09:53 物置を見に行く

 廊下を奥へと進み、半開きになっている扉の前に立つ。神谷が片手で鼻を押さえながら扉を開いた。

 ブルーシートのおかげで遺体を目にせずに済んだが、鉄臭さはまだ充満している。周囲に飛んだ血は朝見た時よりも色が黒くなって固まっていた。

「あの、奥にあるものは何でしょうか?」

 廊下から物置内を観察していた千晴は、ブルーシートに一部が隠れている何かを指さした。右の奥に黒っぽい塊が見えていた。

 気づいた神谷はそっと中へ入り、血を踏まないように注意してかがむとブルーシートを持ち上げた。

「包丁だ」

「やっぱりありましたね」

 シートを元に戻してから神谷が戻って来る。すぐに扉を半開きにして千晴と向かい合った。

「凶器は台所にあった包丁だった。これに間違いはなさそうだな」

「ええ。犯人はおそらく夜の間に台所へ入り、包丁を持ち出したのでしょう。目の前で包丁を持ってこられたら、その時点で大騒ぎになるでしょうから」

 夜中、亜坂と鉢合わせた時に犯人がいなかったのは幸いだった。何かが違えば、いなくなっていたのは自分だったかもしれない。

 廊下を戻り始めながら神谷が言う。

「そうすると包丁で脅されて物置へ連れてこられた、ってわけか」

「ええ。物置で殺害したのは、倉本さんに発見させるためでしょう」

「朝食を作るために倉本さんが下りてくることを知っていて、物置の扉を開けておいたんだな。第一発見者になるよう、犯人が仕組んでいたわけだ」

「おそらくそういうことです」

 居間へ戻り、神谷は短く結果を伝える。

「物置の中に包丁があった」

 劇団員たちはほっとしたような、戸惑うような表情だ。

 かまわずに千晴と神谷は再びソファへ腰を下ろす。桁山を殺害した凶器については分かった。だが、気がかりなのはもっと別のことだ。

「千雨が見つからないのは、やっぱり想定外だったからでしょうか」

 千晴は声を沈ませ、神谷がため息をつく。

「予定にないことだったから、慌ててどこかに隠したのか? ってことは、もしかすると自分の部屋かもしれないな」

 すると五十嵐が立ち上がった。

「探さなきゃ」

「え? 千雨をですか?」

 驚く千晴へ五十嵐はうつむいたまま告げた。

「どこかにいるはずなんだろ。だったら、早く見つけてやらないと」

「待て、巧人。今はまだ座ってろ」

 神谷がなだめるように言い、五十嵐は顔を上げた。悔しそうににらみつけ、今にも動き出したいのをこらえるように腰を下ろした。

「すみません」

 何だか様子が変だ。いつもの彼は常に明るく世話好きで、たいていのことは笑い飛ばすような人だった。これほどまでに深刻そうな顔をするのは見たことがない。五十嵐は肩を落とし、心ここにあらずといった様子で視線は宙をさまよっている。

 神谷も同じように感じたらしく、五十嵐へたずねた。

「いったいどうしたんだ? 今日のお前、らしくないぞ」

 五十嵐は前かがみになり、両手を握り合わせる。いくらかの戸惑いの後で口を開いた。

「昨日、聞いたんですよ。千雨、彼氏と別れたって。それで、オレ……実はずっと前から、あいつのこと、好きで」

 万桜は驚いて口元を両手で覆い、千晴も目を丸くした。まったく初耳の情報だったが、嘘ではないようだ。五十嵐の頬がわずかに紅潮していた。

「だから、早く探さなきゃって……」

 彼は焦っているのだ。結果がどうであろうとも、想い人である千雨を見つけてやりたいのだ。

 神谷は呆然としてから、苦虫を噛み潰したような表情で千晴を見た。

「考えるのは一旦やめにして探すか? 高津、覚悟はできてるか?」

「……そう、ですね。ええ、探しましょう」

 五十嵐のためにも千雨を探すのを優先することにした。もう現実逃避してはいられない。

「三人と四人で分かれましょう。どちらに犯人がいたとしても、三人以上であれば手は出せないはずです」

「分かった。どうやって分ける?」

 万桜は自分と離れたくないだろう。亜坂も男性といるよりは女性と一緒の方がいいはずだ。残る面々を見て千晴は決めた。

「僕と万桜ちゃん、亜坂さん、倉本さんでどうですか?」

「俺は円東さんと巧人の三人だな」

「はい。神谷さんたちは二階と三階を探してください。僕たちは一階と離れを探します」

「分かった」

 それぞれ立ち上がり、万桜は手を伸ばしてノートを取った。


 手始めに居間と食堂、玄関ホールを探したが収穫はなかった。スマートフォンを預けた箱とジャミング装置、大井さんのスマートフォンのいずれかでも見つけられたらと思ったが、どこにもそれらしきものはない。

 浴室、洗面所、トイレのタンクの中まで探してみたが、わずかな痕跡すらも発見できなかった。

 玄関や廊下、台所も隈なく見てみたがやはり何も見つからなかった。時間の経過とともに焦りばかりが募っていく。


 離れは森閑しんかんとしていた。居間兼食堂を探してみるが、当然のごとく誰もいない。亜坂が窓を開けて外の空気を入れた。

「いないな」

 倉本が台所周辺を探しながら漏らし、千晴は痕跡がないかと室内を歩き回る。かすかに床の軋む音がしたが、ほんの一瞬それとは別の物音が頭上から聞こえた。

 家鳴りだろうか。足を止めて低い天井をじっと見上げる。おもむろに右の腕を上げて拳で軽く叩く。こつんと音がしただけだった。

 気にするのをやめにして千晴は意識を切り替えた。

「ちょっと聞きたいんですが、この離れはマーダーミステリーの作中で使う予定があったんですか?」

 シンク下の棚を見ていた倉本が振り返る。

「いや、ミスリードに使われるだけだ」

「ミスリード?」

「二日目の午後に、ここに犯人がひそんでいるのではないか、という話になるんです。開いていたはずのカーテンが閉じていて、怪しいと」

 亜坂がカーテンを半分ほど引いてみせ、千晴は合点がいく。

「犯人がここにいたように見せかけるんですね」

「そうそう。でもそうすると辻褄の合わない部分が出てくる。犯人の用意したミスリードだと気づければ、真犯人を当てることも出来るっていう」

 おもむろに倉本が立ち上がり、台所を見回す。

「ダメだな、何もない」

 千晴は引っかかりを覚えて倉本へ歩み寄った。

「何もってことは、ここで過ごせるようには出来てないんですか?」

「ああ、ここで使えるのはトイレだけだ。皿とグラスはいくつかあるけど、冷蔵庫には何も入ってないぜ」

「使えるのは電気と水道だけ、ってことですか」

「そうだな」

 何気なく倉本が蛇口をひねった。すぐに新鮮な水道水がシンクへ流れ出る。

 亜坂が室内を見回しながら言った。

「そういえば、所有者の方が離れはしばらく使ってないから取り壊そうとしてた、っていう話でしたね」

 倉本が水を止め、千晴は亜坂を振り返った。

「そんな感じですよね、あっちとはずいぶん雰囲気が違うし」

「本館はリフォームしたんだってよ、時代に合わせてな」

「なるほど」

 何らかの理由で、離れだけが昔のまま残されていたのか。

「となると、本当にしばらく放置されてたんですね。お風呂も故障中だし」

 言いながら廊下へ出ようとして、千晴は万桜がずっと入り口付近に突っ立っていたことに気づいた。何やらノートにペンを走らせており、不思議に思ってたずねた。

「万桜ちゃん、何してるの?」

「みんなの会話をメモに取ってるの。どんな細かい情報も書き留めるって、昨日決めたから」

 それよりも千雨を探してほしいと思ったが、万桜の目が真剣だったため口には出せなかった。


 離れで千雨を見つけることは出来なかった。千晴は慎重に客室を一つ一つ確認したが、床にはうっすらと埃が積もっていて誰かが入った形跡は見当たらない。ベッドは整ったままで、家具にも怪しいところはなかった。

 倉本と亜坂が聞いていたように、放置されていたことが事実として眼前に現れただけだ。

 あきらめて外へ出た千晴は、ふと思い立って離れの外周も見てみた。木造の古い建物だ。どこかに真新しい傷か何かがあるかもしれないと思ったが、結局何も見つけ出せなかった。

「本館の周辺も一応、見てみましょう」

 三人がうなずくのを確認して、千晴は本館の方へ向かった。裏から玄関へ回ろうと歩き出す。

 幸いなことに熊らしき影はなく、安心して目を配ることができた。

 昨日の暴風雨が嘘のように、地面はすでに乾き始めていた。雑草がところどころにあるばかりで足跡など残らない。何も無いというのはこういうことを言うのだなと思った時だった。

「お兄ちゃん!」

 後ろを歩いていた万桜が突然駆け出した。前方でしゃがみこみ、地面を指差す。

「これ、お姉ちゃんのシュシュだよ!」

 はっとして千晴たちも駆けつけた。

 地面に落ちていたのは見覚えのある淡いピンクのシュシュだ。金色の猫のチャームがついており、千晴はごくりとつばを飲みこむ。

「うん、たしかに千雨のものだ」

 そっと拾い上げてみると地面に接していた部分が汚れていた。軽くはたこうとして裏返すと、一部が赤黒く汚れていた。

 それを見た倉本と亜坂が短く悲鳴を上げる。千晴も手が震えたが、嗅覚の鋭い万桜はこわごわと鼻を近づけた。

「鉄っぽい匂いがする、血だ……」

 本物の血らしかった。

 激しい動悸がして今にも叫びだしたくなる。思考回路は勝手に嫌な想像をし、理性を追いやろうとする。

 千晴は感情的になるのをかろうじて抑え、そっとシュシュを握りしめた。これが千雨の血かどうかは分からない。落ち着け、早まるな……それらしき血痕けっこんなんてどこにもなかったじゃないか。

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