第29話
コトブキの一件から数週間の時が経ち、現在は八月の中旬。
ミズエは相も変わらず三枚の札を頭に貼り付けた奇妙な格好をして、外に出ていた。しかし仕事の時と違って、彼女の衣服はスーツではなく私服だ。
京都駅の前でスマートフォンをいじりながら、彼女は一人で立っていた。その奇妙な出立ちから周囲の人々からは遠巻きに眺められている。物珍しげな奇異の視線に若干辟易としながら、ミズエは小さく溜め息を吐いた。
丁度その時、「宇呂さん?」と声がかかる。
顔を上げると、ラフな格好をした同年代の男子、神流孝だ。
「久しぶり……と言っても、一月くらい?」
「そうだね。とりあえず、どっか入らない? 暑いし」
「ごめん。何番出口かちょっと迷っちゃって」
神流は軽く頭を下げながら、近場にあるカフェを指差した。
「あそこはどう?」
「いいよ」
どうやら立地的にも観光客などに人気なカフェのようで、多少混んでいるが外に並ぶほどではない。店に入ると、丁度二人席が空いていたようですぐに案内された。
「宇呂さん、仕事はどう? どんな仕事をしてるの?」
「んー……人を助ける仕事、かな。というか、電話の時にわからなかった?」
神流とミズエは連絡先を交換し合っている訳ではない。神流が、おそらくミズエと関わりがあるであろうと推測したコトブキに連絡を取った。コトブキの連絡先も知らなかったので、事務所の電話番号にかけて。そうして事務所越しにコンタクトを取った神流は、ようやくミズエと会う約束を取り付けられたのだ。
そも、神流は怪異お悩み相談所に一度依頼をした事があるので、ミズエがどんな仕事をしているかもわかるはずである。それでも質問をしたのは、話題作りのためだろう。
「あ、うん。いや、詳しくは知らなかったし、宇呂さんは別の業務をしてるかもしれないし」
「それもそうだね。……この間は、北海道に行ったよ」
「北海道⁉︎ 遠いんだな……」
「その次は長崎」
「長崎って、九州だっけ。真逆じゃん」
仕事柄、日本のありとあらゆる場所に行かなければならないため、これからもっと様々な場所に向かうことになるだろう。仕事が入るペースが遅いことは幸いだ。小さな案件はまだ入ったばかりのミズエは留守番か見学になり、オドロやカリヤ、コトブキが最低でも二人一組になって当たる。
ミズエは肩の傷が癒え切っていないため、本格的な戦闘は禁止されている。ダッガコドンを相手取る時は何も言われなかったが、あれは緊急時の例外だとオドロは言っていた。
「それより神流くん、学校はどうなの?」
「まだ二年生だから、みんな好き勝手やってるよ。先生も遊びまくれる夏休みは高校生活中これで最後だとか言っていたし。それはそれとして復習のチャンスでもあるから勉強しろとも言ってたけど」
「大変そ」
「退学したからって気楽だなぁ」
退学する直前の別れ際に友人関係を拒否しているし、神流の事が嫌いなミズエではあるが、別にだからと言って邪険にする必要も、避ける理由もなかった。ミズエにとって、ただ元クラスメイトに会うだけで、それ以上でも以下でもないのだ。
丁度その時、二人が注文していたパフェが届いた。このカフェはパフェで名物であり、ミズエも前々から少し気になっていたのだ。
さあ食べようと、カトラリーケースに手を伸ばして。
そして、同じように手を伸ばしていた神流の手と触れ合った。自分よりも高いように思える体温に、ミズエは目を見開く。
「……!」
「ご、ごめん!」
二人はすぐに手を引っ込めて、そして数瞬譲り合う。どうぞ、と促されてミズエはケースからスプーンを取り出した。
気まずい空気が流れて、思わず沈黙する。それを突き破ったのは、ミズエの携帯の着信音だった。
「ん、ちょっと待って」
ミズエはスマートフォンを取り出して確認する。オドロからのメールで、『緊急性の高い仕事が入った。できるだけ早く来い』と。それと同時にコトブキからも『通知に気づかなかったらアカンので、僕からも送ります。できるだけ早く事務所に来てください』と。
「ごめん、神流くん。仕事が入ったから行かなきゃ」
「え、えぇ? そんな急に……」
「緊急らしいから。埋め合わせはまたするし」
ミズエはほとんど流し込むようにパフェを手早く食べると、自分が注文したものを払いきれてお釣りが来る程度の金銭をテーブルに置く。冷たいものをかき込んでも頭が痛くならないのは、この体の数少ない利点だろう。
「それじゃ」
「行ってらっしゃい、気をつけて」
神流の挨拶になんと答えれば良いのかわからなくて言葉を詰まらせて、かろうじて「行ってきます」とだけ返事をして店を出た。
「すみません、遅れました!」
「来たか、ミズエ」
「ほらこっち座って。作戦会議しますよー」
コトブキに促されて、ミズエは革張りのソファに座る。珍しい事にカリヤもそこに待機していた。この事務所に勤め始めて一ヶ月近くなるが、カリヤは基本的に隣の人形展に籠っていて事務所には顔を出さないのだ。
全員が集合して、間もなく全身鏡にユカリの姿が映る。緩く結った至極色の髪も藤色の着物も一糸乱れないが、表情のみに焦りが見え隠れしていた。本人は必死に隠そうとしているようだが、隠しきれていない。
「突然すみません。数日前から目をつけていた事案が思っていたよりも重大な事だとわかったので、緊急で連絡させていただきました」
ユカリは、今回の緊急の依頼について説明を始める。動揺を極限まで抑えた声音で。
「場所は兵庫県の東端、つまり京都府に近い位置なのでそれほど遠くはありません。そのとある家で、一部の人間が相次いで死亡する事件が起きました」
「それだけなら、呪いあるいは霊障とは断定できないだろ」
「はい。私、最初は大した呪いの気配を感知できなくて緊急だと思っていなかったんです。けど、一人の女性が亡くなってから呪いの気配が膨れ上がりました。……いや、抑え込まれていたものが解き放たれただけかもしれません。とにかく、危険性を察知するのが遅れた。とんでもない失態です、本当に申し訳ない」
「ユカリだって全知全能じゃないのよ、仕方ないじゃない。大体、何もかもを救ってやる義理はこっちにはないんだしね」
肩を落とすユカリに、カリヤが淡々と言った。励ましているというより、ただ事実を述べているだけに過ぎないといった風情の言葉だ。
「……自省はこれでおしまいにして、続いての詳細をお伝えします」
場所は、先ほど言った通りに兵庫県。どうやら事件が起こっている場所は田舎であり、とある大きな家の中で起こっているらしい。旧家の屋敷で、一族の人間がそれなりに集まっているらしい。
現在は八月中旬、そろそろお盆に突入する時期だ。それもあって家には人が多いらしい。そんな中で起こっている、一斉不審死。
旧家、という単語にコトブキが肩を震わせたのに気付かず、ユカリ達は話を続ける。
「死者の傾向は?」
「それが……すみません、家に鏡が少ない上に死体は簡易的な棺に入れられているので見えなかったんです」
「実際に行って確認する他ないって事か……」
「情報が少なすぎて事前に特定しておくのも難しいし……カリヤさん、心当たりは?」
「無茶言うんじゃないわよ。わかるわけないわ」
コトブキのタイピングは完全に止まっている。それもその筈、ただ田舎で人が謎に死んでいるというだけで死因すらもわからないのだ。
「兵庫県で検索してみても、民間伝承とかは出ますけどそれだけで特定しようとするのは正直無謀以外の何者でもないんで、時間の無駄っすかね」
「そうね……」
カリヤは言いつつもキャリーケースに荷物を詰め始めていて、コトブキも大きな荷物を壁際に置いている。オドロも同様だ。
「ミズエ、今すぐ家に帰って準備してこい。早く向かわないと、手遅れになるかもしれない」
「わ、わかりました」
「それと、私服も着替えろよ。汚れるかもしれないし……何よりお前、キョンシーになる前から着てる服だろ、それ。頭の札とアンバランスすぎる」
オドロが冗談めかして笑うから、ミズエもつられて表情を柔らかくした。一つ礼として頭を下げて、ミズエは早足に事務所から出て行った。オドロとコトブキも家族への連絡のために部屋を出ていく。
「……それで、わざわざ私を呼び出すって事は、どういう事かしら?」
カリヤは香染色の瞳を細めて、ユカリを睨むように見る。
「言ったでしょう、緊急性が高いと」
「確かに言ったわね。けど、危険性が高いとは言ったかしら?」
「……」
「変な秘密主義はあなたの悪い癖よ。極限まで言葉を削ぎ落とそうとするんだから」
カリヤは呆れて肩を竦める。そして、ユカリの姿が映っている全身鏡に触れた。
「それで、生存率はどれくらいなのかしら? オドロもコトブキもミズエも、私も、どれくらいの確率で生き残れるのかしら」
幼い外見に不釣り合いな妖艶な笑みを浮かべながら、カリヤは問う。これから仕事だと言うのにフリルとレースがたっぷりとあしらわれている、薔薇が取り付けられたワンピースの裾を僅かにひらめかせて。しかしスカートに完全に隠れた脚が、爪先でさえも見えないように。
「先ほど言ったように、わからないところが多いので断言はできません。死ぬ可能性も生き残る可能性も計り知れない。……けど、皆さんが死なないように、最善を尽くすつもりです」
僅かに目を伏せたユカリに追い打ちをかけるように、カリヤは彼の顔を覗き込んだ。
「その『死なないように』って、人間としてという意味かしら」
「……意地悪な事を訊きますね。違うに決まっているじゃないですか」
つまり、ユカリが言っている事の意味するところは。
面々を助けるつもりはある。けれども、それは例えばミズエの時のようなものだ。人間として生かすという意味では決してないのだ。
「そ。私は別にどっちでもいいけれど、変に勘繰られるくらいなら最初から全部あけすけにした方がマシよ。それなりに長く生きてるんだから、それくらいわかるでしょう?」
「ええ。理解はしてますよ。……けど、理解と実行はまた別ですし、実際にできるかどうかも別問題なんです。貴女だってそれなりに長く生きているんだから、それくらいわかるでしょう?」
意趣返しとばかりに、ユカリは微笑んだ。僅かに歪んでいる、彼らしからぬ表情だ。
カリヤは鼻白み、つまらなさそうに鏡から離れた。ユカリは小さく安堵の息を吐く。
カリヤも怪異の側と言えど、鏡の中に閉じ込められたユカリに干渉できない。ユカリの側は鏡に触れられているならば鏡の中に引き摺り込む事で干渉は可能なのだが、それをする意味はなかった。
ユカリはいつもの全身鏡から姿を消し、鏡の中の世界に沈み込む。その世界はユカリとユカリに招かれた存在しか入れない異世界のようなものだ。
ここにいる限り彼は外界の何にも干渉できないが、同時に外界の何も彼に干渉できない。絶対的な封印の空間だ。
そして、ここでは怪異としての力は何も及ばない。ここに存在する全てが呪いに対する絶縁体になっているようなものだ。以前クロカミサマを引き摺り込んだ時に何もされなかったのも、それが理由である。
「……どうか、無事であってほしいものですね」
ユカリは何もかもを反射するような異空間で一人ごちる。
カリヤは勘違いしている節があるが、決してユカリは事務所の面々を見捨てるつもりがある訳ではない。むしろ献身的に助けようとしている。
けれどもこの鏡の世界から出られない以上、できることは限られているのだ。
例えばオドロが瀕死になったとしよう。傷の処置をする余裕もなく、このままでは数分で必ず死ぬ。そんな状況になったとしたら、オドロの体を鏡の世界に放り込んでもらうのだ。そこで、オドロを怪異にする。
不思議なことに、鏡の中では一切の時間が静止しているらしい。しかし、同時にそこに立ち入った生者は怪異と化すという特性もある。
具体的に言えば、ユカリと同様に鏡の中の住人となるのだ。
永遠に時が進まない世界で暮らす。それが、ユカリが唯一もたらせる救いなのだ。ユカリにできることがあるなら、躊躇いなく実行するのみだ。
その救いを実行するには、瀕死の状況に追い込まれなければならないという事になる。
カリヤには、その手を人間と同じように伸ばせるカリヤには、そこがわからないのだろう。鳥籠に囚われて無力感に唇を噛むしかない鳥の気持ちは、自由に空を飛ぶ小鳥にはわからないのだ。その羽を捥がれない限り、おそらく一生。
ほんの限られた状況でしか手助けできないユカリは、彼女にとって非協力的、あるいは無情に見えるのだ。
その歯痒さに頭を掻きながら、ユカリはひたすらに祈る。
どうか、彼ら全員が私の救いの手を必要としませんように、と。
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