第22話
山の麓に近い場所にある民宿は、広い畑を持っている老人が営んでいた。立地的に客が極めて少なく、普段は畑で作った農作物を無人販売店で売ったり、村まで行って物々交換や売り買いをしたりしているらしい。少し気難しそうな印象だったが、実際話してみると人の良さが滲み出ていた。
急な三人の宿泊であるにも関わらず、嫌な顔ひとつせず出迎えてくれた彼が案内してくれた部屋は、一人一部屋、つまりオドロとミズエとコトブキ用の三部屋が用意されていた。
一つ一つの部屋は大きくはない。それぞれの部屋に布団と簡素なちゃぶ台と座布団、ドレッサーが置いてある。それ以外の物は少ない。旅館の部屋の縮小版、といった印象だ。程よく清潔感もあり、畳の香りが漂っていた。
民宿に着く頃には日が沈んで真っ暗になっていた分、民宿でつけられた灯りが目に染みるようだった。食事付きで予約を取ったのだが、存外早く準備をしてくれていたようで、既に食事の香りが漏れ出ている。
「ユカリはこっちだからな」
そう言いながら、一応オドロはコトブキの手鏡を預かった。ユカリも一応男性だからだ。部屋に備え付けられたドレッサーで女子陣の部屋に入る事はできるが、それはドレッサーに布をかける事で対策とする。
振舞われた食事を終え、三人はオドロの部屋に集まった。次の日の作戦会議のためだ。ちなみに夕食は、味噌汁と玄米ご飯、白菜やきゅうりの漬物に川魚の丸焼きだった。
「さて、まずは怪異の正体の特定についてだな」
「ネット通じるかな……」
山の麓とはいえ、ここも一応山の中だ。電波が通じるかわからなかったが、流石に圏外ではなかった。ノートパソコンを開きながら、コトブキは安堵の息をこぼす。
「まず、正体が神である疑いが生まれましたね」
「長崎県の神って言っても、たくさんあるけどね」
「日本は多神教だからな」
キリスト教などと違って、日本で主になっている仏教は神が多数存在する。神、という条件で絞り切るのは難しい。
「んー……待って。あの村って神社ありました?」
コトブキが電子画面を睨みながら問う。ミズエが画面を覗き込みながら答えた。
「一見、神社とかはなかったと思うよ」
「鳥居とか……」
「なかった気がするな。ただでさえ緑が多い場所だ、鳥居の朱色は目立つだろうが、見えなかった」
「……色々サーチはかけてますけど、あの村に神社とか神様の情報はないんすよ」
入力する言葉を少しずつ変えながら何度も検索をかけるが、それでもめぼしい情報はない。
「過疎りすぎてて情報がネットに落ちてないだけの可能性もありますけど。望み薄ではありますけど、掲示板とかでも質問しときますねー」
ネット上に情報がないのなら、質問をネット上でしてもまともな返答が得られる可能性は極めて低いが、それでも何もしないよりはマシだろう。
「……そう言えば、あれってなんですか?」
ミズエが問いながら指さしたのは、部屋の隅に置かれた小さな箱だ。蓋は施錠などがされている様子はないし、開けて中身を確認する事は容易だが、ここが民宿であり別の人間の家であるからかそれに触れるのは躊躇があった。
「わからん。けど、ここに置いてある以上は触ってもいいだろ。盗まない限りな」
オドロはなんの躊躇もなく、箱を開けた、三人は揃ってその中身を覗き込む。
箱の中にあったのは、一つの小さな布袋だった。持ち上げてみるとさらりとした感覚があり、粉類が入っているとわかる。そして、布の匂いか粉の匂いかはわからないが、独特な甘い匂いがした。砂糖っぽくはない、どこか嫌に感じる匂いだ。
「なんだこれ」
「舐めてみます?」
「毒物だったらどうするんだ。害虫用のものかもしれないし、置いておこう」
オドロは袋を箱の中に戻し、静かに蓋を閉めた。独特の刺激臭からして、畳などに虫が湧かないようにするためのものだろうと判断した。オドロは西洋文化の方が親しみがあるし、ミズエも日本文化に対して触れてきている訳ではない。そう判断するしかなかった。
しかし、ユカリは不審げに眉を顰めており、コトブキは首を傾げている。小さく、誰にも聞こえない声量で「こんなのしらないけどな……」と呟きながら。
「そういえば、ホシは? 何かわからないか?」
「あー、ちょっと聞いてみますね。『おかえりなさい』」
コトブキが唱えると同時に、彼女の瞳の色が変わる、柘榴色が抜け落ちて鈍色に変化し、そして彼女が纏う雰囲気が一気に老成したものに変化した。
「……呼び出されてもなァ、オレは何もわからんぞ」
コトブキ、改めホシは現れるなり言いのける。「オレは専門家でもなんでもないんだ」とぶつくさと文句を言いながら、どっかりと座布団に座り込む。その座り方や態度はコトブキと真逆であり、コトブキの外見でそんな事をするものだから慣れていないミズエは混乱しかできなかった。事務所で何度かホシと会話はしたが、まだ慣れきれていない。
「けど、ホシは俺達より日本文化に詳しいだろ」
「ならユカリの方が適役だ」
「私は鏡から出られないので、どうしても情報が欠けますよ。例えば五感とか……肉体を持っている方の意見もあった方が有力だと思います」
ユカリの言葉に、ホシは長くため息をついて頭を掻いた。「確定的な事は言えんぞ」と予防線を張りながら、話し始める。
「ユカリ、怪異は子供の姿をしていたと言っていたな?」
「はい」
「そいつらが人間を誘拐している。殺しに関しては同一犯とは限らねェ。合ってるな?」
「合っています」
「なら、可能性としては……例えば、昔人柱にされた子供達が大人達を道連れにしている、とかなら自然じゃねェか?」
「……確かに。必ずしも名前のある怪異とは言い切れないし、ただの怨念って可能性も捨てきれないって訳だな」
日本には古今東西、様々な妖怪や怪異の伝承や噂があるが、かと言って全ての妖怪に特定の名前がついているとも限らない。
「けど、神様の線も消えてないですよね」
「そうだな。それも含めて、明日調査しよう」
オドロはメモ帳に、調べるべき事を書いてまとめる。
「村で信仰されてる神について。行方不明、惨殺事件について。お守りとやらについて。……これくらいか」
「ありがとう、オドロ。それでは皆さん、明日もよろしくお願いします。今日は慣れない旅路で疲れたと思いますので、ゆっくり休んでください」
ユカリの締めの一言で、全員がそれぞれ立ち上がる。あとはもう、自由な時間だ。ミズエは自分の部屋に戻って行き、オドロは風呂に向かって行った。
ホシはコトブキ用に用意された部屋に入って、小さく溜め息をつく。緊張感を漂わせながら部屋の隅に置かれた箱を開き、中に入っている袋を汚いものを持つように摘み上げた。
何か粉が入っている袋。漂う甘い匂いから、オドロの部屋にあったものと同じだろう。ここにもあるなら、ミズエの部屋にもあるはずだ。
鼻を鳴らして、その匂いを嗅ぐ。ホシは眉を顰めて、小さく呟いた。
「……やっぱりか」
ホシは基本的には霊体として、常にコトブキの周囲を漂っている。それはオドロもぼんやりと知覚しているし、怪異であるユカリやカリヤはホシの存在をはっきりとわかっているらしい。ただし、視覚としてではなく感覚的なものとしてらしいから、ホシの本当の姿、つまり生前の姿は誰もわからないようだが。
オドロが箱を開けた時も、その様子を霊体で見ていた。そして、その袋に包まれた粉の正体を直感的に感じ取っていたのだ。
独特な甘い刺激臭。砂糖の匂いではなく、決していい香りとは言えないもの。その匂いは何が発するものか、ホシは知っているのだ。
「大麻……なんでこんなところにあるんだ」
日本の法律で禁止されている違法薬物、大麻。マリファナとも呼ばれる。当然、こんな場所に当然のように置いてあるものではない。
もしあの村や周囲の集落で麻薬が栽培されているのだとしても、こんなところに置かずに隠れて売るだろう。まるでこんな、お守りみたいに。
……お守り?
その言葉が頭をよぎった瞬間、ゾッと背筋が凍るかのような怖気が走った。
「まずい……!」
ホシは慌ててノートパソコンを立ち上げ、単語を手慣れた速度で打ち込んでいく。長崎県、怪談、大麻。トップに表示されたのは麻薬の検挙などに関するニュースの記事だったが、一回スクロールすると怪談のページが表示された。
直感的に、これだと確信する。ページの内容を斜め読みして、そこに誘拐や惨殺という単語を見つけたのだ。
しかし、それを読み込もうとする前に、それは訪れた。
くすくすと、心底楽しそうな笑い声が耳元で響く。勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。ただ、神経まで冷え切るような不気味な空気が漂っているのみだ。
くすくす。きゃはは。そんな囁き合うかのような笑い声がさざめいている。
「あれ、おきてる」
そんな、幼い声が聞こえた。振り返ると、小学校低学年ほどの年齢の瓜二つな男児が二人、揃っていた。目を見合わせて、どうしようかと囁き合っている。
「どうしよう」
「どうする?」
「つれていく?」
「けど、ななたけさんがあるよ」
「じゃあ、やめよう」
「やめよう」
外見は、普通の子供だ。少々古臭い格好をしている事以外は。なんの害意も敵意も感じない、ひたすらに無邪気な。しかし、こんな時間にこんな場所に、民宿の部屋に子供が侵入している事は異常だ。
しかし、ホシは意を決して二人に話しかけた。床に膝をついて、二人に目線を合わせて。
「オマエ達、どこの子だ? 誰の子供だ? もう夜だ、帰るべきところに帰りなさい」
家に帰れとは言わなかった。現段階では、この子供達は怪異である可能性が高い。外見からして、幼い頃に死んで霊となった者だと推測する。纏っている着物から察するに、それなりに古い年代の死者だろう。
ならば、彼らの家族も家もとうに無くなっている可能性が高い。無い家に帰れと言うのは、残酷だろう。
子供達は目を見開き、そして再度囁き合う。
「どこのこだって」
「どこのこだって」
「だれのこだってきかれたよ」
「だれのこだってきかれたね」
「ならさ」
「そうだね」
「「つれて行っちゃって、いいよね?」」
瓜二つの顔を全く同じように歪ませて、子供達はホシの腕を万力のような強さで掴んだ。
「っ、……!」
まずい、やらかした。その言葉がホシの脳内を駆け巡る。ホシの年齢は三十を超えた大人であるが、肉体自体はコトブキの、十代少女のものだ。決してか弱くはないが、強くもない。
そんな肉体で、外見に見合わないほどの力を発揮する子供達相手に有力な抵抗はできず。更には、ホシには抵抗をする気すら起きなかった。
「……悪い、コトブキ」
その一言を残して、ホシとコトブキは姿を消した。
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