純粋な人


 袋の中身が落ちてきたのは、完全に不意打ちだった。


 重いものがずるりとすべり落ちていって、袋が急に軽くなる感覚。気づいたときには、中身が床に落ちているのが視界の端で確認できた。


 袋の中身は、見たくなかった。

 でも、見てしまったのだ。というより、見えてしまった。



 柔らかな毛並み、それが固まり始めた血液で汚されている。ぐったりと力を失った四肢。普段は愛らしさの象徴であるはずの三角の耳が、赤く染まって汚くなっている。




 猫。猫が、落ちてきた。



 悲鳴をあげてしまいそうになって、慌てて両手で口を塞いだ。


「なーちゃん!なにしてるの。」


 驚いた声とともに、彼氏が後ろから駆け寄ってきた。


「あちゃー、落ちちゃったんだね。でも大丈夫。戻してあげるよ。」


 そう言って彼はぐったりと横たわる猫を持ち上げ、袋の中に戻した。


「じゃあ捨てに行こっか。」


 彼は場違いに明るい声で言って、そのまま先に行ってしまった。


 でも私は、その場に立っているのがやっとだった。猫の死体を見たこともそうだが、それよりももっと、恐ろしいものを見てしまったから。


 あの時、彼が猫を持ち上げた時、見えてしまったのだ。猫の首にある、刃物のようなもので切り裂かれた痕が。

 見間違いではない。

 あれは間違いなく致命傷だ。きっとあの傷によって、猫は死んでしまった。

 多分事故では無いだろう。人間が意図的にやったものだと、一目でわかった。


 じゃあ、誰が?


 誰かがあの猫を殺して、それを彼氏が可哀想に思って持って帰ってきたのか。


 あるいは――――


「なーちゃん?どうしたの?」


 なかなかついてこない私を心配してか、彼が私の方へ戻ってきた。


「なんでもない。」


 無理して作った笑顔も、今の彼には純粋な笑顔に見えるのだろう。ぱあっと目を輝かせて、じゃあ行こう、と私の手を握って歩き出した。


 その手を、私は握り返すことができない。

 怖かった。今すぐにでも彼に聞きたかった。


『あの猫を殺したのは、あなたなの?』


 でもそんなことできるわけもなく、私はただ、彼に手を引かれて足を引きずるように歩くことしかできなかった。

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