第14話
「……そうか。できるだけ早く頼む。……ああ。それじゃ、切るぞ」
短い通話を終えて、オドロは小さく溜め息をつく。
「カリヤは明日の昼までにつくそうだ。悪いが、それまで我慢していてくれ」
「はい」
我慢するも何も、痛みがないのだから何とも思わない。その言葉は、オドロが聞くと眉を全力で顰めそうなので喉の奥に留めておいた。
「お前の状態は未知数だ。突然痛覚が復活する可能性もゼロではない。……それに、色々あったから疲れただろ。初陣にしては大きい仕事になったし、休めるうちに休んでおけ」
オドロはそう言いながらホテルの部屋を出て行った。オドロとミズエ、それぞれ一部屋分予約しており、オドロは別室だ。すぐ隣の部屋なので何かあった時には助けを求められる。
しかし、静寂が耳に痛かった。痛みなんて感じないはずなのに、先ほど二人で夜道を歩いた時の沈黙と気まずさが鼓膜に刺さるかのようだ。
己の肩を押さえつけながら、ミズエは恐怖した。自分が人間ではないものに変質したのだと、今更ながら実感させられて。
もう後戻りはできないのだと。振り返った先の道が崩落していて、前を向いても一寸先も見えない闇が広がっているのみで。
全身を駆り立てる焦燥にも似た恐怖を鎮めるために、手慰みに髪に触れた。クロカミサマの力を借りた時に爆発的に伸びた髪だが、現在は元の長さに戻っている。斜めに切り落とされた髪は、毛量も何も変化していない。
ただ、祈るように眠った。誤魔化すように眠った。彼女は意識のない眠りの世界に落ちていく。
「……ごめんなぁ、お姉さん。啖呵切ったは良いけど何にもできへんで。そのケガ治すこともできへんねんから、なしてここ来たって話やんなぁ」
キジマは地面に倒れ伏すごみこさんに、優しく語りかける。
ミズエがオドロを庇った際、その髪は元の長さに収縮したが、最後とばかりに髪がごみこさんの体を強く締め付けたのだ。そのせいでごみこさんは全身の骨が砕け散ってしまったようで、しばらく動けないでいるらしい。とは言っても少しずつ再生しているので、明日の夕方ほどには完治して動けるようになっているだろう。
キジマは、顔を覆う包帯を徐に取り払った。顔にコンプレックスがあるので普段は隠しているのだが、ごみこさんは今、自分が望んでもいないであろう傷だらけの体を晒しているのだから、自分も見せなければ不誠実だと思ったのだ。
コンプレックスと言っても、キジマは特段不細工な訳ではない。むしろ平均よりも整っていると言って良いだろう。瞳と口は大きく、鼻筋は高い。肌はよく手入れが行き届いていてハリがある。整っているのだが、全体的なバランスが幼なげな印象だ。
しかし、彼の額の左側から左目の瞼にかけて、あまりに生々しい傷跡が残されている。そこから皮膚や骨がひび割れたかのような、そんな傷だ。縫合されたかのように肌が引き攣っており、痛々しい印象になっている。
いくら美容に気を遣っても、消しようのない傷だ。どれほど誤魔化しても誤魔化しきれない傷だ。流石に街中で包帯は目立つので髪と化粧で最大限消しているが、それでも近づいてみればわかる程度には目立つ。
キジマは、その傷をつけた相手に復讐しようとは思わない。そもそもその相手は既に死んでいるし、生きていたとしても大した恨みは抱いていないだろう。キジマは、己の感情にひどく鈍感な男だった。
だからだろうか、感受性が豊かな者は人間だろうと怪異だろうと応援してしまいたくなる。自分の欠落を、他人に埋めてもらうかのように。
それは自己満足も少なからず含んでいるだろう。しかし、それでいいとキジマは思っている。
「おれがきっと、その復讐果たさせたる。あんまし手伝いすぎても達成感ないやろうから、最小限でな」
しかし、とキジマはふと思考に耽った。
キジマがわざわざ北海道まで渡ったのは、匿名の人物からの垂れ込みがあったからだ。ハンドルネームは、「カロン」。内容はこうだった。
「北海道のとあるトンネルに、復讐鬼の怨霊が一人いる。しかし強制的に地獄に落とされようとしている」
情報提供者カロンは、おそらく一方的にキジマのことを知っている。
キジマが人の想いや感情を何よりも優先することを。そのためなら、己のポリシーのためなら、地獄に落ちたって構わないと考えていることを。
その上で、彼を誘導しオドロ達とぶつけさせている。
しかし。キジマは包帯の下で無邪気に微笑む。年齢の割に幼い印象の、柔らかな。
「けど、どうだってええねん。この手で救えるもんぜぇんぶ救う。他人がどう思ってるとか利用されてるとか、どうでもええ。ひとまずは、お姉さんを救うんや。それだけやで」
全て、なんて傲慢だ。だから、この手が届く限りは。
「痛いも悲しいも恨めしいも、全部尊重されるべき『想い』や。それを蔑ろにする奴は、神さまが赦してもおれが赦さへん。復讐心も肯定する。……お姉さんは、自分の事だけ考えとりや」
ごみこさんは答えない。正確には、それに答えられるだけの自我がない。今彼女がキジマに襲いかからないのは単純に体が動かせないからで、万全であれば話を聞くこともなく襲っていただろう。彼女は、どこまでいっても怪異でしかなかった。
「情報、探ってくるわ。お姉さんはここで待っとってな」
キジマはそうとだけ伝えると、寂れたトンネルから出ていく。後に残されたのは、地面に情けなく這いつくばるツギハギの女だけだった。
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