11:20 休憩時間終了

 休憩が終わって再び全員が集まると、神谷は千晴の隣へ座りながら言った。

「お前は大丈夫か?」

「え、何がです?」

 きょとんとする千晴へやや気まずそうに問う。

「妹のことだ。昨日、喧嘩してただろ?」

 言われてはっと思い出す。第三者からすれば、双子は対立したまま片方が行方不明になっていたのだ。しかし、今さらあの続きをしようとも思えないため白状した。

「すみません、あれは演技です。千雨が新たな情報を手に入れるために、わざと言い争っているように見せたんです」

 神谷が目を丸くし、向かいのソファに座っていた木野が問う。

「わざとだったの?」

「ええ、そうですよ。なので、あれは忘れてください」

 苦笑して千晴が返すと、安堵と呆れの息がいくつか吐き出される。わだかまりがあるままだったのではないかと、心配していた人もいただろう。さすがに申しわけないと思い、千晴はきちんと謝った。

「ご心配をおかけしてすみませんでした」

 すると神谷が悔しそうに「俺も気が動転してたんだな。信じちまった」と漏らす。

 千晴は内心で三文芝居もいいところだと思っていたが、少なからず見る者に信じさせるだけの演技力は残っていたらしい。後継者争いをしているという事実も信憑しんぴょう性を高めたのかもしれない。もっとも、第四回後継者争いは中止だが。

「マジでもったいないよ、お前」

 ため息の後で神谷が言った。どこかうらやましげな目をして微笑んでおり、千晴は胸をちくりと刺されたような気がして視線をそらす。

「神谷さんの方が演技、上手じゃないですか」

 脳裏には昨夜の夕食での出来事が浮かんでいた。彼の役者魂を感じたあの時、自分の小ささを知った。

 神谷は「看板背負ってるんだから当然だろ」と、やや不機嫌な口調で返した。

 お互いにしばらく沈黙してしまい、気まずい空気が形成されていく。こんな時にこんな会話をかわすことになろうとは思わなかった。実質的に認め合ったことが徐々に実感としてわいてくる。

 離れたところに座っていた円東は何だか嬉しそうに二人を見ている。木野や倉本も安堵したような顔で、事情を知らない亜坂と万桜だけが首をかしげている。

 五十嵐はふっと穏やかに笑った。

「翔吾さんも千晴も、やっと相手を見られるようになったんすね」

 かつての因縁はすっかり氷解していた。後輩として神谷に可愛がられている五十嵐は、自分が可愛がっている後輩の千晴との間で板挟みになっていた。口に出すことはなかったが、きっと彼なりに悩んだ日もあったのだろう。

 神谷は照れ隠しのように頭をがしがしとかいた。

「今はそんな話をしてる場合じゃない」

 そして座り直すと、咳払いをしてから真面目な声を出した。

「あー、その……思ったんだが、犯人は殺した後に死体を触ってるんだよな」

「口に貼られたテープのことですか?」

 と、千晴も真面目な顔を取り戻す。

「それもあるが」

 万桜はボールペンを握り、二人の会話に耳を傾けた。

「宇原の場合、殺害した後に首を後ろまで回してあっただろう? 口にテープを貼るためだとしても、よく死体に触れたなと思うんだ。普通は気持ち悪くて触りたくない。首を動かすなんてなおさらな」

 神谷は苦い顔をしてみせるが、目はどこか遠くを見つめていた。まるで思い詰めたような表情に見え、千晴は注意して様子をうかがう。

「言われてみればそうですね。殺した後で遺体に触っている……どことなく演出めいている、というか」

「桁さんだって、あんなに刺す必要はないはずだ。何箇所刺されてたか数えてないが、血が物置中に飛び散っていた。やりすぎだと思わないか?」

 桁山の死因はおそらく出血によるものだと考えられるが、血溜まりができるほどに刺されていた。

「考えてみれば、過剰かじょうなくらい血が出ていましたね。それが宇原さんと同じように、演出されていたからだと」

「大井さんだってそうだ。床に涙が落ちてたってことは、彼女は床に座って泣いていたと考えられるが、遺体は自殺に見せかけられていた」

「なるほど、ここでも遺体に触って動かしている。たしかに興味深い点ですね」

 犯人がどのような意図で演出しているのか、それが分かれば解決へ近づけるだろうか。だが、現時点でもっとも怪しいのは神谷だ。

 認め合った直後に相手を疑うのは忍びないが、この会話には何か裏があるのではないだろうか?

 千晴の考えとは裏腹に、神谷は舌打ちをした。

「気味悪いよな、死体に触るなんてよ」

 侮蔑ぶべつのこもった台詞だった。心の底から犯人を軽蔑するかのようだ。

「犯人が演出をしているとして、神谷さんはどういった理由からだと考えますか?」

 千晴が問いかけると、彼は横目に視線をやった。

「さあな。表面的なことで言えば、いかにも残酷にしてやったって感じではあるが」

「大井さんはそこまで残酷ではなかったですよね?」

「彼女は口封じで殺されたからな。予定外の殺人だろうし、時間がなかったから自殺に見せかけるのがせいぜいだったのかもしれない」

 大井が殺害されたのは、千晴たちが出て行った八時十分頃から五十嵐が異常に気づくまでの間だ。時間にして三十分弱である。

「でも、一分あれば殺せるって話じゃなかったですか?」

 神谷の言葉を思い出しながら返すと、彼は顔を向けた。

「それは殺害にかかる時間の話だ。高津妹のシュシュがギャラリーにあっても、それをいつ大井が見つけるかは分からない。他のやつが見つける可能性だってなくはない。時間がなかったと考えた方が残酷に演出されなかった理由になる」

 たしかに辻褄は合っている。

「密室にしていたのは犯行を見られないためでもあったかもな。誰かに気づかれたとしても、扉の鍵を閉めておけば見られずに済む。時間がないならなおさら、さっさと済ませなきゃならないんだ。もし誰かに閉まっている扉を目撃されても、密室にしておけば不自然とは思われない」

「その可能性は高そうですね」

 まるで手の内を明かすような推理だ。納得はする千晴だが、神谷が怪しいことは変わらない。少し踏みこんでみることにした。

「でも、待ってください。犯人は僕たちが戻ってくることを知っていたんでしょうか?」

 万桜が顔を上げた。亜坂と倉本も千晴に注目する。

「は? そんなわけないだろう」

「じゃあ、どうして時間がなかったんですか?」

 千晴が真剣な顔をしてたずねるのを見て、神谷は眉間にしわを寄せた。

「他のやつに見られる可能性があるからに決まってるだろう。さっきも言ったように、あの時はみんなバラバラに行動してたんだ。ギャラリーを出入りするところを見られたらおしまいだ。だから短い時間でさっさと殺害する必要があった。俺がいつ二階に上がるかも分からないんだからな」

「では、犯人が僕たちが戻ってくることを知っていたという可能性は?」

 千晴はさらなる仮説を繰り出した。

「僕たちは誰一人としてスマートフォンを持っていないんです。もう電波を妨害する必要はない。犯人がひそかにスマホを隠し持っていて、ネットニュースやSNSで通行止めの情報を入手していたかもしれません」

 どこか冷めた顔で神谷はうながす。

「それで?」

「僕たちが戻ってくるまでの間に大井さんを殺害しなければならなかった、という考え方もできるのでは? その方が時間がなかったことにも納得がいきます」

 多少は考えてくれたようだが、神谷は呆れた表情になった。

「どっちにしても結論は同じじゃないか。犯人がスマホを隠し持っていようが、証拠がないんじゃ推測の域を出ない。どうでもいいことにこだわるんだな、お前」

「……そうですね、すみませんでした」

 一蹴されてしまった。自白を引き出すのは難しい。しかし、このまま引き下がるのも悔しいため、別の話題を出してみる。

「ところで、あの時神谷さんが居間に残っていたのはどうしてですか?」

「特に理由はない。なんとなくだ」

「そうですか」

 神谷は頭のいい人だ。千晴がどれだけ頭を使っても、彼が犯人であると突き止めることはできないかもしれない。

 すると神谷は躊躇ちゅうちょするように間を置いてから、意外なことを口にした。

「高津、もっと視野を広く持て。妹は見ただけでだいたいのことが分かるんだろう? お前にもできるんじゃないか?」

 千晴は少々嫌な気分になって不機嫌に返した。

「できませんよ。僕は千雨みたいに視覚が鋭くないんです。強いて言えば、聴覚には自信がある程度だし」

「聴覚?」

「ええ、そうですが。どうかしました?」

 神谷は重大なことに気がついたように目を見開いていた。それから座り直して前傾姿勢になり、両手で頭を抱えながら問う。

「お前、もしかしてリズムゲームが得意だったりしないか?」

「いえ、リズム系は苦手です」

「でもお前、間をとるのが上手かったよな?」

 千晴は俳優として活動していた頃を思い浮かべた。

「そうですね、けっこう褒められることが多かったような」

「聴覚で動いてたんだな」

 唐突な言葉に今度は千晴が目をみはった。かまわずに神谷はため息をつく。

「勝てるわけがなかったんだ」

「あの、どういうことですか? いったい何の話ですか?」

 困惑する千晴へ代わりに円東が答えた。

「千晴は無意識だったかもしれないが、間の取り方が魅力の一つで武器だった。お前が舞台に立つと、その絶妙な間の取り方で観客はみんな夢中になってしまう」

「聴覚が優れてるからそんな真似ができたんだ。お前は舞台を、観客を支配してたってことだ」

 そう言われると心当たりがある。これまで言葉にしたことはなかったが、体感的に理解していたことだ。

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