第6話
クロカミサマ。そう見出しに書かれたホームページを、コトブキは掲げて見せる。それは実際に、瑞恵が呪術の儀式を行うにあたって参考にしたホームページだった。サイト名なんて教えていないのに、というより当の瑞恵自身が見るまで思い出せなかったのに、それを見事に探し当てたコトブキに、瑞恵は思わず感嘆する。
電子書籍の広告が載った、ありふれたブログ。背景は黒や灰色、赤などの不吉に思える配色で彩られていて、いかにも胡散臭い。しかも文字の比率がおかしくて、拡大しないと読めない仕様になっていた。
「どれどれ……」
コトブキがそれの内容を要約して読み上げる。
クロカミサマとは、二千年代に入ってからネット上で有名になった都市伝説である。
自分の髪を切り落とし、建物の屋上などの高所から「クロカミサマ、どうか私の無念をお晴らしください」と唱えながらその切った髪を投げる。
そうすると、翌日の深夜二時に術者の元にクロカミサマが現れて、一瞥をして去っていく。術者が後述の条件を満たしていれば呪いは完了し、被呪者に家庭崩壊や交通事故などの不幸が起こる。条件を満たしていなければ、呪いが術者に帰ってきて術者が不幸に見舞われる。
その条件というのは、『術者が善人である事』。
善人悪人の基準はわからず、クロカミサマが独自の善悪の価値観を持ってそれで判断している可能性は大きい。
また、この儀式は誰にも口外してはならない。してしまったら最後、クロカミサマの呪いにかかり様々な不幸に見舞われて最後には行方不明、ないし死亡してしまうから。
朗読を聞いて、ユカリは鏡の中で静かに嘆息した。
「正体不明の、堕ちた神ですか」
ユカリはパソコンの画面を覗き込む。ユカリは常に鏡の中にいるが、現世の物体は液晶画面であろうと問題なく視認できているらしい。ただし鏡から手は出せないようで、操作は全てコトブキ任せだ。
「クロカミサマとやらが二時にしか行動しないのは、そうとしかできないから、か」
「十中八九そうでしょうね。二時は丁度丑三つ時。そう考えると、やはり神というより魔のものに近い存在なのかもしれません」
しかし、神ではないのなら対処は簡単になる。盛り塩だとか破魔矢だとか、悪いものから守る効果があるものを用意すればいい。
「けどな……依頼内容的に、それでは済まないだろうな。面倒な事依頼しやがって」
「酔狂には違いないけど、オドロさんがそれ言います?」
「コトブキ、お前もな」
「お互い様っすね、ここにいる全員」
違いない、とユカリが肩をすくめて苦笑する。
「大きな依頼になりましたね。オドロ、大丈夫ですか? 今度はそれは使いそうにないですけど、さっき使ったでしょう?」
ユカリがオドロの胸元で揺れている正二十面体……彼が「リンフォン」と呼んでいたものを指差す。
何を今更、とでもいいたげにオドロは首を縦に振った。
それを見て、ユカリは鏡の中で立ち上がり、そして恭しく瑞恵に向かって一礼をした。
「それでは、ご依頼承りました」
「……瑞恵さん、本当にいいんですね?」
先ほどの依頼で使った槍の手入れをしながら、コトブキが問うた。主語のない問いに首を傾げると、更に情報を付加した問いが再度投げかけられる。
「本当にその依頼内容で良いんですね? ……あなたは死ぬし、これからの選択肢が大幅に削られる。それでも、良いんですね?」
念を押すかのようなそれに瑞恵は静かに苦笑した。
似たような事を思っている目をオドロとユカリにも向けられた。正気を疑うような目だ。しかし、生憎と瑞恵は決めてしまったのだ。決めたのなら、あとはもうそれに沿って進むだけだ。
もちろん、瑞恵一人の力でそれが成せる訳ではない。瑞恵ができる事の方が少ないくらいだ。 しかし、この作戦の核は確かに瑞恵なのだから。
「……まあ、一度呪詛に手を出した時点で地獄行きは確定なんだから、自暴自棄になるのもわからない事はないですけど」
「地獄行き?」
地獄に行くのは怖くはないとはいえ、何故呪詛を使っただけで地獄行きになるのだろうか。
「だって、元来は神様への祈りのためのものを悪用したんですよ? 呪いってのは本来はまじないと言って、悪用するものじゃないんですから。それを悪意マシマシで使ったんなら、そりゃ地獄行きってもんですよ」
コトブキは飄然とそう言う。
どうやら、あのビルの屋上で髪を切り落とした時から、手遅れだったみたいだ。にっちもさっちも行かない呪いの世界に、片足どころか両足をいっぺんに突っ込んでしまっていた。
「……地獄上等。こちとら何年生き地獄でもがいてると思ってんだ、今更地獄程度で怯むかよ」
わざと口調を荒くして、啖呵を切った。コトブキは鳩が豆鉄砲が食らったかのような顔をして目を見開いている。
そして、その表情をふと緩めて、柔らかく微笑んだ。
「……不思議ですね。僕、ホシさんと話した事ないのに、そんな感じの口調かなって思っちゃった」
一度も話したことがない、と言われて、確かにそうかと瑞恵は納得する。コトブキは自分の体にホシを憑依させているのだから、会話ができようはずもない。彼らの人格は同時に存在できないのだから。
確かに、強い人間であるオドロやホシを意識した言葉使いではあったけれど、他人にわかるように露骨にしていたわけでもないのに。
「きっとホシさんも、似たような立場にいるならこんな事を言うんじゃないですか」
「……そうかもですね」
コトブキの微笑みは、今まで年齢に似合わないほどに大人びている表情をしていた彼女にしては珍しく、年相応に幼く見えた。
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