第23話


「……ホシさん? コトブキ?」


 朝になって、オドロとミズエは食卓についたというのに全く姿を現さないコトブキ、あるいはホシに痺れを切らしたオドロは、もぬけの殻となっているコトブキの部屋を前にして呆然とその名前を呼んだ。

 ちゃぶ台の上には充電が切れて沈黙しているノートパソコン。床に敷かれた布団には皺一つなく、誰かが眠っていた痕跡は欠片もない。まるで最初から誰もいなかったかのようだ。

 ただ、部屋の隅にひっそりと置かれた大きなトランクだけが、コトブキが確かにそこにいたのだと主張している。


「っ、コトブキ! ホシさん! いないのか⁉︎」


 慌てて叫ぶも、当然のように沈黙が帰ってくるのみだ。コトブキの人格が表に出ている時は霊体のホシが常にいるのだが、それすらない。


「どうしたんですか、オドロさん」


「コトブキが……コトブキとホシさんがいない」


「は⁉︎」


 ミズエもオドロと同様に部屋に入り込んで、その寒々しさに目を剥いていた。ドレッサーにかけられた布を引き剥がしてガタガタと揺らしながら、「ユカリさん!」と叫びかける。


「は、はい! どうしました、そんなに慌てて」


「コトブキちゃん、知らない⁉︎」


「……知りません。見てもないです。いくら布がかけられていても女性がいる部屋を覗き見るのは紳士的ではないと思ったので……」


 鏡の中で、ユカリは歯噛みをした。申し訳ありません、と絞り出すように言うが、ユカリが悪い訳でもない。


「どこに行ったんだ? コトブキにはホシがいるんだから、異常事態が起きたら霊が感知できる俺かユカリの所に来て助けを呼ぶように言ってるんだが……」


「ホシさんは霊体でもオドロさんやユカリさんと話せるんですよね?」


「正確には少し違う。……俺には、オドロの姿は青い光でできた蝶みたいに見えるんだ。ずっとコトブキの周りを飛んでる。そいつがコトブキから離れて俺の所に来たって言うなら、異常事態だってわかるだろ」


 なるほど、とミズエは口元に手を遣る。


「……眠ってたから気がつかなかったんじゃ」


「それはないです。私はずっと村の様子を見てました。そもそも私に眠りの概念はないので」


 ユカリが鏡の中から言った。オドロにもユカリにも助けは求められなかった。それはつまり、助けを求められない状況だったということではないだろうか。


「……コトブキちゃんの体に、ホシさんが憑依したまま攫われた、とか」


「……確かに、その可能性は十二分にありますね」


「待て待て、ホシさんだぞ⁉︎ あのホシさんがただで攫われるなんて思えない! ほら、見ろよあれを」


 オドロが指さした先には、コトブキが持ち込んだ荷物。弓道などで使う弓矢と、以前ホシが使っていた槍が一緒に置いてある。手をつけられた痕跡すらそこにはない。丁寧に布に包まれたままだ。


「あの人が抵抗をしないはずがない。コトブキの体を預かっているっていうのに、そんな無責任なことをするとは思えない」


 ホシは生前はタバコも酒も嗜む人間だったが、コトブキの体では一切それらを絶っている。コトブキの、未成年の体でそんな事をするかと言っていた。

 そも、コトブキが安心して異性の霊であるホシに体を預けているのは、信頼があるからだ。正しい責任感を備えた大人だからだ。

 その大人であるホシが、むざむざ自分を、コトブキの体を害させるとは到底思えない。それはミズエも納得できる所だった。


「なら一体……」


「……メリットがあるからついて行ったか、抵抗をする間もなく連れて行かれたか、ですかね」


 ユカリが険しい表情をしながら、そう言った。現段階で考えられる可能性は、本当にそれくらいなのだ。


「どうしました?」


 背後からの声に振り向くと、民宿の運営をしている老人が扉から顔を出していた。全員が朝食そっちのけであった上に、それなりの声量で話していたから、何かが起きている事を察しているのだろう。その顔にはどこか緊張感が走っている。

 ユカリは慌てて鏡の中から姿を消して、オドロが平静を装った、しかし明らかに動揺しているとわかる声で応対する。


「……一人、いなくなりました」


「いなくなった?」


「俺の連れの一人が、突然姿を消しました……」


 おそらくは、村の中で起こっている神隠し事件とも関わっているだろう。タイミングと位置的に、そうとしか思えない。

 老人が事件について知っているとは限らないが、それでも地元民なのだから多少は情報があるかもしれない。

 老人は「まさか」と呟きながら、部屋の隅に置かれた箱を開ける。中の粉が健在である事を確認して、更に不可思議そうに首を傾げていた。


「……残念ですが、行方不明になったお嬢さんは帰ってこないかと」


 老人は俯きながら、血を吐くように告白した。オドロは数瞬絶句して、なぜ、とかろうじて問う。


「この周辺には、昔から伝承があるのです」


「伝承……?」


「悪い事は言いません。どうかその子は諦めて、帰ってください」


 老人のその言葉に、オドロは思わず怒鳴る。仲間が行方不明になったというのに、そんな冷徹な事を言えるほどオドロは無情であるつもりはないのだ。


「諦められるか! いいから教えろ、コトブキとホシさんは誰に拐われて、どこにいるんだ!」


 オドロは目つきが悪い。声も成人男性であるため低い。そこに更にドスを効かせて叫ぶのだから、威圧感はある。けれども、老人は頑として口を開かない。


「……一つだけ、訊かせてくれ」


「……」


「……帰ってきた、前例は?」


 顔を青褪めさせながら、オドロが問う。老人は、静かに首を横に振った。

 それは即ち、おそらくは村で起こっている神隠し事件に関わり拐われた人間は、誰一人として帰ってきていないという事だ。

 コトブキとホシの発見は困難。少なくとも、情報が少なすぎる現段階では。

 オドロは一歩後ずさる。おそらくは、鏡の中で姿を隠しているユカリも同じように顔色を悪くしているだろう。


「……ダッガコドン」


 その呟きにオドロは振り返った。見てみると、ミズエは部屋の隅のコンセントの側でうずくまっている。

 その手元にはノートパソコン。コトブキのものだ。充電が切れていたのを、たった今充電コードに繋いで見れるようにしたのだろう。


「なんだ、ミズエ」


「充電が切れる前、このページを開いてたみたいです。多分、ホシさんは拐われる直前に怪異の正体を特定したんですよ。これ、見てください」


 ミズエがそのパソコンを滑らせて、その画面を見せた。怪談などがまとめられているサイトがそこには表示されている。


「ダッガコドン、長崎県の田舎に現れる子供の怪異。お守りがあれば拐われないが、正体を問うと問答無用で攫われる。または、殺される」


「……条件は、合致するな。なら、お守りって」


「ここには大麻って書いてあります。あの箱にある白い粉が大麻なら、あるいは」


 視線が、老人の手の中にある箱に注がれる。彼は諦めたように溜め息をつき、それを開いた。


「ご察しの通り、この布の中身は大麻です。村ではお守りと言われていて、老人の部屋には必ず置いてあります。……最近の若者は、置いていないようですが」


 老人は悲しげに眉尻を下げた。大麻なんてものが置いてあるのは、現代人の倫理観は許さないだろう。そしてそれに、ダッガコドンはつけ込んでいるのだ。


「ミズエ! それ以上の情報はないのか⁉︎」


「っ、ない……たった一つの怪談しか情報源として存在しない……? 嘘でしょ……」


 ダッガコドンという単語で調べ直しても、大した情報は出てこない。そもそも知名度の少ない怪異だ、ただ一つの怪談で語られているのみで、その他には確定的な情報はないのだ。


「……ダッガコドンの出現時間と場所は?」


「えっと、人間の家屋に、夜三時って書いてあるけど……ホシさんが拐われた時間帯を考えると、もっと広いかも」


 なら、とオドロは首から下げたリンフォンを強く握りしめる。決意を固めるように。


「……殺されるかもしれんが、誘拐されに行くぞ」

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