ひずみさん
「お待たせしました。」
突然後ろから声が聞こえたのでびっくりして、思わず飛び上がりそうになった。
振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
第一印象は、小柄な人。
私も背は低いほうだが、彼女はそんな私よりも小さく、多分百五十センチにも届かなさそうなほどだった。真っ黒な髪を肩まで伸ばし、感情の読めない顔をしている。年齢は三十代後半くらいだろうか。あまり若くはなさそうだった。
「
ひずみとはまた、すごい名前だ。
私が呆気にとられていると、彼女が話し始めた。
「事情は
清美さんというのは私の先輩のことだ。やはり、話は聞いていたのか。
「菜月さん?」
何も言わない私を見て、ひずみさんがわずかに眉をひそめた。切れ長の目が冷たさを孕んでいて少し怖い。
私は慌てて「大丈夫です。」と返し、こっちですと彼氏が待つ家の方へ歩いて行った。
「そういえば、なんで私だとわかったんですか?服装の特徴とかを伝え忘れていたんですけど…。」
二人並んで歩いている途中、ふと気になったので訊いてみた。初めのほうよりかは幾らか話せるようになっている。
ひずみさんは前を向いたまま、淡々と言った。
「別に大した話ではありませんよ。あの時駅前に立っていた若い女性は、貴女くらいしかいませんでしたから。ただそれだけのことです。」
私は思わず「はあ…」と間の抜けた返事をしてしまった。
そうこうしているうちに、いつの間にか家についた。
「いいですか。ひずみさんは私の友人で、帰り道で偶然会ったから一緒に来た、という設定ですよ。」
部屋の前で声をひそめて言った。
ひずみさんが無言で頷く。私と目が合うことはない。
ふー、と大きく深呼吸をして、それから思い切ってドアを開けた。
「ただいま。」
玄関に足を踏み入れた瞬間、ドタバタという音とともに彼氏がこちらへ走って来るのが見えた。
「なーちゃん!どこ行ってたの。俺すごい心配して…」
そこまで言って、突然、彼氏がフリーズした。その目は、私の隣のひずみさんに向けられている。
「え、誰?」
「えっと、この人は…」
「はじめまして。菜月さんの友人の神坂ひずみです。いきなりお邪魔して申し訳ありません。」
ひずみさんが私の言葉を遮って、抑揚のない声で言った。
「そ、そうなの!帰り道に偶然ひずみさんと会ったから、せっかくだからってことで…あはは。」
私も慌てて言う。彼氏ははじめ怪訝な顔をしていたが、私が「昔通っていた料理教室で良くしてもらったの。」と付け足すとようやく納得したのか、「はじめまして」とひずみさんに微笑みかけた。
「料理教室なんて行ってたんだ。知らなかった。」
「う、うん。三年くらい前かな?」
「あーじゃあまだ付き合ってない頃だ。」
部屋の中央に置かれた円形の低いテーブルを、私と彼氏、ひずみさんの三人で囲んでいる。
テーブルの上には私が昨日作り置きした料理たちが並んでいる。時間も時間だったので、三人で夕食をとることにしたのだ。
ひずみさんはさっきから何も話さない。ただ黙々と食事をしているだけだ。でも彼氏はそんなひずみさんを特に気にしていないようで、時々「うま」と独り言を零しながらもぐもぐと咀嚼している。
それからは特に会話もなく、カチャカチャという食器の音とそれぞれの咀嚼音だけが部屋に響いていた。
「本当に、突然お邪魔して申し訳ありませんでした。食事まで頂いてしまって。」
玄関口に立ったひずみさんが私と彼氏に向かって深くお辞儀をする。
顔を上げる時、目があった。
何かを訴えようとしているような目だった。
「ひ、ひずみさん!駅まで送りますよ。」
私は急いで靴を履き、ひずみさんの手を取った。
「行ってくるね」と彼氏に目配せをする。
彼は小さく頷いて微笑んだ。
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