第9話
「おはようございまーす」
頭部に三枚のお札を貼り付けた少女、ミズエは怪異お悩み相談所の扉をそう言いながら開ける。勿忘草色の髪は斜めに切り落としたかのような形になっていて奇妙だ。お札と前髪の隙間から覗く瞳は、光の薄い青空のような青藍色。
「おう、おはよう」
「ミズエ生きとったんかワレ……なーんて、冗談ですよ。おはようございます」
「おはようございます」
オドロ、コトブキ、ユカリの順番で返事が返る。
オドロはつまらなさそうに正二十面体の物体、リンフォンを手慰みにいじっており、コトブキは掃除機を持って掃除をしている。ユカリは相も変わらず鏡の中で艶然と微笑んでいた。
「そういえばユカリ、ミズエの姓名診断してたよな。俺の名前はどうだ?」
「私も造詣が深い訳ではありませんので、素人知識のものになりますが……オドロの棘莎凪という名前は、動植物を表す漢字が入っているのがあまり良くありませんね。濁点が入ってるのも」
「え、じゃあ僕は?」
「コトブキは……本名の寿光という名前には濁点がないので、その点ではいいと思います。けど、寿という字は幸福を表すあまり、名前負けしてしまうんですね。なのであまり……」
「え、じゃあ僕渾名の方でもダメじゃん。うせやん」
そんなゆるい空気感での会話を繰り広げていて、ミズエは思わず頬を綻ばせた。まさに平和そのものである。
あのクロカミサマの一件以来、ミズエは怪異お悩み相談所に雇用される形で働いていた。
高校を退学し、しかもクロカミサマをその身に宿したキョンシーという特異な存在となった瑞恵は、もうまともに生きる事は叶わないだろう。そもそも生きてはいないが。その心臓はオドロによってその動きを止めている。
よって、瑞恵はとうに夜にどっぷりと沈む呪いの世界に両足を踏み入れていた。瑞恵自身の選択なので後悔はないが、やはり生き方を制限されるのは少し窮屈だ。
ミズエは怪異お悩み相談所の一員となり、ミズエと呼ばれて少しずつ馴染みつつある。キョンシーとしての生き方を、彼女は確立しつつあった。
「コトブキちゃん、もう試験は終わったんだっけ」
机の端に置かれていたプリントを手に取りながら、ミズエは雑談がてら話しかける。プリントはどうやらコトブキのテスト結果を記したもののようで、見ないようにしながら寿に手渡した。その際に指先が切れてしまったから、「あっ」と声をあげながらティッシュで押さえつける。
「今日終わりましたー。これであとは夏休みを迎えるだけです」
「学生は大変だね」
「ついこないだまで学生だったミズエさんがそれ言います?」
「一年位前から不登校だったし。女子高生らしい事は何もしてないよ」
ミズエはコトブキと会話を交わしながら鞄を机の上に置いた。少しずつ彼女との距離は縮まり、つい先日「僕年下ですし、さん付けじゃなくていいですよ」と言われ、敬語もなくしたばかりだ。
「高校ねえ……懐かしいな」
「わたし、オドロさんが高校生してる想像がつかないんですけど」
「僕も。というかオドロさんが同年代の人と仲良くしてるイメージが全くつかない」
「そりゃ通信だったしな」
オドロは普段はキリスト教の家督を継いで墓守の業務を行なっており、相談所の仕事はあくまで副業であると彼の口から語られた。こうして事務所にいる間は墓守としての仕事を全て終わらせてきてるか、同居している従兄弟に仕事を任せているらしい。先日の戦闘時に使いはしていなかったがシャベルを抱えていたのは、それで使い慣れているからだろう。
新出の情報。オドロは学生時代、通信制の高校で学んでいた。何を学んでいたのかまでは追求しなかったが、彼の普段の態度が学生時代からのものならば、おおよそ意欲的な生徒ではなかったのだろう。そう考えると、不登校であったミズエはオドロに対する親近感を禁じえなかった。
「そういえば、次ホシさんに代わる時ある? この前貸してくれた漫画、返したいんだけど」
「え、ホシさんまた勝手に漫画貸したんですか。どれの何巻?」
ホシは時折、事務所内でもコトブキに憑依していた。その際に会話をしたのだが、どうやら漫画などの趣味がコトブキと似通っている……と言うより、浮遊霊として常にコトブキの周囲に漂っているようで、コトブキが読んでいる漫画などは大体ホシも横から読んでいるらしいのだ。
こうしてコトブキと会話をしている最中も近くにホシはいるようで、そう考えると何故だか監視をされているような気分になる。
閑話休題。とにかく、コトブキの趣味とホシの趣味は全く同じであるようで、ホシがミズエに貸して寄越した漫画も本来はコトブキのものであるらしい。
少し会話を交わしたところ、ホシは享年三十歳ほどの男性だったらしく、自分を「ロクデナシ」と評していた。生前はタバコや酒を嗜む性格だったらしい。
コトブキの体に憑依してソファにどっかりと座り込み、ココアシガレットをガラ悪く齧っていたところに話しかけて、それらの話を聞いた。
「それ、タバコじゃないんですね」
と言ったのだが、ミズエの正気を疑うような声音と訝しげな表情で、
「はァ? 十六歳のガキの体でタバコなんて吸う訳ねェだろ。コトブキの体に毒じゃねェか」
と返されたので、存外まともな倫理観を持っているらしい。
そのホシから借りた漫画を机の上に重ねると、「あー……いつの間にか本棚から無くなってたやつだ……」とコトブキがぼやいていた。
その一連の会話を聞いて、ユカリはくすくすと楽しそうに笑っている。
数週間の間、ユカリを観察していると、いくつかわかった事がある。
ユカリは中性的な容姿や声をしていて性別の判断に迷うが、体格や身長、喉仏や手などの特徴から、どうやら男性であるらしかった。
至極色の髪は長く、簪で緩く纏められており、顔立ちや声は中性的ではあるものの、思い切って問うてみたらくすくすと笑われた後に「私は男性ですよ」と言われた。先に述べた身体的特徴から、それは嘘ではないだろう。
彼は数十年前から鏡の中に閉じ込められていると語った。それから彼は全く体の変化がなく、髪や爪が伸びる事もないし生きている人間として行う当然の生理的な欲求も全く無いらしい。
鏡の中から外へとは全く干渉はできないし、広告の映像板のように動きを見せて語りかける事しかできない。しかし、鏡に触れた対象を鏡の中に沈めて閉じ込める事ができ、その鏡の中の世界でなら触れる事もできると言う。
しかしそれは生者に行うとどんな事が起きるかわからないため、今まで怪異にしかそれをした事がないとユカリは語った。クロカミサマの時もそれをしたのだと彼は語った。
よって、ユカリは基本的にミズエ達に干渉はせず、鏡の中からいつもにこやかに会話を見守っている。時折オドロと会話をしている所も見るが、聞き役に回る事が多かった。
この怪異お悩み相談所には他にも姿を表していないメンバーが一人いるらしいのだが、基本的に事務所の隣で経営している店、もっと言うとそこにある工房に籠っており、顔を出す事は少ないらしい。気になってその隣の店を見てみると、それはハンドメイドの人形を売っている小洒落た店だった。
ミズエはその一人以外とはそれなりに交友関係を築き、馴染んできている。相談所に舞い込む依頼は多くなく多忙ではないので、少人数でも十分に回り切るしなんなら暇なくらいだった。
今日も今日とて、依頼はなく安穏とした日だ。革張りのソファに座り込んで、掃除機を片付けたコトブキが反対側に座る。例の漫画の感想を伝えると、コトブキは熱く語り始めた。
「ミズエさん、キョンシー生活には慣れました?」
「そんなに変わりませんよ。関節が動かしにくいとかもないし」
キョンシーは死後硬直が始まっているが故に関節が動きづらく、跳ねるような動きをして移動をするという話だ。しかしミズエは死後すぐにキョンシーになったからかそれがなく、人間だった時と全く同じ挙動で動き続けられている。嬉しい誤算だ。
「この事務所、意外と人間率低いんですよねー。鏡の中の人に幽霊にキョンシー。カリヤさんも人間じゃないし……人間は僕とオドロさんだけですよー」
「三分の二かぁ」
ミズエは手慰みに頭についている札をいじりながら苦笑した。怪異お悩み相談所の職員の三分の二が怪異とは、これいかに。
「お前が怪異を身に宿すなんてトチ狂った事言い出さなきゃ、キョンシーになる事もなかったのによ」
「そんな事言われても……」
「確かに、なんでそんな思考に至ったんです? 常人はそんな事考えませんよー」
人間二人組に横から口々と言われて、ミズエはたじたじになりながら指を絡ませた。
「うーん……なんというか、人を呪うなんて事しちゃった訳だし、ただで済ますわけには行かないでしょ、って」
「真面目ですか」
「確かに、そもそも呪いに関わらなきゃ借金背負う事もなかっただろうにな」
「……ん? 日本語でおk」
オドロが無作為に告げた情報にコトブキは一瞬フリーズした。ミズエは聞きたくないとばかりに耳を塞ぐ。
「日本語だわバカ。そこのバカ、依頼料払えねえから形式的にはウチに借金してんだよ」
怪異お悩み相談所の普通の依頼料は高くはあるが、法外な値段という訳ではない。しかしミズエの依頼は特殊であったため、その値段は異様に高くなった。バイトの一つもした事がないミズエが払うには大きすぎる値段と言わざるおえないほどに。
よって、ミズエはキョンシーとなった後の経過を見る事やその身柄の保護も兼ねて、この事務所で雇ってもらっているのだ。
「あー……働いて返せってやつですか」
「ウチは私立なもんで、国の補助金やらは無いからな。その分依頼料は高い。公立だったらあんな依頼を受ける事もキョンシーになったお前を雇うこともしないだろうがな」
公立と私立の違いは、主に値段設定が違う。公立の怪異相談系の事務所は国からの補助金を得ているため、値段は比較的安めになっている。アフターケアも手厚く、国の名に恥じない働きをしてくれる事だろう。その代わり依頼に融通は効かない。職員は国家公務員扱いとなるので、人員も数も少ない。
対する私立は、公立よりも値段は基本的に高いが依頼内容に融通が効く。今回のミズエのケースのような依頼は、公立の事務所では受けてもらえないだろう。場合によっては、他人を呪うといった法律に引っ掛かりそうなこともしてくれるという。
公立は型にはまった仕事しかしない。その代わり、私立は詐欺である可能性も十二分にあるので、依頼する場合は注意が必要だ。
「こっちも商売だからな。取れるもんは取らねえと立ち行かなくなるんだよ。事務所を持続させるには金がいる。墓地の運営にも金がいる。食って行くには金がいる。何事も金、金、金。全く嫌になるぜ。何より嫌なのは、金が必要だからって悪どい事もしやがる野郎が横行してるって事だな」
辟易とした様子でオドロが嘆く。その隣ではコトブキが共感したように何度も深く頷いていた。
「わたる世間は守銭奴ばかりですよ。拝金主義の豚が……。お金がないと生活できないし漫画も読めない、アニメも観れないのは同意ですけど、遺産目当ての自称親戚には僕も苦労させられましたよ……」
実感が籠った恨めしげな声でコトブキは唸った。遺産、なんて不吉な単語が出てきたが、彼女は詳しくは語らないまま恨み節を続ける。
「この世は金じゃないなんて綺麗事は言いませんよ。そんなの個人の価値観による事ですし。けどそっちの考えをこっちに押し付けて詐欺を働こうとするとか、人間として、法治国家の民としてどうよって話です。十代のガキから何を取るんですか」
「金が必要なのは同意だが、悪い事をして金を稼ごうとは思わないな。主と親に顔向けができない」
それぞれ苦労しているのだろう、二人は辟易とした様子で重たい溜息をついた。
「そんな貴方達に朗報です。新しいお仕事が入りましたよ」
そんな暗さを切り裂くように、ユカリが明るい声をかけた。
「……ユカリさんが直接持ってきた依頼かぁ……」
「嫌な予感しかしねえ」
二人の声がより一層暗くなる。あからさまに嫌そうな顔をして項垂れている中、ミズエだけが状況を把握できずに首を傾げる。
「え、なんですか?」
「……ユカリはさ、鏡の中から出て来れないだろ」
「そうですね」
「けどな、どんな鏡の中を自由に移動できるんだよ。全国各地な」
「はあ」
「それでも行動範囲は限られている訳だから、緊急性のある事態しか察知できない訳よ。それに全部持ってくる訳じゃなくて厳選してくる」
「……うん?」
「つまりな、ユカリが持って来んのはヤバいとしか言いようがない異変だけって事だよ」
ユカリはとある怪異により、鏡の中に閉じ込められた人間。そしてこの世にある鏡の中ならば、どこへだって移動できる。
怪異関係の情報はいくらでも収集できる。しかし、事務所の人手が少ないのでかなり篩にかけているのだ。
その篩に残った、たった一粒である仕事というのは、かなり緊急性と重要性が高いという訳である。
「突然で申し訳ないんですが、皆さんには北海道に行っていただきます」
「北海道⁉︎ 急すぎるだろ」
飛行機で数時間の距離である北海道に唐突に行けと言われ、オドロもミズエも目を見開く。
「というか、そんな所なら現地の人達が対処してるんじゃないです? 怪異専門の事務所なんて各地にあるんですし」
「それが、その怪異の出現に気がついていないようで」
「だったら連絡すればいいんじゃないですか?」
ミズエの問いに、全員が苦々しい顔をした。
「実はこの界隈って互いにめっちゃギスギスしてるんす。こっちの連絡を素直に受け取ってくれるかどうか……」
「え、ギスギス……?」
怪異お悩み相談所は、怪異専門の何でも屋のようなものだと聞いている。その同業者同士の仲が悪いというのは、あまり想像がつかない。
「世間一般では怪異を知覚できる人間の方が少ないからな。コトブキだって相当鈍いし、お前だってわからんだろ」
「オドロさんはわかるんですか?」
「一応。けど生まれつきではなくてな、徐々にって感じだ」
コトブキは、ホシを体に憑依させるようになってから感知能力が目覚め始めていて、それは時を経る毎に強くなっているらしい。
オドロは元々墓守であったからか、幼い頃より多少は霊的なものに敏感であったらしい。明確に感知できるようになったのは墓守の家業を継いで暫くしてからだが。
「生まれつき見えるって奴は極々稀だ。基本的には皆、怪異に触れてから多少、ほんの少し見えるようになるって流れになってる」
お前もすぐ見えるようになるだろ、と言いながらオドロはミズエの頭の札を指差した。ミズエは怪異に触れたどころか、怪異を身に宿す存在だ。きっとすぐ、怪異を感知できるようになる。
「んで、この業界の不仲の話に戻るんだが」
「あ、はい」
「さっきも言ったように、怪異を知覚できる人間は少ない。そいつらに立ち向かおうとなんてするトチ狂った奴は更に少ない。つまり万年人手不足だ。場合によっては命を賭ける仕事だから高給でなきゃならん」
人手不足といっても、同業を騙る詐欺師は掃いて捨てるほどいるが。
「……競争率が高いって事ですか?」
「そうです。需要の割に供給が少ないとでも言えばいいか、少しでも劣っている所があれば叩き落とされる世界なんですよ」
生きるか死ぬかの仕事をするのだから、全員が必死になる。同業者であろうと、「仲良く」ができないほどには。
同業者との関わりがあまり必要がない仕事内容である事も相まって、互いに敵愾心とすら思える感情を向け合って仕事をしているのだ。罠をかけ、罠にかけられなんて日常茶飯事である。
「んな関係だから殆どの奴らは正式な依頼が無いと動かないし、ここに怪異があるって言っても聞きやしないんです。逆に罠を掛けているんじゃ無いかと疑われて寄り付かなくなりますよー」
「じゃあわたし達が依頼者って形で依頼をすれば……」
「この仕事の依頼料は膨大だって話したろ。ほんとにやるなら、発案者であるお前の借金が膨れ上がるだけだ」
にべもなく却下されて、ミズエは項垂れた。
「じゃあ、なんで依頼もされてないのにオドロさん達は行こうとするんですか……?」
「そりゃあ、ここには人間の従業員が少ないから安上がりだしな」
そういう事を訊いているのではない、と言わんばかりの不満げな目をミズエが向けると、オドロは飄然と肩を竦める。
今回の仕事は依頼ですらないから、依頼料は発生しない。タダ働き以外の何者でもなく、なんなら移動費がかかるため損ですらある。
「そりゃまあ、ウチの方針っすよ。救える命はできるだけ救うってのは」
そう言ったコトブキの視線の先には、感情の読めない微笑みを浮かべているユカリ。
「……怪異に救われる命はあっても、損なわれる命はあってはなりませんから」
彼がそう小さく呟いた声は、彼の鏡の近くにいたオドロだけが聞いていた。
「怪異は人間とは相容れない。あんただって、助かったのは『結果的に』だろ。あいつらに救いなんか期待してはいけない」
「……それでも私は、期待せざるおえないなんですよ」
呪い呪われ。その根源はいつだって人間の感情。
人間が人間であり続ける限り、呪いは消えない。
呪いとは即ち怨嗟、つまり負の感情。
それが人に益を与える事など、無いのだ。
しかしユカリは、そのあり得ない事を信じている。特例中の特例である自分と同じように、他の誰かも特例になるのだと本気で思っている。
「……そういうの、愚直って言うんだがな」
「良いじゃないですか、愚かでも。人の合理的でない所は、愛すべきだと思います」
「その言い方は狡いぜ、ユカリ」
オドロは、宗教の関係で「愛」という言葉に弱いのだ。
汝、隣人を愛せよ。博愛の精神を持てというのが神の教えだ。
「そんじゃ、その愛すべき人間を守るために働きますか」
オドロはそう言って立ち上がり、一つ伸びをした。
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