四日目 アクアリウム
「貴女の本名は?」
「覚えていません」
「貴女のご年齢は?」
「分かりません」
「潮干山町にいらっしゃる前のご住所は?」
「分かりません」
「貴女のご家族は?」
「覚えていません」
「貴女の初恋の人は?」
「それも覚えていません」
「現世に未練は?」
「ありません」
「はい、よろしいでしょう。問題ありません。貴女の潮干山町居住期間を更新致します」
面長でちょび髭の生えた、ドジョウのような顔の職員が書類にハンコを押す。
「ありがとうございます……あの、外してもいいですか?」
私は頭上のヘルメットに両手を添えて、念のため確認した。
ドジョウ顔は無表情に「どうぞ」と答える。私はヘルメットを外した。額の上に当たる部分には豆電球のようなランプが付いている。ヘルメットは嘘発見器で、もし嘘の発言をした時はランプがピコーンピコーンと赤く光るらしい。私は光ったことないけど。
とにかくこれで私はこれからもこの街に住めることになった。私のような「普通の人間」が潮干山町に長期間住むためには所定の条件を充足している必要があるのだ。その条件とは「現世との縁が切れていること」……つまり、現世で生きていた頃の記憶を失い、かつ、現世への未練がないことである。だから、年に一回、町役場の住民課に赴いて「現世との縁が切れているか」をこうして確認し、条件を満たした場合にのみ居住許可期間を延長される。
今のところ私は条件を満たしている。だが、もしいつか現世の記憶を取り戻したらこの街を追い出されてしまうのだろう。仮にあの嘘発見器が正常に機能していたら、の話だが。
「新しい居住許可証を発行しますので、待合のソファでしばらくお待ちください」
住民課の窓口に面した待合スペースには私の他には誰もいない。壁際には幅六十センチ程の水槽が飾られていた。手持ち無沙汰に何となく水槽を覗き込む。
水中には古い日本家屋を模った石のオブジェがどっしり据えられ、その周りを色とりどりの可愛い熱帯魚達がちょこまかと泳ぎ回っていた。
「そのアクアリウムは竜宮城をイメージしてデザインしたんです」
背後から涼やかな声がした。
振り返ると、役所の制服をきっちりと着込んだ品の良い中年女性が佇んでいた。腰まで伸びた長い黒髪が印象的だ。
「リューグージョー?」
私は首を傾げる。確か、昨日ミヤマさんもそんな事を言っていたような……。
「潮干山町は竜宮城の乙姫様がお造りになった土地という伝説があるんです。ご存知でしたか?」
「いいえ……全然。もしよければ詳しく教えてもらえますか?」
これはもしかしたら観光マップのネタになるかもしれない。
「パンフレットをお渡ししますね」
女性職員はにっこりと微笑んだ。
あるホテルスタッフの潮干山町見聞記 三谷銀屋 @mitsuyaginnya
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