暗闇のお風呂

紫鳥コウ

暗闇のお風呂

 毎年八月下旬に、納涼祭が、川沿いにある青浜さんの家の前の幅の狭い道路で開かれる。道を塞ぐという届け出を、誰がだしているのかは分からない。不法占拠しているわけではないのには違いないが、夜空に包まれて、酔っ払って大声を張り上げて笑い合っている大人たちや、走り回る子供たちを見ていると、アナーキーという言葉がぴったりに思えてしまう。

 おばあちゃんが納涼祭へ行きたいと言い出したのは、今朝のことだった。来年の二月には米寿になるのだが、それ故にというべきか、死を強く意識しはじめていた。死から逃れたいがために、ちょっとした身体の違和にも敏感になってしまい、お母さんに病院に連れて行くように頼みこむのも、一度や二度のことではなかった。

 しかししきりにそう懇願されても、お母さんだって万全の体調というわけではない。二年前から、リウマチにより身体中に痛みを抱え、重い物を持てなくなった。それでも、わたしがK県で仕事をしているときは、ひとりで家事を受け持たなければならない。こっちで就職してほしいと頼まれることもあるが、いまわたしがチームから抜けると、新薬の研究が進まなくなってしまう。

 仕事の関係上、お盆に帰ってくることはできず、中途半端なころに短い帰省をすることになったのだが、お母さんは、わたしに恨み言を吐いてばかりだ。もちろん、おばあちゃんの(お母さんいわく)「空気の読めない」言動に対してである。

 いまも怒りがたかぶっているらしい。おばあちゃんがなかなか帰ってこないからだ。はやくお風呂に入ってくれないと、眠ることができない――と。わたしが掃除をするからというのだが、それに納得しながらも、「こういうところが嫌になる」と吐き捨てる。もしわたしがあちらへ居たままだったとしたら、どんな喧嘩が引き起こっていたか分からない。想像するだけでおそろしい。


 おばあちゃんは「もう少ししたら帰る」と言って、わたしを追い返した。すっかりこの場の雰囲気に酔いしれて、気が大きくなっているようだった。はやくお風呂に入ってくれないと、寝支度をすることができない。そう言おうとしたのだけれど、どうしても口にできなかった。死から逃れたいと思うあまり、うつ気味になっていたおばあちゃんが、楽しそうに笑っているのだから。

 明かりの少ない緩やかな坂道をくだっていく。夜風のなかに、熱っぽいかたまりが潜んでいるようなのは、まさしく夏らしい。今日も寝苦しくなりそうだ。だからといって、扇風機をかけっぱなしにしていると、明け方には身体が冷え切ってしまう。

 辺りに誰もいない。思いきりあくびをする。どこの家も玄関の灯りはつけっぱなしだ。送り出したひとたちを、迎え入れるための灯り。おばあちゃんは、しばらく帰ってきそうにない。ひょっとしたら、九時をこえてしまうかもしれない。


 大学生のときに何度も読み返した小説を本棚から抜き出して、細かい文字を眼で追っていく。川の方の騒ぎがうっすらと聞こえてくる。山の上からなら、まるで囲炉裏いろりのように、この村の中心が煌々こうこうと燃えているように見えることだろう。扇風機を「強」にすると、羽の音があの喧騒けんそうをかき消してくれた。

 しかし、しばらくすると扇風機の音の方が耳障りに感じはじめた。机に突っ伏して、湧き起こってくる苛立いらだちを抑えようとしたが、すると不思議と、どっと眠気が押し寄せてきた。


 ふすまを叩く音で眼を覚ました。眼をぬぐおうとすると、両腕のしびれが、骨が折れたかと思うほどの痛みを与えてきた。どうにか寝ていないことを悟られないようにしたが、お母さんはそんなことに注意を向けられるほど冷静ではないようだった。

「水筒を忘れたから下におりてきたけど、まだ帰ってないじゃない。もう九時よ、九時。納涼祭もそろそろお開きだろうし、片付けでも手伝っているのかしら。そういうのは若いひとに任せて、さっさと風呂に入って寝てほしいのだけど」

 振り向いて掛時計かけどけいを見やると、もう九時を過ぎていた。身体が冷えているのが感じられてきた。扇風機の風量をひとつ落とした。すると誇張したようなため息が降ってきた。お母さんは「あとは頼んだから」と言って、自分の部屋へ戻っていった。

 伏せておいた小説を表にして眼を通して見ても、ほんとうはここを読んだのではないかという、違和ばかりが感じられた。ページを戻っていっても、どこら辺まではっきりとした意識のなかで読んでいたのか分からなかった。あくびが自然と出てしまう。すると、のどの渇きが感じられた。

 脱水にならないために持ってきた水筒を傾けて、喉をうるおしていく。ふたをしめてから振ってみると、もうほとんど残っていないことが分かった。継ぎ足しておくのが無難だろう。そう思いながらも、寝支度を整えてからでいいと思い直して、もう一度、扇風機の風量を「大」に戻した。


 本を閉じて、おばあちゃんのことを想う。

 あれは、わたしが小学校低学年のころのことだったと思う。隣の市で祭りが開かれると知り、無理をいって連れて行ってもらった。共働きのお母さんたちの代わりに車を走らせてくれたのは、おばあちゃんだった。途中、山道があったのも覚えている。

 わたしはたしか、何度も輪投げに挑戦していた。だけど、欲しかったぬいぐるみを手に入れることはできなかった。泣きべそをかいているわたしを見かねて、おばあちゃんは、「いくらかで買わせてもらえませんか」と頼みこんでいた。

 もちろん、断られてしまった。そのときわたしが感じたのは、なによりも、恥ずかしさだった。ぜんぜん輪を入れられないわたしにではなく、財布を取り出したおばあちゃんの姿に赤面してしまったのだ。

 帰り道、おばあちゃんは、「家に帰る前になにか買ってあげるから」と慰めてくれた。だけどわたしは、一刻も早く家に戻りたいと思っていた。

 でも、欲しかったおもちゃを、しっかりと買ってもらっていた。お母さんに小言を言われるおばあちゃんは、みすぼらしく見えた。だけど、しおれているおばあちゃんに対して、いじらしいほどの愛情を感じた。


 どんどん眠気が強まっていく。さすがにもう帰っているだろうと、階段をおりていくと、すっかりしんと静まり返っていた。玄関の明かりも消え、仏間も、居間も、台所も、なんの音も光もなかった。廊下に出ると、洗面所から儚げな光がこぼれていた。消し忘れたのだろうか。

 さっさと風呂を洗ってしまおう。そう思っていたのだが、風呂場にはまだ、誰かがいるみたいだった。りガラスのせいではっきりとは見えないけれど、まるで柱のように、微動だにせずに湯船に入る誰かの姿があった。音を立てるのをはばかるように、一向に動く気配はなかった。気付かれないように、わたしもそっと二階へと戻っていった。

 いまわたしが抱いているのは、恥ずかしさでも同情でもなく、それらを包み込む、名付けようのない感情だった。



 〈了〉

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