10:44 居間の窓に気づく

 冷静さを取り戻そうと何気なく周辺を見やったところで、千晴は気がついた。建物のちょうど側面に位置していて居間の窓が見えるのだ。高さがあるので中の様子までは見えないが、あの窓からなら投げ捨てるのは簡単だったのではないだろうか。

 同時にギャラリーでの推理を思い出し、千晴は導き出された事実を口にする。

「大井さんを殺すのに使った罠はこれだったんだ」

 女性であれば千雨のシュシュを覚えていてもおかしくない。猫のチャームという特徴的なものまでついているのだ。大井はこれを見つけ、嫌な想像をして涙したに違いなかった。

「いったい、誰が……」

 後ろで倉本が恐ろしそうにつぶやく。

 大井を殺害後、罠に使用したシュシュを投げ捨てたとすれば……あの時、居間にいたのは神谷だけだった。

「万桜ちゃん、いや、倉本さんと亜坂さんにも聞いてほしいんですけど」

 前置きをしてから千晴は自分の考えを言語化し始めた。

「僕たちが戻ってきたのは、道が土砂でふさがれていたからだった。それは誰も知らなかったことであり、予想の出来ない事態だった。でも犯人がその情報を入手していたら?」

 万桜が小さく首をかしげる。

「通行止めを知ってたってこと?」

「そう。誰一人スマートフォンを持っていないんだから、ジャミング装置はオフになっていてもおかしくないんだ。犯人が隠し持っていたスマホでネットニュースやSNSなどから情報を得ていたら、僕たちが戻って来ることを分かっていたことになる。だけど、木野さんたちは荷物をまとめると言って部屋へ戻ったんですよね?」

 亜坂が「そうです」とうなずく。

 千晴はため息をつき、苦々しく疑問を口にする。

「僕たちが戻ってきた時、神谷さんは一人で居間にいた。どうして他の人たちが部屋へ戻ったのに、彼だけ居間に残っていたんでしょう? 警察が来るのを待つ間に、自分も荷物をまとめようと思うのが普通では?」

 答えは簡単だ。万桜が声を震わせながら返す。

「まさか、わたしたちが戻るのを待ってた? ずっと居間にいたと証言して、そう思いこませるため?」

「そういう仮説が立てられる、というだけだよ。まだ決まったわけじゃない。だけど、彼も容疑者だということを忘れちゃならない」

 嫌な想像だ。真面目な彼のことだから、ずっと居間で千晴たちを待っていただけかもしれない。だが、他のメンバーがバラバラに行動を取っているのだから、自分だけずっと居間で待っているなんて馬鹿らしくはないか。

 千晴は半信半疑になりながら万桜へたずねた。

「ところで万桜ちゃんに聞きたいんだけど、離れで血の匂いはしたかい?」

「え? ううん、しなかったよ」

「それならいいんだ。ありがとう」

 千雨が出血した可能性は俄然がぜん低くなった。しかし油断はできない。


 本館へ戻った頃には木野がトイレから出てきていた。台所でぼんやりと水を飲んでいた彼女に声をかけ、千晴たちは再び居間へ集まった。

 テーブルの上に置かれたシュシュを見て、五十嵐はその場に膝をついた。

「千雨……っ」

 力をなくしてくずおれる五十嵐を、そばにいた倉本が気遣う。木野は生気のない顔で呆然としているばかりだ。

 千雨の遺体はどこにもなかった。三階にも二階にも、一階にも離れにもなかった。見つかったのは血のついたシュシュだけだ。

「どこにあったんだ?」

 神谷が神妙な顔で問い、千晴は窓へ寄った。外を指さして返す。

「すぐそこですよ」

「外にあったのか? 何で?」

 隣に立つ神谷を横目に盗み見て千晴は考える。

「さあ、分かりません」

 外にシュシュを捨てた理由は不明だ。しかし確実なことがいくつかある。

「ですが、大井さんの泣いていた理由は明らかになりました。千雨のシュシュを見つけたからです」

 室内へ視線を戻し、千晴はソファへ腰を下ろす。

「それと犯人が千雨と会ったこともたしかになりました。その後に何があってどうなったのかは分かりませんが、大井さんの感じた気配はやはり千雨だったと言いきっていいでしょう」

 神谷が隣へ座ってきて問う。

「それで? 次はどうする?」

 まだ彼を問い詰めるには証拠が足りない。千晴は万桜や亜坂、倉本にも神谷を刺激するようなことを言わないよう、しっかりと口止めしていた。

 その上で千晴は言う。

「申しわけないんですが手詰まりです。どうしたらいいか分からないので、少し休憩させてください」

 神谷は意外に思ったのかほうけたような顔をした。

「休憩って、お前……」

「神谷さんも疲れたでしょう? 考えるのを中断して気分転換しましょう。他の人たちも好きに過ごしていいですよ。今がちょうど十一時なので、休憩は二十分間としましょう。十一時二十分になったらここへ戻ってきてください」

 円東がうなずき、腰を上げた。

「おれは裏でタバコを吸ってるよ」

 重たい足取りで出ていく彼を見送り、神谷は足を小刻みにゆすらせた。ため息をついてから腰を上げ、倉本へたずねる。

「倉本さん、酒は置いてないんでしたっけ?」

「ああ、今回は用意してないな。コーヒーか紅茶か、オレンジジュースならある」

「じゃあ、それでいいです。巧人、お前も来るか?」

 倉本が立ち上がり、神谷は五十嵐へ声をかけた。

 悄然しょうぜんとしていた五十嵐は我に返ってゆっくりと立ち上がった。彼の肩へ手を添え、励ますようにして神谷は歩き出す。

 二人の後に続いて倉本も居間を出て行くと、向かいのソファに座っていた亜坂が千晴へたずねた。

「あの、わたしもまだ疑われてるんですよね? どうしたら容疑者ではなくなるんでしょうか?」

 不安げにこちらを見つめる彼女を見て千晴は困惑したが、すぐに視線をそらして慎重に言葉を選んだ。

「亜坂さんではないと言いきれる証拠やアリバイがあれば、容疑者から外すことが出来るんですが……今のところ、それがないんですよね。犯人につながる決定的な手がかりも見つかってませんし、申しわけないんですがどうしようもありません」

「それなら、わたしも自分の疑いを晴らすために行動するべきでしょうか? 千晴さんたちに任せてしまうのも、何と言うか、申しわけないですし」

 反応をうかがうように亜坂は上目遣いでこちらを見た。

 千晴は無意識に彼女を見てしまい、心臓をドキドキと高鳴らせる。頬がじんわりと熱くなり、こんな時だというのに反応してしまう自分を忌々しく思った。

 すぐ横で万桜が何か言いたげな視線をよこしてきたが、千晴は咳払いをしてから真剣に答えた。

「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です。ただし今後どうなるかは分かりません。できるだけ早く犯人を見つけ出したいとは考えています」

「そうですか、分かりました」

 話が落ち着いたところで万桜が袖を引っ張った。

「お兄ちゃん、着替えてきてもいい?」

「ああ、そうだね。一人で大丈夫かい?」

「こわいから一緒に来て」

「分かった」

 万桜は安堵したように頬をゆるめ、立ち上がった。千晴も後をついていき、二人で廊下へ出た。


 部屋へ入ると万桜が足早に奥へ向かいつつ注意した。

「こっち見ちゃダメだからね」

「見ないよ」

 苦笑いを返しながら千晴は手前にあったベッドへ、妹に背を向ける形で腰を下ろす。

 万桜はキャリーバッグから服を取り出し、寝巻きのTシャツを脱いだ。

 横目にテーブルの上を見て、千晴はぽつりと言う。

「千雨の化粧水とか、そのままになってるね」

 ちらりと兄の方を横目に見て、万桜は小さくうなずいた。

「うん。本当に突然消えちゃった、って感じ」

 ズボンも履き替えて脱いだ寝巻きをきちんとたたむ。

 沈黙を嫌うように千晴はまたつぶやいた。

「途中棄権、ってことでいいのかな」

「何の話?」

「後継者争いだよ。千雨が行方不明になったんだから、この勝負はなかったことにするしかないでしょう?」

「ああ、そういうことね」

 寝巻きをベッドの上に置いて、万桜は沈んだ声を出した。

「途中棄権、か。嫌な言葉だな……」

 千晴は何も言えなくなり、伏し目がちに自分の膝を見つめる。これからどうしたらいいか、しっかり考えなければならないと思った。


 二人が居間へ戻ると、五十嵐と倉本がすでに戻ってきていた。ただ一人、神谷だけは食堂の方にいた。

「どうしたんですか、あれ」

 不思議に思った千晴が五十嵐へたずねると、彼は首をひねった。

「さあ。何かよく分からないけど、一人にしてくれってさ」

「そうですか」

 神谷はアンティークな小さい棚の前に立ち、天板に置かれた時計を見ているようだ。否、置き時計に視線が向けられているように見えるだけで、実際はどこか遠くを見ているのかもしれない。これまでに得た情報をきっと頭の中で整理しているのだ。

「お兄ちゃんが手詰まりなんて言うからだよ」

 ぼそりと万桜がつぶやき、千晴は少々不快な気分になる。

「僕だってちゃんと考えてるよ」

 神谷に負けていられない。胸のどこかに嫉妬のような感情が芽生えつつあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る