09:24 沈黙する居間

 千晴は何とも言いがたい気持ちになって目をわずかに伏せた。

 この窮地きゅうちを脱するには警察に連絡するしかないが、犯人がまた誰かを狙わないとも言えない。やはり一刻も早く犯人を見つけ出すしかなかった。

 沈黙が居間の空気を重くする。冷房は効いているはずだが、じっとしているせいでじわりと汗ばむ。

「大井さんまでやられたら、うちはもう終わりだな」

 円東があきらめた顔をしてつぶやいた。千晴たちはそれぞれに彼へ注目する。

「この中に犯人がいるんだろう? 部外者を殺したんだ、もう『劇団ルート66』は終わりにするしかない」

 たしかに劇団の未来は暗い。ただでさえ赤字続きだったのだ。存続させるには解決するべき問題が多すぎる。

 木野が涙をこらえるようにして円東をにらんだ。怒りと悲しみが入り混じった目だった。

「こんなことになるなら、もっと早く解散するべきだったんじゃないですか」

 彼女の言いたいことを察して円東は重々しくうなずく。

「ああ、お前たちには悪かったと思ってる。うちはもうとっくに行き詰まってたんだよな。すまなかった」

 深く頭を下げて見せるが、その行為が劇団員たちの溜めこんだ鬱憤を刺激した。

「遅すぎんだよ、おっさん」

 五十嵐が怒りと失望がないまぜになった声で吐き捨て、倉本が悲しみを含んだ声音で続けた。

「今さら謝られても意味がないんですよ。こんなことになってから後悔したって、もう桁さんや宇原は帰ってこないんです」

 円東は深く息を吸いこむと、重苦しく言葉を絞り出した。

「ああ。決断できなかったおれのせいだ」

「円東さんのせいじゃない」

 神谷がとっさに口を挟むと木野が反射的に返した。

「どう考えても円東さんが悪いでしょ?」

「落ち着け、今は不毛なことを言ってる場合じゃ――」

「だったら早く犯人探してよ! いったい誰が犯人なの!?」

 ヒステリックに叫び出す彼女へ、隣に座っていた亜坂が声をかける。

「木野さん、落ち着いて」

「無理よ! どうして亜坂ちゃんは落ち着いていられるの!?」

 言ってから木野ははっとした顔で腰を上げた。

「まさか、あなたなの? あなたがみんなを殺したの?」

 亜坂は目を丸くして言葉を失い、木野が千晴を振り返る。

「そうなんでしょ、千晴くん。犯人は亜坂ちゃんだったんだ。怪しいと思ってた。私たちに何か恨みがあるんでしょ。だから地下アイドルのくせにうちに入ってきたんだわ!」

「やめろ、涼花」

「早く捕まえて、翔吾くん! 絶対にこいつが犯人よ!」

 亜坂を指さす木野はすっかり混乱している様子だった。神谷が舌打ちして立ち上がり、落ち着かせようと近づく。

 伸ばされた腕を勢いに任せて振り払い、木野は「早くして! 千雨ちゃんを返してよ!」と叫ぶなり、廊下へ飛び出していった。

 拒絶された神谷は立ち尽くし、呆然としていた千晴は我に返ると亜坂を見た。できるだけ穏やかに問いかける。

「亜坂さん、大丈夫ですか?」

 小さくうなずいた亜坂だが、よほどショックだったようで蒼白い顔をしていた。

「ごめんな、亜坂。気にしなくていいよ」

 円東も優しく言ったが、亜坂は黙って首を振るだけだ。

 千晴は自己嫌悪に陥りそうだった。いまだ犯人が分からないせいで、亜坂を傷つけることになってしまった。早く終わらせたい気持ちから焦りが生じ、意識していないと思考が鈍ってしまいそうだ。

「神谷さん、木野さんがどこにいるか見てきてもらえますか?」

「ああ」

 神谷が足早に廊下へ出て行く。

 彼が戻るまでの間に千晴はたしかめた。

「昨日も言ってましたね。アイドルと俳優、両立してやっていきたいって」

「は、はい……」

「『劇団ルート66』に入ったのは、それだけの理由ですよね?」

 千晴の問いかけに亜坂は泣き出しそうな声で返す。

「もちろんです。千晴さんが所属していた劇団だから、わたしもそこで経験を積みたいと思って……それだけです。劇団の人たちに恨みなんてありません」

 万桜が怪訝な顔で千晴を見た。いつの間に亜坂と仲良くなったのかと不思議に思っているのだろう。

 妹の視線を無視して千晴は言った。

「そうですよね。僕は亜坂さんを信じます」

「あ、ありがとうございます……」

 多少は気分が落ち着いたようだが、顔は青白いままだ。

 すると万桜はそっと亜坂の隣へ移動した。

「お水か何か持ってきましょうか?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「そうですか。でも、お兄ちゃんといつ仲良くなったんですか?」

 千晴が無視をしたせいで亜坂へたずねることにしたらしい。悪手だったと思い、すぐに千晴は深夜のことを話した。

「夜中にトイレへ行った時、たまたま会ったんだ。それで少し話をしただけだよ」

「そうです。わたしが話をしないかと誘って、千晴さんに付き合ってもらったんです」

「……なるほど、分かりました」

 にこりと笑う万桜だが、亜坂のそばから離れることはない。おそらくは万桜も彼女のことを気に入っているのだろう。同時に千晴の下心にも気づいており、兄を取られまいという矛盾した心理も働いている。

 しかし、万桜は優しい子だ。妙な行動は起こさないだろうとも思った。

 話が一段落したところで、倉本が我慢しきれなかったように円東をにらむ。

「円東さん、この機会にちょっと聞きたいことがあります」

 立ち上がり、円東を手招きしてから食堂の方まで行く。こちらへ背を向けるようにして、倉本はこっそりとたずねた。

「ずっと引っかかってたんですよ。何でアイドルを入れたんですか? 客が増えると思ったからですか?」

 耳のいい千晴にはそれがはっきりと聞こえたが、亜坂の耳には入らなかったようだ。様子は変わらなかった。

 円東が困ったように息をつき「失敗だったけどな」と小さな声で答えた。

 やはり円東たちは亜坂のファンが客として来ることを狙い、オーディションに合格させたらしい。多少話題にはなったかもしれないが、千晴はまったく知らなかった。さらに現実は厳しいもので、チケットは半分しか売れていない。亜坂にファンを引っ張ってこられるほどの人気はなかった、ということだろう。

 千晴は悲しい気持ちになったが、アイドルとして亜坂が周りに埋もれるのは分かる気もした。ひかえめなのが彼女のいいところだが、言い換えれば自己主張が弱いことになる。それでは熱狂的なファンなどつかない。いつか彼女がその事実に直面した時、挫折しないでくれるといいが……。

 倉本が小さくため息をつき、低い声で毒づいた。

「彼女のためを思うなら、合格させない方がよかった。経歴に傷がつくだけです」

 そして元の場所へ戻っていき、円東はしばらくその場に佇んでいた。ふと息をついてから、先ほどまで座っていたところへ腰掛ける。表情は一段と重く沈んで見えた。


 戻ってきた神谷によると、木野はトイレにこもって泣いているという。

「何回も呼んだがダメだった。まったく反応してくれないんだ」

「そうですか。それじゃあ、落ち着くまで待つしかありませんね」

「ああ、あいつのことはしばらくそっとしとこう」

 どこか疲れた顔をして神谷がソファへ腰を下ろした。

 千晴は木野への心配を脇へ置いて、先ほどまでやっていた推理の続きを始めた。

「それじゃあ、話を戻しましょう。桁さんが殺害された時の状況についてですが、朝早くでしたよね」

 千晴はノートを前のページへとめくり、隣から神谷が視線をやる。

「桁さんは毎朝五時に起きてランニングをするのが日課だった。ここ数年、あの人は健康に気を遣っていたからな」

「ということは、彼が朝早く起きることをみなさんは知っていたんですね」

「ああ、もちろんだ。最初の打ち合わせの時に本人が話してた」

「犯人はそれを知っていて早起きし、彼を殺害した。よく眠れなかったとでも言えば、怪しまれることはなかったでしょう」

 千晴も眠りはしたものの、熟睡できたとは言いがたい。

「ですが、何故物置だったんでしょう? ランニングをするなら玄関へ向かうはずでは?」

 束の間沈黙し、神谷が答える。

「昨夜、スマホを入れた箱がなくなっただろう? その話でもしたんじゃないか? 具体的に物置のどこにあったはずか、とか」

「でも実際に物置へしまったのは亜坂さんです。それなら亜坂さんにたずねるか、その様子を見ていた倉本さんに聞く方がいい」

 神谷はそれもそうだなと納得し、亜坂がおずおずと千晴を見る。それから神谷へ視線を向けた。

「そういえば、凶器なんですけど……」

 千晴と神谷は同時に彼女の方を見た。

「台所にあった包丁が一つ、なくなってました。倉本さんが最初に気づいて……そうですよね?」

 投げかけられた問いに倉本は肯定を返した。

「ああ、なくなってた」

「どうして教えてくれなかったんですか?」

「ごめん、言うタイミングがなかったんだ。今の今まで忘れてた」

 怪しい返答だと思ったが、最初の事件で彼は容疑者から外れている。追求するかどうか迷い、千晴は神谷と顔を見合わせる。彼は両目を伏せて首を横に振り、話を進めた。

「そういえば、凶器の包丁がまだ見つかってなかったな」

「前回と同じように近くにあったものが使われていて、しかも台所には戻されていないとなると、物置の中にあるかもしれません」

「見に行ってみるか」

 神谷が立ち上がり、千晴は「みなさんはここで待っていてください」と言いつけてから彼を追った。

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