第30話
自分のスマートフォンに届いたメールの内容に目を通した瞬間、アマベはさっと顔色を青くした。
送り付けられてきたのは、本当に簡素な一言。「たすけて」のみ。しかし、その短さ自体が異常以外の何者でもない。連絡の相手である舞草絵梨花という少女は、文面に限り非常に饒舌な少女だった。
たった二歳の歳の差であるにも関わらず膨大な読書量を思わせる語彙を自在に操る。その言葉の意味がわからないとばかりに首を傾げればすぐに簡単な言葉に言い換えてくれる。そんな彼女はメールなどの文面も、ノリに合ったおふざけも多少盛り込みつつ、自分の話したい事を簡潔に語る癖があったのだ。
そんな絵梨花が、自分の置かれている状況や助けを求める理由すら書かずに、短い文のみを送る事はそれほどに緊急性が高い事を示唆しているのだ。
何があったのだろうか。暴漢にでも襲われたか? 犯罪者にナイフでも突きつけられたか? いや、彼女はそんな状況で遠くにいるアマベに助けを求めるだろうか。送り間違えたという可能性も捨てきれないが、仮に意図的にアマベにメールを送ってきたとして。
何故アマベに助けを求めたのか。家が遠いアマベに。
……遠い?
もしかして、遠いからだろうか。
その可能性が頭に浮かんだ瞬間、電撃が走るように一つの可能性が頭を駆けた。
舞草家は世俗から隔絶されたかのような田舎に位置する。急勾配の山道を何十分も駆け降りないと村人の家すら無い。彼女が頼れる人間は、家の中にいる者達くらいだろう。とはいっても旧家であるため、血縁者や広い屋敷の管理のために雇っている人間が多くいる。
しかし、絵梨花は家や村のにいる周囲の大人に助けが求めらない状態にある。例えば、家族全員が被害に遭っているなど。
なんにせよ、放っておけるような事ではない。舞草絵梨花はアマベの遠い親戚であり、友人なのだ。親戚と言っても遠すぎてほとんど他人のようなものだが、家同士の付き合いで関わり合いはそれなりに深い。
血の気が引いているアマベの顔を覗き込みながら、キジマが首を傾げた。その頭には包帯が巻かれていて、視線の所在もそこに含まれている感情もわからない。けれど、心配されている事はわかった。
「アマベー? 何?」
イバラは、心配するのではなくアマベの急変の原因に興味があるようで、全く思案げにせずに問うてくる。カラカサに関しては、その感情の読めない瞳でじっとアマベを見つめていた。
「遠戚の友人が、何かあったようだ。きょ、強大な力を持つ我に救いの手を求めるとは、中々に審美眼のある小娘よ」
その声は震えている。動揺を妙な口調で覆い隠そうとしても、全くできていない。唯一、彼女の口調に慣れていないキジマが「強大?」と首を傾げていた。
「少々お待ちを。……アマベ、その人のところに行ってはいけないですよ」
どこか虚空を見つめはじめたカラカサが、数秒の間を置いてそう言った。彼女の瞳孔が、まるでカメラのレンズがピントを合わせようとするように、ズームアップとズームアウトを反復し、開いたり収縮したりを繰り返していた。
「どうして?」
虚勢が剥がれた素の口調で、アマベは思わず問う。
「死ぬからです。ほとんど確実に」
またもや無感情な声で、簡単にカラカサが答える。
死ぬ、という単語に、アマベは怯みを見せた。その代わりにキジマが横から口を出す。
「どういう事やねん。穏やかやあらへんなぁ」
「アマベは死にます。イバラもですね。そこに行ったとして生き残れるのは、わたくしと……キジマ、あなたくらいでしょう」
藤色の瞳に、きろりと見つめられる。蛇のように狡猾で、同時に獅子のように強かな、絶対的捕食者のような眼。
「何が言いたいねん」
「行くならあなたしかいないという事なのです、キジマ」
包帯越しの浅緋の瞳と、藤色の視線が交錯する。
「……行って欲しいならそう言えばええやん」
「いいえ、これはお願いではないのです。行きたいなら勝手に行けばいいという提案なのですから」
その言葉に、キジマは言葉を詰まらせた。
それはそうだ。だって、他人を助けたいと願っているのはキジマだ。他人の想いを尊重したいと考えているのはキジマだ。間違ってもカラカサでは断じてない。
「……」
「キジマ……いや、キジマさん」
アマベがキジマの手を握り、顔を見上げる。わずかに涙に潤んだ萌黄色の瞳。
「絵梨花ちゃんを、助けて」
懇願されて、キジマは迷うことなくその手を握り返した。
「もちろんや」
キジマが助けたいのは怪異ではない。彼が守りたいものは人の想いであって、その価値は死者のものであろうと生者のものであろうと等価だ。極論、以前出会った怪異のごみこさんが実はただの復讐に狂った生きた人間であろうとも、キジマは全く同じように行動していた。
「それで、その……絵梨花ちゃん? がいるのはどこや?」
「兵庫県の端っこ。田舎の奥の奥、舞草家のお屋敷、だと思う」
アマベが住所をメモに書き、それをキジマに手渡す。怪異は進出鬼没なので、比較的近いと言っていいだろう。
「わかった。……その子、おれが絶対助けたる。安心して待っとき」
どこか慣れたような手つきでアマベの頭を軽く撫で、キジマは頭の包帯を巻き直した。きつく、頭部の傷と目元を隠すために。夏の真っ盛りだというのにロングコートを羽織って、そして扉を開けた。
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