第25話
「……キ! おい、起き……コ……キ……」
体をゆすられる感覚と、焦っている声にコトブキはゆっくりと瞼を持ち上げた。視界が未だにぼんやりと霞んでいるのは、単に寝起きであるせいだ。周囲には薄霧が烟っているものの、視界を遮るほど濃くはない。
目の前で自分を揺すり起こしている男はオドロであり、珍しく三枚の札を捲り上げて思案げな瞳で覗き込んできている女がミズエであると理解した瞬間、コトブキは己の体を勢いよく起こした。「うおっ⁉︎」と驚きの声をあげるオドロの肩を強く掴んで、コトブキが叫ぶ。
「ホシさんは⁉︎」
その問いに、オドロは目を見開く。そして気まずそうに目を逸らした。
「ホシさんは……青い蝶は、ここにいる⁉︎」
それは、問わずともわかる事だった。いつもコトブキの視界に入らないように飛んでいる蝶だが、けれどもその青い鱗粉は見えていた。それが今は、一切ない。それはつまり、そういう事だろう。
首を横に振ったオドロに、その事実を突きつけられたようで。
さっと顔を青くして、コトブキはオドロの肩から手を離した。ミズエがコトブキの背を摩る感覚も、まるで自分のものではないかのように思える。
「コトブキ、一体何があったのか覚えてるか?」
そこから、コトブキは途切れ途切れに、起こったことを自分で整理しながら語っていく。
ホシと入れ替わったところから記憶は途切れている事。
目が覚めると森の中におり、そこにいた青い蝶ことホシがコトブキを突き放したこと。
それが、コトブキには自己犠牲のように聞こえたこと。
「……つまり、あくまで攫われたのは当時の肉体の宿主であったホシさんであり、コトブキではなかったって事か」
「ホシさんはまだ、ダッガコドンと一緒にいるってことであってるかな」
「ダッガコドン……」
「そっか、コトブキちゃんは知らないか。ホシさんが攫われる直前に特定してくれた、今回の怪異の名前だよ」
コトブキは己の不甲斐なさに唇を噛んだ。怪異の特定もできず、ホシに庇われて、こんな所で眠りこけていたとは。
「ダッガコドンがいるのは、森の中って事か」
「森の中って言ったって、こんなに広い場所なんだから探しようはないですよ」
「誰が探しに行くなんて言った。手筈通り、攫われに行くぞ」
当然のように言い放ったオドロに、コトブキは目を剥いた。つまり、敵陣に己から乗り込むと言っているのだ。
コトブキは霧の中で見ていた。あの妄執に囚われた無数の子供達を。その渇望の手がホシに伸ばされるシーンを。
コトブキは思わず叫ぶ。
「そんな事!」
「お前は行かないのか?」
「っ……」
月白の瞳に睨まれて、コトブキは言葉を詰まらせた。ここは反対するのが、きっと正常なのだろう。だって、ホシは死者だ。自分達は生者だ。命を賭けて救出に行くとしても、天秤は釣り合わない。
けれど、正直に言うのなら。
「行きたくないわけ、ないでしょ……!」
ホシを助けに行きたくないわけがない。家族を、助けたくないわけない。
そして、それ以上に。
「あのクソガキどもに一発喰らわせないと、気が済まない!」
コトブキは存外、短気なのだ。誰に似たのかわからないほどに。家の教育により抑えつけられていて、その習慣が染み付いていたせいで今の今までなりを潜めていが、『彼女は目には目を、歯には歯を』が座右の銘であるほどには好戦的である。
「何よりも、僕の話一ミリも聞かず自己犠牲に陶酔しやがってるあの人に一発ぶち込まなきゃ」
彼女の怒りは、ホシにも向いている。自分を守った気になって勝手に満足されたら、憤懣やるかたない。自分の不満を示すためにも、コトブキは行かねばならないのだ。
「相手は幽体だぞ」
「関係ねェんですよ。この際破魔矢撃ち込んでやりましょうか」
「ホシさんを祓いたいの……?」
コトブキの豹変ぶりに困惑している二人をよそに、コトブキは立ち上がった。
「オドロさん、僕の弓矢あります?」
「ああ、一応持ってきたが」
オドロが差し出した、袋に入った弓矢を背負ってコトブキは森の奥を睨みつける。柘榴色の、凶暴で獰猛な瞳で。そして、既に死んでいる子供の霊に対して、彼女は容赦のない殺意を向けた。
「なら丁度いい。あのガキども撃ち殺しに行きますよ」
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