きぃ、きっ……キス、してきたくせに、こういうのには照れるんだ」

「へっいいぇそのあれは、制御下にあった脳髄が独自の意思を獲得しましたから」

「えぇ……それエイリアンとかに乗っ取られてない?」

「い、いえっ! あの、わたしが、そのゆずりは好きって考えたら、その、能動的に」


 陽菜はわたわたと手を動かして弁解する。それがあまりにも緊張感がなくて、思わず吹き出してしまった。


「というか、好き……って、言ってくれたね」

「あ、ぅぅ」


 そんな悶えないでほしい。


 顔を伏せたいのは私とて同じだ。


 陽菜に伝えたら一緒だとはにかむだろうか、あるいはより恥ずかしがるだろうか。

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