第2話日本の独立はいつ?
7月4日、明日はアメリカ独立記念日だ。
1776年の宣言から、独立記念日というのが一般的になった。
ボストン茶会事件を始め、独立戦争が勃発しイギリスとの完全なる独立を成功させた。
日本はどうだろうか?
1951年9月18日、サンフランシスコ講和条約が締結された。
あのときの、吉田茂の受諾演説は心に残る。
受諾演説の3日前に、顧問として随行した白洲次郎に原稿を読んでくれと頼んだ。
読んだ、白洲次郎はブチギレた。
外務省が相手方と相談して、相手方の言葉演説させる馬鹿がどこにいるか!と、一喝した。
急遽、演説の原稿は日本語に書き換えかれ、巻物にしたら、30メートルに及んだらしい。
その晩、白洲次郎は号泣したらしい。
だが、サンフランシスコ講和条約で連合諸国と対等な立場にたったとはいえ、憲法はマッカーサー草案を和訳して未だに憲法として残っている。
白洲次郎は言った。吉田茂は良かった。
だが、なぜ、あの憲法を破棄しなかったのか?と。
戦争終盤、本土爆撃をされ看板に「この仇、必ず討つ!」と、立てていた日本人は、マッカーサーが帰る時旗を振ってマッカーサー様のおかげだど言って喜んだ。
何ですかね?この民族は。
そして、日本の為に命をかけた日本兵を侮蔑の対象にした。
兵を出さない家は、売国奴と言って石を投げていたのに。
特攻隊の少年達は何を思って出撃したのだろう?
今回のテーマは独立記念日。
日本はあの憲法を使っている自体、独立はしていないと思う。
自衛隊もいるが、軍にしてしまえば良いだ。
日本を取り巻く環境は厳しい。ローマ帝国は傭兵に頼んでいたら滅亡した。
そう、自分で自分自身の国の舵取りを出来なかった国は滅びるのだ。
日本の戦力は相当なモノ。
そろそろ核を考えてみればどうだろうか?と、いつかの防衛大臣が言ったら、ライス国務長官がやってきて慰撫したという。
憲法を踏みにじることは書くつもりもないし、思ってもいないが改憲してもいい時期。
日本語がおかしい条文もある。
憲法、憲法と国会議員は言うが読んだことはあるのか?
何かといえば、9条を持ち出すが、問題点は他にもあるとおもうのだが。
自分たちで考えて、それを遵守する。そして、やっと戦後といえるだろうし、日本の独立宣言になるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます