四 突然の祝言
「実は」
隅田村の白鬚社の番小屋に戻った石田は、仲間たちに石田屋での出来事を説明し、これから石田屋へ行くように頼んだ。
「石田さんが、亡き妻の佐代殿に似た小夜殿と互いに一目惚れなら、祝言を先延ばしにはできぬ」
「日頃から石田さんに世話になっている我らだ。小夜殿の借金の不足分は我らが用立てる」
「石田屋さんが借金の不足分を肩代りしたのでは、今後の始末に我らの言い分が通らなくなるやも知れぬ」
石田の仲間はそう言って不足分の五両を石田に用立てた。
石田は自分の十五両と合わせ、二十両を持って仲間と共に石田屋へ向かった。
石田が仲間と共に石田屋に戻ると、
「私は主の幸右衛門です。此度は始末、ありがとうございました。
ささっ、皆様、奥へどうぞ」
幸右衛門は丁寧に挨拶して石田と仲間たちを奥座敷に招いた。
奥座敷で幸右衛門は石田の仲間たちに、小夜と女房の美代、番頭の佐平、手代の富吉を紹介した。幸右衛門と女房の美代が祝言の仲人役だ。
「では借金はこれにて返します。
小夜殿の借用証文を私に下さい」
石田は幸右衛門に二十両を渡し、小夜の二十両の借用証文を得た。
「これで祝言を挙げずとも、小夜殿は自由の身です。
上州の国元へ帰るなり、借金の無い下女として奉公するなりできますよ」
すると小夜がやや膨れた面持ちで石田に言った。
「国元に帰りませんっ。旦那様の御内儀になります。さっき約束したでしょうっ」
「ではもう一度確認します。小夜殿の元に通いになっても構わぬのですか」
「はあい。祝言を挙げたら、旦那様が何処にいようと、私は旦那様の御内儀ですよ。
私は旦那様を見初めました。旦那様も私を見初めました。
後にも先にも、旦那様は石田様だけですよお」
小夜は笑顔で石田を見つめている。
石田は小夜の言葉に驚いた。
旦那様が何処にいようと、私は旦那様の御内儀です、とは確かに小夜殿の言うとおりだ。しかしなんと鷹揚と言うか大雑把と言うか。
細かい事に拘らぬ小夜に、石田は何も言えず安堵して大笑いしそうになった。石田の仲間たちは小夜の一言で小夜に好感を持った。
「ささ、隣の座敷に昼餉を仕度いました。皆様、お召しあがりください。
昼餉がすみましたら、皆様、祝言の仕度をなさってください」
幸右衛門は小夜と石田たちを昼餉の膳に着かせた。
仲間たちが昼餉の膳に着いた。
「馳走になります」
「それにしても、小夜殿は見目麗しゅうござる。背も高こうて石田さんにお似合いぞ」
「鷹揚で可愛い。一途よな」
石田は小夜と共に顔を赤くして上座で昼餉を食した。
その後。
石田と小夜の祝言は無事に終わり、仲間は隅田村の白鬚社の番小屋へ帰路に着いた。
幸右衛門は小夜に、上女中専用の一部屋を与えた。小夜は石田の女房で石田屋に奉公する上女中になった。
初夜の臥所で小夜は石田に語って聞かせた。
小夜は読み書き算盤に長けていた。小夜は上州の郷士の娘で、昨今の冷害で米が実らず、郷士も窮したため借金がかさみ、借金の肩代りに小夜が奉公を買って出た。郷士の家の家計は小夜が切り盛りしていたのである。
石田は廊下を拭き掃除する小夜の身のこなしを見て、小夜が武家の娘ではないかと感じていた。小夜の素性は推察どおりだった。
「ひと月もしたら、算盤を使うね。旦那様から教えてもらったことにするよ。
二人だけの時は、みつなり、と呼んでいいよね」
「いいですよ。幸右衛門さんは、小夜殿が算盤を使えるのを知らぬのですか」
「うん。仕事を増やされると大変だから、黙ってたよ」
「それなら、小夜殿の思うとおりにしてみなさい」
「はあい、旦那様。でも小夜殿はやめてね。小夜でいいよ」
「はい、分かりました。小夜さん」
「もおっ、みつなりったら。さよって呼んでねっ」
「はい、小夜さん」
「みつなりぃ、かわいいっ」
二人は互いを見て笑った。
そして、ひと月も経った頃。
幸右衛門は小夜の算盤裁きに驚いた。小夜が上州の百姓の娘だと口入れ屋から聞いていたため、多少とも読み書きできる小夜が算盤もできると知って、石田が小夜に読み書き算盤を教えたと思っていた。石田から小夜は郷士の娘と素性を聞かされても心得たもので、石田にいろいろ始末を頼むのに、小夜を通じて事を進めれば好都合だったため、上女中専用の一部屋に代わって、小夜に家人用の部屋を与え、石田を迎えるように手筈を整えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます