第16話


 カリヤによる治療は、存外早く終わった。

 ミズエは呑気にも眠っていたのでオドロが叩き起こそうとしたら、「どうせ痛みもないんでしょう? ならこのままでいいじゃない。天然で麻酔状態とは便利なものね」と言い始めてオドロを部屋から追い出した。

 そこから二時間後、どこか疲弊したかのようにぐったりとしたミズエと、達成感がある満足げな表情をしたカリヤが部屋から出てくる。


「……どうだミズエ、ファーストインプレッションは」


「……中々に、強烈なお方で……」


「褒め言葉として受け取っておくわ。オドロ、これミズエのカルテね」


 雑に手渡されたそれを、オドロは一読する。カルテと言ってもカリヤは医者でもなんでもないただの人形師なのでそんなもの書く必要はないのだが、報告書類のようなものだと思って書かせている。

 カルテにはミズエの傷の状態と、それに施した治療がどのようなものなのかが事細かに書き記してあった。


「肩は叩き切られてるって感じでぐちゃぐちゃだったけど、幸い骨は無事だったから肉と神経を縫い合わせるだけで済んだわ。肉が物理的に離れるから無理に動かすのは厳禁。安静にしていれば自己治癒で治るわ」


「キョンシーに自己治癒能力ってあるのか……?」


「紙で切ったっていう指の傷は塞がってたから、大丈夫でしょう。大丈夫じゃなかったら私が繕ってあげるから心配しなくていいわ」


 淡々とされた報告に、オドロはミズエを気遣わしげに覗き込んだ。大方、治療中に起きてしまって意識があるまま自分の体が縫われるところを見たのだろう。

 痛覚がないとしても、自分の体が傷つけられる場面は見たくないものだろう。

 それに、カリヤは人形師だ。人形の作成と同時に、その衣装の作成も仕事にしている。

 つまり。


「わたしには和ロリータが似合いそうだとか、水色系統が合いそうだとか、チャイナ系もいいかもしれないとか、色々言われて……品定めされた気分です」


「実際、品定めみたいなもんだぞ」


 ミズエもあまり服に興味はないのだろう。カリヤに散々振り回されたらしく、朝だと言うのに既に疲労の色を見せている。

 ちなみに、オドロも最初は品定めをされた。その鋭い目つきはクールな印象の一助になるだとか、眦に紅を入れたら映えそうだとか、折角スタイルが良いのだからもっと生かした格好をしなさい、だとか。

 ユカリは鏡の外から干渉はできないから早々に諦められていたが、コトブキは格好の的になっていた。その長い濡羽色の髪を大層羨ましがられて、今も時々ヘアアレンジを勝手に施されている所を見る。

 スーツケースをひっくり返してミズエに似合いそうな衣服をひとまず見繕っているカリヤの後ろ姿を指しながら、オドロはどこか遠い目をする。


「これはアドバイスだが、あいつのあの性質はもう諦めろ。あれはあいつの魂にまでこびりついた性質だ。着せ替え人形になるのが一番穏便だ」


「……了解、です」


 そこから一時間、たっぷりと着せ替え人形にされたミズエは疲弊し切った表情でベッドに倒れ込む。「北海道にもショップはあるかしら」と浮つき始めたカリヤを制して、オドロは気を引き締めた。


「俺はまた午後になったら、あのトンネルに行こうと思っている」


 そう発言した彼を、ミズエもカリヤも止めずに静かに頷いた。なんにせよ、ごみこさんとキジマは放っておける存在ではない。

 ごみこさんはこのままでは更に被害者を増やすだろうし、キジマはそれを助長させかねない。実際はキジマも不必要に人が死ぬことは好んでいないので止めるのだろうが、オドロはキジマのことをよく知らないので懐疑的だ。


「勝算は……?」


「カリヤが協力してくれるなら、多分成功する」


 カリヤはぴくりと片眉を吊り上げた。


「私、戦闘は得意じゃないわよ」


 カリヤは見るからに華奢で小柄だ。一見小学生にしか見えない彼女に、まともな戦闘ができるとは到底思えない。


「厳密には戦闘じゃない、拘束だ。カリヤ、糸の扱いには長けているだろ?」


 卯の花色と香染色の瞳から放たれる視線が絡み合う。言葉なく通じたようで、カリヤは得心がいったという表情を浮かべた。


「……ああ、そういう事。けど、それなら時間がいるわよ。少しの間、ごみこさんの動きを止めなきゃ」


「そこは、ミズエに頼むしかないな」


 急に目を向けられたミズエが、「はいっ⁉︎」と思わず素っ頓狂な声をあげた。


「あの髪のやつ、また使えるか?」


「ええっと……多分、問題なさそうです」


「カリヤ、時間稼ぎはどれくらい必要だ?」


「一分もあれば十分よ」


「流石。それじゃ、俺はその間キジマの足止めをする。カリヤの準備が終わったら、ミズエはキジマに向かえ。リンフォンを起動して、ごみこさんを地獄に落とす」


 地獄に落とす、とは比喩表現ではない。リンフォンは地獄の門の具現化であり、それを開くということは対象を必ず地獄に落とすということである。


「……待って、キジマも地獄に落とすんですか?」


「……」


 キジマは怪異ではなく、生きた人間だ。何かしらの怪異の影響を受けている可能性は否めないが、兎に角普通ではないにしろ人間だ。

 生身の人間でもリンフォンを用いれば地獄に落とすことは可能なのだが、問題はそれをするか、そしてするべきかという話になる。

 地獄とはこの世のありとあらゆる苦痛の具現化であり、生きている間に犯した罪を雪ぐ場所だ。キリスト教の考えでは人類は皆生まれた時から罪人で、神を信仰することにより罪は洗い流されるので、地獄は背信者や他宗教者の魂の行き先となる。

 つまりはキリスト教信者ではない人間の行き着く先が地獄なのだが、キジマがもしキリスト教信者だった場合、オドロの感情として地獄に落としたくない。

 それに、生身の生きた人間を地獄に落とすという事は、殺すという事だ。

 オドロが過去に己の手を汚したのは一回きり。ミズエを殺した時だ。当のミズエは蘇生している。なので、実質人殺しはしたことがないようなものだ。


「その時に、本当に殺せるのかしら」


 愚問だ。オドロはそう思った。

 向こうもこちらを殺す気なのだから、こちらも殺す気でやらなければならない。

 多少は躊躇するだろう。本当に殺したならば、後悔もするだろう。オドロはそれだけの、一般的な感性を備え付けている。

 しかし。


「安心しろ。他人の命より自分たちの命を守ることを優先する……その程度の身勝手は、神も赦してくれるだろ」


 キジマは、絶対に倒す。


 殺す、ではなく、倒す、だ。そこには天と地ほどの差がある。しかし、その高さを一息に飛び越えるという覚悟を以ってしてして、オドロはシャベルを握った。


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