第3話 歴史の「ミステリー」
他の時代としては、
「歴史のミステリー」
として、両輪といってもいいことなのかも知れないが、まず一つは、
「本能寺の変」
ではないだろうか、
明智光秀が、織田信長を討ったという、これも、
「軍事クーデター」
といってもいいだろう。
こちらは、
「実は明智光秀単独犯」
ではなく、その後ろに黒幕がいたのではないか?
ということであった。
「朝廷、足利幕府説」
など、それから、
「長曾我部元親」
などの、周辺の人物説。
さらには、
「秀吉、家康」
という、当事者による員簿説など、いろいろある、
それぞれに、説得力があり、どこまでが本当なのかというのが分からないといってもいいだろう。
また、もう一つは、幕末になるのだが、
「坂本龍馬暗殺の真相」
である。
天下人でも、天下を狙っている人物ということではないが、その行動力が、混沌とした時代を暗躍する人たちにとっては、目障りな存在と言えるだろう。
そのために、狙われた、
「坂本龍馬」
ある意味、
「出る杭は打たれる」
というところであろうか、これこそ、時代をさらに混沌とさせる大きな社会問題であった。
他にも
「政変」
などと言われるものがたくさんあったにも関わらず、
「坂本龍馬暗殺」
というものが、この時代に関わらず、他の時代を含めても、
「最大の謎」
と言われているのは不思議である、
この近くには、
「桜田門外の変」
で暗殺された、井伊直弼であったり、
「紀尾井坂の変」
で殺された、大久保利通など、暗殺事件でも謎が残ったものがたくさんあったではないか。
井伊直弼にしても、大久保利通にしても、時の政府の重鎮ではないか。それに比べて、坂本龍馬は、
「一介の、脱藩武士でしかない」
ということなのであった。
また、
「歴史が答えを出してくれる」
というような言葉を聞いたことがあったが、これは、何か、
「映画だったか、ドラマのセリフ」
だったかのように思う。
その話というのは、これも、謎という意味では、いくつかの、
「考えさせられるところがある」
という意味で、考えさせられるところであった。
その事件というのは、
「226事件」
であった。
これは、表向きに言われていることとしては、
「天皇にこびっている、君側の奸。つまりは、特権階級をいいことに、甘い汁を吸っている連中を懲らしめる」
ということでの、
「軍事クーデター」
だということになっている。
確かに、農村出身者の多い派閥である、
「皇道派」
と呼ばれる、青年将校たちからすれば、
「国を憂うるのであるから、そんな連中を許してはおけない」
ということで、
「自分たちは、君側の奸を討つために、決起した」
ということなのである。
しかし、実際には、彼らが狙ったのは、そのすべてが、対立する派閥である、
「統制派」
の面々であったということと、
「やつらが、いずれ、派閥争いを優位にしようとして、クーデターを企てる」
ということが、陸軍内部で囁かれていたことで、その目的が、
「派閥争いである」
ということが分かったのだ。
そして、それを天皇も分かっていて、しかも、自分が信頼する側近を狙われたのだから、天皇としても、怒り心頭だったわけである、
天皇はすぐに、
「反乱分子」
として、陸軍が、反乱分子に同情的なのを諫めながら、
「お前たちがやらなければ、私が鎮圧の指揮を執る」
とまで言わせたことで、陸軍も、本腰になったのだ。
反乱軍とみなされた彼らは、自分たちが、
「もうダメだ」
と悟ると、兵を原隊に戻したのだ。
その時に、
「歴史が答えを出してくれる」
と言ったということになっているが、派閥争いが事実だとすれば、これは言い訳でしかない。
「表と裏」
軍においての、この立場は、果たして、
「個人至上主義」
といっていいのか、それとも、
「美という正当性を重視して、自分が犠牲になってもいい」
という考えの、
「耽美主義」なのか?
歴史の答えは、
「そんなに簡単に転がっているものなのだろうか?」
と思えるのだった。
実際に、歴史というものには、その時の政治体制によって、
「見せる部分」
と、
「見せない部分」
つまりは、覆い隠す部分というものがある。
特に、歴史の大きな節目、例えば、古代から中世に向かってなどの時代では、そういうことは往々にしてあるだろう。
たとえば、戦後時代から江戸時代に向かう場合など、結構。そういうことが横行したという。
例えば、
「秀次事件」
というのがあったが、これもそうであった。
秀吉に子供ができないことで、自分の姉の子供である、甥っ子の秀次を養子に迎え、
「関白職を譲って、自分は太閤ということになり、権力を握り続ける」
ということをもくろんでいたが、そんな時に限って、秀吉の側室である、
「淀殿」
に子供ができた。
前にも一度子供ができていたが、その時は、2歳で亡くなったが、今度の子はすくすくと育つようだ、
そうなると、
「息子に天下の譲りたい」
と思うのは、親心というものか、ここから先は、真意のほどは難しいが、
「秀次、御乱行」
という話がウワサとして飛び込んでくる。
つまり、
「秀吉に息子ができたことで、自分の立場が危なくなった。そのために、何もかも嫌になって、狼藉を働く」
ということであったのだ。
しかし、それは、あくまでもウワサであり、
「実しやかに囁かれ、今では、それが真相ではないか?」
と言われているのが、
「秀次を追い落とすために、そのようなウワサを流した」
ということである。
結局、秀次は、捉えられ、高野山に幽閉され、最後には、
「切腹を明示る」
という、それこそ、秀吉の方が、
「御乱行ではないか」
ということであった。
ただ、中には大名の中には、
「関白職になった秀次にすり寄って、今後の自分の立場をよくしようという輩もいたことから、秀吉が、秀次に、謀反の疑いがあり」
ということで捉えたのだった。
そもそも、このやり方は、その時にはじまったものではない。
謀反の罪を擦り付けるというのは、古代には、
「持統天皇」
が、自分の生んだ息子を皇位に就けたいということで、画策したこともあったくらいだ。
また、
「息子ができないので、他の人に職を譲れば、子供ができた」
というパターンは、戦国時代への導火線となった、
「応仁の乱」
の原因となった、
「日野富子と足利将軍第八代の、義政との間で起こった確執からだったではないか」
ただ、秀吉の場合は、結局、秀次を切腹させると、その怨霊を恐れてか、
「聚楽第」
などの、秀次がこの世に存在したということを抹殺するように仕向けたのだ。
しかも、秀次の血の綱かった人を皆殺しということも行っている。これは、
「頼朝と、清盛の因縁」
を考えると仕方のないことなのかも知れないが、そもそも、秀次を葬らなければ、こんなことにならなかったのだ。それだけ、歴史から葬り去るということは、実際に、たくさん起こっていることであろう。
mた、今度は、その豊臣政権から、秀吉が死んだことで、それまで、秀吉に従順だった。家康が、その野心をあらわにしてきた。
元々、野心があり、
「好機がない」
ということで、
「自分の高齢」
と、さらに、豊臣家の衰退を目の当たりにして、
「いよいよ、自分の出番だ」
ということになってきた。
そして、豊臣家内部の内紛に乗じて、いよいよ野心をむき出しにして、相手をその気にさせることで、戦に持って行き、最後はそれに勝利することで、最終的に、自分が、
「幕府を開く」
というところにこぎつけるのだ。
征夷大将軍に任じられると、幕府を開くことができるということで、いよいよ、徳川時代の到来だった。
しかし、問題は、秀吉の息子だった。
息子の秀頼がいる以上、まだまだ安心はできない。
秀頼の方が、格上で、しかも、圧倒的に若く、自分の息子と比較しても、まだまだ大名の行方を考えると安心できない。
それを考え、豊臣家の滅亡を画策することになり、結果、豊臣家を滅ぼして、
「徳川の独裁政権」
を築くことになる。
そこで、初めて、
「戦乱の世が終わった」
ということになり、徳川の天下となるわけだが、その時、徳川家が行ったのは、
「徹底的に、豊臣の遺構の破壊」
ということであった。
豊臣が存在していたことが残っていれば、庶民は、
「豊臣時代を思い出す」
ということになり、
「あの時代がよかった」
ということになると、せっかく、豊臣を滅ぼしたのが、無になってしまうというものであった。
それを考えると、
「政権が変わると、過去の政権の遺構を、完全に破壊する」
ということを行ったり、
「存在していた、歴史の事実であっても、自分たちの政権のためには、それらを、捻じ曲げなければいけない」
ということもあったりした。
だから、徳川の書き残した歴史書などには、改ざんがあったり、豊臣が残していたかも知れない歴史書を、
「まるでなかったかのように、抹殺」
してしまったものもあることだろう。
そこまでしないと、徳川の世が、正しくないなどという人が出てきて、そこで、
「軍事クーデター」
などが起こってしまうと、徳川政権の危機になるだろう、
さて、そんな徳川時代であったが、
「形あるものは必ず滅びる」
ということで、260年という長きに及んだが、それがうまく行っていた理由の一つに、
「鎖国制度」
というものがあったからだ。
海外との接触を断つ。
しかし、すべて断ってしまうと、貿易の利益がなくなるということで、長崎の出島だけを、貿易の許可を出していたのだ。
これも、
「諸大名に、利益をもたらせないため」
ということで重要だったのだ。
そして、鎖国の一番の目的は、
「キリスト教の布教の禁止」
にまつわるものだった。
「キリスト教は国を亡ぼす」
と言われていたが、それは本当のことだった、
正直、大航海時代においては、ヨーロッパの国は、植民地を獲得する手段として、
「まず、キリスト教を布教させる」
というところから始めて、そのあと、
「国が乱れる」
ということでの、
「内乱勃発に乗じて、軍を送り込み、その混乱を収めることで、植民地とする」
というやり方をしていたのだ。
つまり、
「キリスト教は、植民地政策の第一歩だった」
ということなのだ。
日本が、そのことを分かっていたのかどうかまでは、難しいところだが、信長は、比較的、緩和で、
「貿易や布教は許すが、政治への口出しは許さない」
ということであった。
これは、信長を脅かす、
「本願寺などの一向宗や、延暦寺などの勢力をけん制する」
という意味もあっただろう。
つまり、信長は、
「キリスト教を利用しよう」
と考えていたのだ。
比較的、
「自分の権威」
ということよりも、実を取ることの多い信長らしい。
きっと、自分の権威が、揺るぎないものだという自負があったのかも知れないし、あくまでも、
「戦国時代」
という戦乱の時代を生き抜くための、考えだったことだろう。
しかし、秀吉の場合は、すでに、天下を統一し。今度は、平和の中での、時代を築くということだったのだ。
そのためには、
「キリスト教は邪魔でしかない」
ということだったのだ。
それでも、最初は容認していたのだろうが、それは、ヨーロッパ諸国と緒貿易を考えておことだろう。
「キリスト教を禁止してしまうと、貿易もできない」
ということになってしまうかも知れないからだ。
だから、実際に、最初は、
「キリスト教禁止令」
を出しながら、貿易を続けたことで、
「禁止令」
というものが曖昧になっていったというのが事実だったのだ。
そんなことがあってから、
結局、豊臣家は、一代で潰れるということになった。
足利幕府は、15代まで将軍が続くことになるが、最盛期を迎えたのは、3代将軍までで、そこから先は、ほとんど、有名無実であった。
しかも、鎌倉幕府も、源氏は3代まで、
「北条氏の策略のため、3代で、ほろんでしまうことになった」
といえるだろう。
ただ、頼朝自身が、息子を可愛がる一心で、兄弟を滅ぼすことになるのだから、
「自業自得」
の面もないわけではなかったが、そんな頼朝を見て、北条氏も自分たちの安泰のために、結果として、源氏の滅亡を招いたのだ。
そんなのを家康は見ているので、
「徳川家が、ずっと続く世を作ろうとしていたのだろう」
それを思うと、
「豊臣家の存在を徹底的に抹殺する」
という考え方も無理もないことだろう。
裏を返せば、
「庶民の中には、比較的、豊臣家の政治はありがたがられていた」
といっても過言ではないだろう。
それを考えると。
「徳川政権から、取って代わった政権が、今度は徳川の時代を徹底的に否定する」
というのも当たり前のことではないだろうか。
特に、
「徳川時代の終焉で訪れたのは、天皇中心の、中央集権国家」
というものだ。
中世において、何度となく、朝廷が画策して、
「町営中心の世の中にしよう」
ということを考えた人もいた。
鎌倉時代における、
「承久の変」
というものが、まずその一つだった。
前述のように、
「源氏が三代で終わった」
ということで、当時の、
「後鳥羽上皇」
が、北条氏追悼の宣旨を出すことで、鎌倉方と戦になった。
上皇方の目論見としては
「鎌倉方は、結束はない」
と思っていたかも知れない。
というのは、
「朝廷に弓を引くというのは、朝敵ということで、もし、敗れれば、末代までたたられる」
という考えがあったからだ。
それだけ、政治の実権は、幕府にあるとはいえ、まだまあ朝廷の権威は、衰えることはない。
「朝敵になるわけにはいかない」
ということで、
「兵もそんなに集まらない」
と踏んでいたのだろうが、いわゆる、
「北条政子」
の演説によって。幕府軍は結束した。
そもそも、平家を追悼し、鎌倉政権を作ったのは、
「武士の時代」
を作り、朝廷からこきつかわれることを嫌がったからだった。
そんな坂東武者の気持ちを一つにして、政権を築いたのが、頼朝だったので、
「その時代をまた昔のようにして、朝廷にこきつかわれたいのか?」
ということになるのだったが、政子の演説で、御家人たちは、そのことを思い出したのだった。
そのおかげで兵は結束し、圧倒的な強さで、都に攻め入り、幕府方が勝利を収めたのだった。
それから、鎌倉幕府が、
「元寇襲来」
ということで、結果、相手の侵略を退けられたが、借金をしてまで奉公した武士が報いられないことで、不満が爆発したところに乗じたのが、
「後醍醐天皇」
ということで、今度は倒幕に成功した。
しかし、今度は、朝廷中心の政治に戻ったことで、それこそ、平安時代のような、貴族中心の文化で、武士は、その下というような扱いだったのだ。
「自分たちが命を懸けて、鎌倉幕府を滅ぼしたのに」
と考えるのも当たり前だ。
承久の変の時に、感じたことを忘れてしまったのかということなのだろうが、その時は、実際に、生活ができなくなるほど武士は困窮していたので、
「鎌倉幕府の滅亡」
というものは、免れなかっただろう。
しかし、それだけではなく。
「鎌倉幕府を滅ぼした後」
ということであれば、
「歴史を元に戻す」
ということが、いかにおろかなころか
というのを、身に染みて分からせたのが、この、後醍醐天皇における。
「建武の新政」
というものだったのだ。
さすがに武士もこれには不満であり、
「一度は敗れた足利尊氏を慕って、武士が終結することで、後醍醐天皇は、吉野に逃れ、そこで、朝廷を立ち上げることになった。
そのため、京と吉野に、
「二つの朝廷」
というものができるという、歪な状態で、足利時代が始まったのだ。
この時も、天皇中心の中央集権国家を作ろうという野心は、
「武士が存在し、封建制度がなりたっている以上、無理だ」
ということがハッキリとした時代でもあった。
それが、いわゆる、
「幕末」
という時代に差し掛かると、少し、事情が変わってくる。
というのは、
その時代になると、問題は、
「それまで行っていた鎖国というものを、アメリアが、砲艦外交で、脅しをかけてくることで、やむなく開国したことから始まった」
といえるだろう。
最初こそ、
「外国を打ち払う」
という勢力があったのだが、そのうちに、
「四国艦隊下関砲撃事件」
であったり、
「薩英戦争」
などにおいて、
「海外の力を目の当たりにした」
ということで、薩摩や徴収は、
「攘夷は無理だ」
ということで、
「天皇中心の中央集権国家にして、幕府を倒す」
という考えになったのだ。
これが、
「尊王攘夷」
という考えから、
「尊王倒幕」
という考えに変わっていったのだ。
つまり、
「武士が中心」
という、
「古い中世における、封建制度」
というものを、徹底的に粉砕し、新しい世の中にするために、西洋に習うというやり方を模索したのだ。
だから、明治政府とすれば、
「幕府が政権を返上しようとも、幕府の存在を許すことはできない」
ということで、あくまでも、
「倒幕による、中央集権国家の建設」
を模索したのだ。
これは奇しくも、
「江戸時代に入った時の、徳川がやった、豊臣政権の遺構を徹底的に破壊したというあのやり方ではないか」
260年経ってから、自分たちのやったことをされてしまうということで、
「時代は巡ったとしても、基本は変わらない」
ということになるのかも知れない。
この時は、
「海外からの圧力」
というものと、
「世界的な流れ」
には逆らえなということが分かったからだろう。
なぜなら、
「もう、武士の時代は終わった」
ということである。
世界的にも中世、封建制度のような時代はとっくに終わりを告げていて、
「帝国主義」
が多く存在していた。
鎖国がなくなったことで、諸外国のことが分かってきて、明治維新を迎えるにあたって、日本国内で起こった、
「戊辰戦争」
と呼ばれるものは、一種の。
「英仏による。代理戦争だ」
といってもいいかも知れない。
旧幕府方には、フランスが、新政府軍にはイギリスが、それぞれついての戦争であった。
それでも、何とか新政府軍が勝ち、いよいよ、
「天皇中心の中央集権国家」
というものができあがった。
大きな目的の一つとして、
「武士をなくす」
つまり、
「士農工商」
と呼ばれる身分制度の撤廃が目的だったのだろうが、内乱が多かったこともあって、平等とはいいながらも、
「武士は、士族」
ということで、その存在を残し、徐々になくしていくという方法しかとることがでいなかったのだろう。
そんな時代において、
「時代のミステリー」
というのもあっただろう。
そもそも、これだけの内乱があり、しかも、国内で、英仏の代理戦争まであったくらいなので、
「よく植民地にならなかった」
ということであろう。
確かに、イギリスの新政府が勝ったのだから、この新政府を倒すか、傀儡政権のようにすることだってできただろう、
しかし、それができなかったのは、
「アメリカに配慮して」
ということだったのかも知れない。
そもそも、日本を開国させることに成功した、
「功労者」
というのは、アメリカではないか、
アメリカが、
「開国しないと砲撃する」
という姿勢を見せたことで、幕府が開国に踏み切ったではないか。
それを考えると、
「アメリカを無視して、イギリスだけで、植民地にしてしまうことはできない」
なんといっても、
「日米修好通商条約」
というものがあるからだ。
そういう意味でのミステリ^というのは、
「植民地にならなかったことの理屈は分かるが、そのおかげが、アメリカによる砲艦外交だったというのは、皮肉なことだ」
という、
「歴史の綾」
というものが、そこに潜んでいるということからであろう。
「日本の運命というのは、それぞれのターニングポイントで、いつも、日本国が助かるという偶然と言えばいいのか、やはり神がいるとでもいうのか、そういう意味でのミステリーというものが、存在している」
ということなのであろう。
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