第26話


 青い蝶、ホシは子供達と戯れていた。正確に言うのならただの子供達ではなく、ダッガコドンという立派な怪異達とだが。しかし、ホシも既に死者の身であり、その本質はダッガコドン達と大した違いはない。

 笑いさざめく子供達。こう見ると、古臭い格好をしている事以外はただの子供と見分けがつかない。朽ちかけた鞠を蹴ったり、追いかけっこをしていたり、棒を土に突き立てて絵を描いていたり。

 ホシは追いかけっこに付き合わされながら、懐古に浸る。

 どうしたの、とでも良いたげに、ダッガコドンの一人が首を傾げた。ホシは苦笑しながら、子供に向かって語った。


『オレにはな、子供がいたんだ』


 いた、と過去形なのは、その子供が死んだからではない。ホシが死んだからであり、またホシはその子の親であると胸を張って言えないからである。


『正確にはオレじゃなくて兄貴の子なんだがな、色々あって子育てを押し付けられたんだ。勘当だって言った癖に、本当に都合が良い奴らだと思った』


 ダッガコドン達は、自分達以外の子供の話が珍しいのだろう。目を輝かせてホシの話に耳を傾けていた。


『オレがあの子を育てたのは、ほんの数年。物心もつかないくらいの頃に、その子は兄貴に連れ戻された。勝手だよなァ、本当に』


 ダッガコドンの一人が、宙を舞うホシに人差し指を突き出した。その意図を汲み取って、ホシは指にとまる。


『生きていた時に最後に会えたのは……お前らくらいの歳の頃かな』


 ダッガコドン達の年齢は様々だ。赤子のような小さい子もいれば、中学生ほどに見える子もいる。ただ、ホシの周囲にいる彼らは、小学校低学年から中学年ほどに見える子供が多かった。


『……お前達は、誰の子供なんだろうな』


 ダッガコドン達が着ているのは、清潔とは言えない着物。肩揚げは取れていないし、繕った跡が大量にある。きっと、貧しい小さな村の子供達だったのだろう。

 年代はわからないが、この子達の親が生きている可能性は高くない。また、生きていたとしても今は老いてしまっているだろう親が随分前に死んでしまった我が子を認識できるかわからないし、随分前に死に別れた親をこの子達が認識できるかもわからないのだ。


『あの子は、誰の子供なんだろうな』


 ホシのたった一人の子供は。

 生きていた頃のホシを覚えていないであろうあの子は。

 ホシの本当の名前も知らないあの子は。

 血のつながりの薄い、けれども確かに、家族という関係性を快いと思っていなかったホシの考えを塗り替えた、あの子は。


 兄の子供なのだろうか。それとも。


『オレの子だと、言えたら良いのになァ』


 ホシは一人ごちる。

 子供達に囲まれて。しかし、その子供達は全員、一人一人が孤独だ。だからこそ、その孤独を癒すために他人の手を引き、攫うのだろう。いなくなってしまった親の椅子を埋めてもらうために、純粋に遊び相手になってもらうために。時折、その力を誤って人間を傷つけてしまうこともあるようだが。

 青い蝶は空中をひらりと飛ぶ。鱗粉を散らしながら、幻想的に。子供達をあやすかのように。

 ふと、視界の端に見える誰かの亡骸を見下ろす。おそらくはダッガコドンに連れ去られた被害者の一人の成れの果て。半分腐りかけて、骨から肉が剥がれ落ちつつある死体。

 あれと違って、ホシは既に死んでいる身だ。朽ちる事も死ぬ事もない。だから、きっと自分は永遠の遊び相手となるのだろう。

 ダッガコドン達はホシに手を伸ばす。何かを渇望するように。その瞳は虚で、忘我しているかのようだ。そう言えば、この子達は常に笑っているが、意味のある言葉を吐いた所を見た事はない。ホシを拐いに来たダッガコドンは、確かに喋っていたのに。

 何か様子がおかしいと思うも、肉体のないホシにはどうする事もできない。現状を従容と受け入れる他ないのだ。


『……あァ』


 もし、叶うのなら。

 コトブキの行く末を、親離れの瞬間まで見守っていたかった。

 厚かましいと思いながらも、そんな祈りを心の奥底に押し込めようとしたその瞬間。

 ぴいぃいん、と鳥の鳴き声のような音が森に反響して響き渡った。


『……これは』


 これは鳥の鳴き声などではないと、ホシは知っている。そもそも、この空間にはダッガコドンしかいなくて野生生物が全く存在しないのだ。


『鏑矢……?』


 鏑矢とは、撃った際に甲高い音が鳴る矢だ。現代日本ではお目にかかる事さえ早々ないが、ホシは生まれた環境が少々特殊であったためにそれを知っていた。

 そして、その矢を撃ったであろう人物にも、心当たりがある。


『どうして、コトブキ……!』


 ダッガコドン達に動揺が伝播する。音が鳴った方を揃って凝視して、全員が同じような表情をしていた。

 やがてダッガコドン達の半分ほどが、音の方向に歩いていく。侵入者を排除しに行ったのだろう。ホシは静止をかけようとしたが、彼の言葉は子供達には届かなかった。肉体があったとしても、外見に見合わないほどの怪力を持つ子供達だ、止めることはできなかっただろう。


『逃げてくれよ、コトブキ。せめてオドロ達と一緒であってくれ……!』


 祈って待つ事数分。ダッガコドン達が向かっていった方向、鏑矢が鳴った方から、凄まじい叫喚が響き渡った。

 鋭い、甲高い悲鳴だ。子供の泣き叫び声を何重にも重ねて増幅させたかのような声だ。鼓膜を劈くようなそれに、ホシは思わず息を呑んだ。

 何より、悲鳴は存外近い所から響いていた。それはつまり、ダッガコドン達の終焉がすぐ側まで迫っているという事だ。

 それを察したのだろう、残っていたダッガコドン達が困惑し始める。相変わらず意味のある言葉は吐けないようで、迷子の子供のように涙目できょろきょろと周囲を見回しているだけだ。

 ホシは、中でも一際幼いダッガコドンを守るように、その頭に羽を広げて覆い被さる。それだけで、子供の表情はほんの少し柔らかくなった。

 子供はホシを見上げて、口を開いて何かを言おうとしている。しかし、それは途中で打ち切られた。

 ホシが被さっていたダッガコドンの、ちょうど心臓があるあたり。そこに、一本の矢が通過したのだ。

 刺さった、ではない。矢が通過したダッガコドンの体はまるで霧のように散って、すぐにそれが傷口のみならず体全体に広がってして全体が霧となり、消滅したのだ。

 霧散したダッガコドンの体を、ホシは呆然と眺める。見れば、次々と矢が広場に降り注いでダッガコドン達を霧散させていた。手当たり次第に撃たれているようで、うち何本かは地面に刺さっている。

 ダッガコドン達の体が霧散していることに目を瞑れば、そこはまさしく殺戮、否、一方的な虐殺の現場だった。意味のない悲鳴をあげて逃げる子供の背には矢が刺さり、呆然の現場を見ている子供の頭や胴は貫かれる。

 ふと、ホシの頭に生前見た光景が去来した。

 この反応は、子供特有のものではない。大人でもこういった反応をするのだと、ホシは知っている。見た事のある虐殺の光景に、ホシは思わず呼吸を忘れた。

 ダッガコドン達はどんどん消えていく。森から男女が飛び出てきて、髪を絡めてシャベルを振りかぶり子供達を実体のない霧へと変化させていく。

 一人のダッガコドンが、ホシに手を伸ばした。頭の半分が霧散しかけながら、しかし道連れだとでも言うように。

 ホシは抵抗する事なく、その手に包まれようとした。ここで終わりなのだと。既に死んだ自分もあるべきところに還ろうと。地獄で大人しく報いを受けようと。

 そうして、ダッガコドンの手に握り潰されようとしたその瞬間。

 実体のある誰かが飛び出てダッガコドンの体を蹴り付けると同時、ホシを柔らかく掌で包み込んだ。


「っ、よかった、ホシさん……!」


 コトブキが、掌の中のホシを見つめながら安堵の息を吐いた。


『なんで来た、コトブキ!』


 ホシは思わず声を低めて怒鳴る。コトブキは一瞬怯んだが、負けじと言い返した。


「あんたが急に突き放すような事言うからでしょ! っていうか今何時だと思ってんの、こんな深夜に未成年を出歩かせるんじゃないよダメ大人!」


 手に持っていた弓矢を乱暴に地面に叩きつけながら、コトブキは叫ぶ。ここ数年、一緒にいた長い時間の中でなかなか見なかった激情に、ホシは言葉を詰まらせる。


「あんたさァ、僕が何歳だと思ってんの⁉︎」


『はっ?』


「答えろ!」


『こ、今年で十六……』


 そう、とコトブキはホシに指を突き出す。


「まだ僕は十六歳。……親の庇護が必要な年齢なのに突き放すなんて、ネグレクトだってわかんないかなァ⁉︎」


『は、はァ⁉︎』


 コトブキは、その言葉の意味をわかっているのだろうかとホシは一瞬思う。次に己の耳を疑い、その次には己の正気を疑った。

 コトブキは、今ホシを『親』と言った。確かに言った。コトブキは確かに保護者が必要な年齢であるが、養父がいる。その養父を父と呼ばず、ホシを親と呼んだのだ。


『……オレは』


 ホシはかろうじて言葉を絞り出す。ひどく頼りなく、情けない声だった。


『オレは、オマエの親でいいのか……?』


 その問いに、コトブキはイタズラっぽく微笑む。そしてホシの触覚をつつき、にやりと笑いかけた。


「当たり前でしょ。僕におすすめの古いアニメやら漫画やら教えてくれたのも、僕に危ない所は行くなって警告してくれるのも、僕の事を守ってくれるのも、いつだってホシさんなんだから」


 ホシはずっと、コトブキの親であっていいのか悩んでいた。子供にだって親を選ぶ権利はある。自分のような人間が、彼女の親であっていいものか、と。

 けれども、その懊悩が一気に霧散していった。コトブキのたった一言で。コトブキのたった一つの許しで。

 何を怖がっていたんだろうかと、ホシは自嘲した。己の女々しさを嘲笑した。


 もう良いのだ。コトブキはホシの娘で、ホシはコトブキの父親なのだ。それで、二人の関係は言い表せられる。迷う事なんてない。


『コトブキ、ただいま』


「うん」


 二人は顔を見合わせて笑う。コトブキは掌の中の蝶に、優しく囁いた。


「おかえりなさい」


 コトブキが行った降霊術は、ただ一言の言葉がきっかけに始まる。本来ならばもっと工程を踏まねばならないのだが、コトブキが己から体をあけ渡しているのでかなり簡略化されている。


 お互いに条件は一つずつ。


 コトブキは「おかえりなさい」と言えば、霊に体を渡せる。

 ホシは「つかれてない」と言えば、コトブキに体を戻せる。


 それだけだ。


 青い蝶が仄かに光り、コトブキの体に入り込む。それと同時に瞳の色が変色する。生命の力強さを感じさせる赤色が抜けて、どこか寂しいような、死んだような鈍色に。

 鈍色の双眸を巡らせて、ホシは周囲を見回した。ダッガコドン達は随分とその数を減らしており、ホシが視認できた無事な一体は森の中に消えようとしている。


「逃がすかよッ!」


 ホシはがなり、走り出した。決してただの一人も逃がしはしまいと。


「ホシさんっ!」


 ミズエが叫び、細長い何かを投げ渡した。空中で何度か回転したそれは、ホシの数歩前の地面に突き刺さる。

 袋に包まれたそれは、ホシの槍だった。じゃらりと鎖が擦れ合う音に、ホシはにやりと笑う。

 槍を袋から素早く取り出して、慣れきった滑らかな動きでそれを構えた。標準はダッガコドンの背中へ。

 ふと、疑問が去来する。ダッガコドン達は誰の子供だろう。親もおらず、幼いうちに死んだ可哀想な子供達。子育ての経験がある父として、彼らに同情がないと言えば嘘になる。

 子供を失った親の悲嘆も、親を失った子供の孤独も、理解できる。だからこそ。


「生者の手を引くのはやめて、彼岸で石を積んでいろ」


 忘我した子供の影法師ではなく、普通の哀れな子供として。

 どうか、親をこれ以上悲しませないでくれ。

 それが、先立ってしまった親の側であるホシの祈りだった。

 逡巡は一瞬。槍の重みを手に感じたまま体重を滑らかに移動させ、そして渾身の勢いで槍を投げた。

 地面と平行に飛んでいった槍は、真っ直ぐにダッガコドンの腹を貫通し、その先にあった木に刺さる。ダッガコドンは驚愕した瞳でホシを見て、そして感情のない瞳を霧散させていった。後に残るのは、木に深々と刺さった槍のみだ。

 振り返ると、既に殲滅は終わったようで、オドロとミズエが手を振っている。その光景に、ホシは思わず破顔した。もう一度肩を並べられるなんて、思っていなかったから。

 さくりと草を踏む。その感覚ですらどこか懐かしく、愛おしい。コトブキの借り物の肉体ではあるものの、全身で生きている人間の体の感触を味わえるのが、喜ばしかった。全身にのしかかる重力の重さから自分の内側からとくとくと聞こえる心臓の音まで、今は何故か全てが心地良い。

 生者の感覚と死者の魂の感覚は違う。だから、この感覚は本来コトブキのものなのだ。この世界で生きているのがコトブキでよかったと、心底思う。

 ホシは体の内側で眠りについているコトブキに、聞こえていないと知りつつも柔らかく愛おしげな言葉を投げかけた。


「生まれてきてくれて、生きていてくれてありがとう、コトブキ」

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