梅雨の日の供述

まくつ

その日

 梅雨、というのは自転車通学を信条とする高校生にとって何よりも恨めしいものです。

 慣れないバスに揺られて酔うか、汗で蒸れた合羽を着て全力で自転車を漕ぐしか選択肢がないのですから。かくいう私は後者を選んだ一人でして、本日はその時の話をしようかと。


 あれはね、高校の三年の頃でした。七月の始めでしたね。ええ、それはもう鮮明に覚えていますとも。梅雨と迫りくる夏のせめぎ合う、一年で一番過ごし辛い時期でした。そんな中の自転車通学といったらそれはもう地獄のようなものでして、私は毎朝テストに臨むような気分で、戦々恐々と通学していたものです。

 丁度今日のように気温が高い大雨の日でした。その日の朝、私はいつものようにリュックサックの上から合羽を羽織りました。少しきついですが教科書がシャワーを浴びるよりはマシなんです。ヘルメットは着けていませんでしたね。

 いえ、普段は着けているのですよ。ただ雨の日ともなるといかんせん蒸れる。悪いとは思いつつ外していました。そのくらいは見逃して頂きたい。


 そんな中、いつものように家をでたわけです。私の家から学校まではおよそ六キロといったところ。半分は閑静な住宅街の細い道を走り、そこからは大通りに出て学校まで一直線。そんな通学路でした。

 ええ、その日もいつも通りの道を選びましたとも。その日は線状降水帯とやらのせいで土砂降りでね。それでも私の学校はそんなことを気にせず授業をするので頑張って登校するわけで御座います。しかしあの雨、流石に堪ったものではありませんでした。


 嵐の如き大雨に耐えかねた私はどうにか一時雨宿りをできる場所は無いかと考えました。そこでね、思い当たったのですよ。

 確か一本外れた道にコンビニがあったな、と。

 私は迷わずハンドルを切りました。ぼんやりとした記憶を辿りながら一、二分走るとね、明かりが見えたのですよ。それはもう、所謂コンビニといった感じです。といっても全国展開のチェーンではなく個人経営の店ですね。今ではめっぽう見なくなりましたが。


 そのコンビニには有難いことに屋根付きの駐輪場がありまして、私はそこで雨足の弱まるのを待つわけです。しかし雨は一向に弱まらない。これは私が弱ったなと。はは、つまらない冗談でしたな。

 そこで考えたのですよ。時間には余裕があるし折角ならこのコンビニで何か菓子でも買おう、とね。

 合羽を脱ぎ自転車にひっかけ、リュックを降ろして財布を取り出します。この雨だから誰も構わないだろうと思ってポケットに財布を突っ込み、荷物は何もかもその辺に放り出して店に入りました。


 カラン、という小気味良い入店音が鳴り響きます。個人店らしく不機嫌そうな店主が一人で店番をしていました。タバコをふかして新聞を広げながらね。

 それで私は菓子売り場に行ったわけですが、碌なものが売っていない。見たことのないものばかりだったんです。得体のしれない何かが量り売りされているんですよ。いくつかケースが並んでいまして、その横に袋とトングが置いてありました。『ヒトフクロ200円』って汚い字で書かれた張り紙といっしょにね。


 正直なところ店を出ようか迷いましたよ。でもね、雨宿りさせてもらっている身としてはなかなかそんなことはできないのです。結局ビスケットのようなものを百グラムくらいでしたかな、袋に詰めました。それしか食べられそうな見た目のが無かったんです。今となっては後悔している選択ですね。

 そうしてその袋を不機嫌そうな店主の元へと持っていきます。店主は無言で重さを測りもせずレジを操作し、その画面に映った金額を指さして、ぶっきらぼうに手を差し出してきました。

 無愛想な人だと思いつつも私は求められるままに二百円きっちりと払います。店主はそれを確認するとレジを叩き、レシートを渡してきました。初めて薄寒い笑みを見せながら。


 不器用な営業スマイルなんかではありません。あれは何というか、悪寒。そういったものを感じさせました。店主のその顔がどうしても恐ろしく、私はレシートを拒否して立ち去ろうとしたのです。

 その時でした。店主は立ち上がり私の手を掴みました。そうして私の手にレシートを握らせようとしてきたのですよ。


 実はね、私は高校生の頃合気をやっておりまして。それで店主の手を振りほどこうとしたんです。そこらの筋肉自慢如きなら簡単にいなせるはずの合気。小太りのコンビニのおやじくらいわけないと思いました。

 しかし予想は裏切られたんです。全く離れない。

 よく怪力の事を万力のような力、と言いますがあれはそんなのとは異質の力でしたな。全く動かんのですよ。文字通り、全くね。まるで空間が凍り付いたかのように。


 しかし私もね、生意気な若造だった故に多少なりとも自分の力には自信を持っておりましたのでなんとかして抵抗するわけです。

 無我夢中で腕を振り回して抵抗します。レジのカウンター越しに暴れました。今になって考えると不思議ですな。手を掴まれたくらいで狂ったように暴れるなど、どう考えてもおかしいではないですか。思えば、何か不吉なものを感じていたのでしょうなあ。

 結局はね、店主の横っ腹に蹴りを入れたのですよ。おっと、暴行罪などと野暮なことは言わないで頂きたい。今、いいところなのですから。

 私の鋭い一撃は確かに、私を掴んで離さない恐ろしい店主の土手っ腹に突き刺さった筈なのです。

 しかし!

 脚を振り抜いた私は得体の知れない感覚を覚えたのですよ。何といいますか、冷たい空気を切るような不気味な感覚をね。


 それでどうなったかって?

 まあまあ、そう急かないで下さいませ。いいところだと言っておりましょうに。


 それでは、覚悟はいいですかな?


 気がついたらね、私はずぶ濡れになって、雑草に覆われた空き地に立っていたんですよ。怖い話によくある展開ですね。よく考えてみればこんなところにコンビニなんてなかったんです。全て幻だった、というわけですよ。

 あの店主は化け狐みたいな妖の類だったのでしょうね。私はいつのまにか幻術に堕ちていたというわけです。大方レシートを握らせることで私に何かしようとしていたんでしょうな。ほら、結構ありますよね。妖怪との契約する小説。そんな感じでしょう。


 はっはっは。何を言いたいんだ、という顔ですね。ご安心ください。

 ええ、ここからが本題で御座います。ここで終わったらただの二、三流の怖い話ですからね。


 その空き地ではコンビニだけでなくその辺に止めてあったはずの私の自転車やリュックサックを含め何もかもが無くなっていたのです。しかしね、私は袋に詰められたビスケットのようなものだけは手に握りしめておりました。

 本当はそれを神社にでも頼んでお祓いなんかしてもらうべきだったんでしょうが、若気の至りといいますか。私はあろうことかそれを口に入れてしまったんです。

 私の生涯で最も愚かにして最高の決断でした。


 ええ、それはもう。神のような味わいでしたとも。天にも昇るような、全く未知の感覚です。体中を電撃が駆け巡り脳が沸騰しそうでした。得も言われぬ嚙み心地!全身に抜ける香り高さ!そして舌を掴んで離さない旨味!

 いや失敬。私如きはあの味を表現する言葉を持ち合わせておりません。ここはただただ素晴らしい、とだけ申しておきましょう。

 この世の全ての料理は腐っている!

 そう思わせる味でした。

 そこからですね、あの味に魅入られた私は料理の道に踏み出すこととなったのです。これが私の原点で御座いますよ。


 え? そんな話を聞きたいんじゃない、ですって?

 いえいえ、私は貴方達のご質問にはしっかりと答えておりますとも。


 言いましたでしょう、『ヒトフクロ200円』と。


 おや、まだ気が付きませんか。鈍い御仁だ。


 こういうことで御座いますよ。『人、袋二百円』です。

 これでお分かり頂けたでしょうか。私が料理人になった動機が。




 ◇ ◆ ◇




【2024/7/5 連続殺人・死体損壊事件容疑者 蕗屋敏雄 供述録取書より抜粋】

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