小さな淑女《レディ》にあふれんばかりの愛を込めて~宮廷楽士との言葉遊びは退屈しない~

圭琴子

第1話 楽士

 「アリスクス様。隣国から良質なお茶の葉を取り寄せましたの。是非お茶会をご一緒に……」

「ツヴァルト。そんな乳臭い飲み物よりお酒よね? 貴腐ワインが手に入ったのよ。一緒に楽しみましょう」

「アリス。新しいダンスのステップを習ったの。手取り足取り、教えてあげるわ」


(年下・年上・同い年か)


 アリスクス・ツヴァルト・リーリンターテ・バイルデンの一日は、本日のデート相手を決めることから始まる。

 月曜日から金曜日まであらゆる年代の女性が押しかけ、円滑にさばくのに忙しい。ときには一日に複数人なんて日もあった。

 土日は休日というのが、彼のこのところのスケジュールだった。


 何しろ下手に地頭がいいものだから、よわい十九歳にして、上流階級の子息が修めるべき座学はおおよそ身につけてしまった。

 あとは欲望の赴くまま、女性をつまみ食いする毎日だった。


(今日は、同い年の気分だな。久しぶりに駿馬しゅんめを乗りこなしてみたい)


 駿馬。アリスクスは心の中で、ダンスの教養のあるドリシアをそうあだ名していた。

 いくらコルセットでドレスを着こなしていても、運動を好まない令嬢は、脱いだら下腹がたるんでいるなんてことも少なくない。

 その点この快活なドリシアは、駿馬のように身体が引き締まり、色々と具合、、がいい。


「パティット嬢」

「はい」


 名を呼んだだけで、十七の少女は頬をポッと赤くした。茶会以外に、まだデートの楽しみ方を知らない顔だ。


「是非テラスで頂きたいところでしたが、生憎の空模様。間もなく雨が降りそうです。またの機会に」


 アイスブルーの瞳で微笑んでみせれば、それだけで淑女は前後不覚に頷いた。


「ええ……是非」


 そして長身のアリスクスには自分こそふさわしいと毎日のように通い詰める、女性にしては身長の高い熟女に向かい、彼はハニーゴールドの髪をかき上げた。


「マリー・ジュノー様」

「あら水臭い、マリーとお呼びになって。寝所ではいつも」


(いつも? 彼女と関係を持ったのは一回きりだ)


 ため息をつきたいところをぐっと我慢して、アリスクスは指輪をジャラジャラさせている成金趣味の手を取って、そっと口付けた。


「残念ですが、最近は酒を控えています。酒での失敗で身を持ち崩す貴族たちを、たくさん見て参りました。またの機会に」

「まあ……そうでしたの。では次は、山海の珍味などをご一緒に」

「ええ。是非」


 そう涼しく微笑みながら、アリスクスは僅かに後悔していた。追いかけられるのは慣れていたが、こうまで執着されては辟易する。

 最後にドリシアに向かって笑顔を見せた。


「ドリシア嬢。新しいステップを、是非ご教示願いたい。ダンスというのは非常に興味深いものだ」


 女性と見まごうほどの紅顔を寄せて、耳元で小さく囁いた。


「手取り足取り……腰取り」


    *    *    *


 宮廷には、あらゆる職業の者が集まっている。刀鍛冶・画家・気象予報士・占術師・仕立屋。

 音楽でさり気なく日常に彩りを添える宮廷楽士も、そのひとつだった。

 アリスクスにも専属の楽士がつき、主にデートのときに活躍した。彼に音楽を楽しむ趣味はない。あくまでもそれは『引き立て役』なのだ。

 今日も寝所で駿馬とのデート中、耳に入るともなしにリュートの音色が響いていた。


「わたしアリスのために、主に腰使いを先生から習っているの」


 欲を発散したあとの駿馬は退屈だ。下品とも取れるような話題ばかりで、アリスクスは右から左に聞き流しながら、適当に相づちを打っていた。


「それは素敵だな」

「アリスに喜んで貰いたくて。どう? かった?」

「ああ、うん」

「嬉しい!」


 夏。喉元に汗が伝う。水をひと口含み、早くこの退屈な時間が過ぎればいいと思っていた。

 御簾みす越しの音楽はいったん止まって、微かな衣擦れのあと再開した。


(ん? いつもと違う……)


 アリスクスはもう、ドリシアの話を聞くことさえしなくなった。

 彼は情事の最中は楽器だけを、そのあとは楽器と歌を所望していた。

 だが今歌っているのは何者なのか? いつもの甲高い鶏のような声音ではなく、ハスキーで少年とも少女ともつかぬ独特の響きの歌だった。

 無駄に声を張り上げることもなく、囁くように語るように歌うのが、余計に興味をそそられる。


「アリス? ねえアリス、聞いてる?」

「聞いてない」


 取り繕うのが馬鹿馬鹿しくなるほど、彼は御簾の向こうに夢中だった。


「えっ? ちょっとアリス……」

「楽士。そなたは誰だ」


 ついに我慢しきれなくなって、アリスクスは御簾を払ってその正体を確かめた。

 「知らなければよかった」と思ったことなど、初めてだった。

 そこに居たのは、くすんだ色のローブをまとった身長百四十ばかりの子どもに見えた。

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