08:57 密室トリック解説中

「わたしも試したことあるんですけど、この方法だとテープが残っちゃうんですよね」

 万桜が実体験を元に言い、神谷は残っていたテープと扉のつまみとをまじまじと見つめる。遺体に気を取られていて気づかなかった。テープはどうやら口をふさいでいるものと同じもののようだ。

「雑だな。密室トリックはどうでもいいってわけか」

「そうとも言えませんよ。こうした場合、騒ぎに乗じてテープを回収するのが常道なんですが、それをするタイミングがなかっただけかも」

「けど、遺体はすぐそばにあるんだぞ。回収しようとすればすぐにバレる」

「うーん、それもそうですね」

 万桜はその場でしゃがむと、膝の上にノートを開いた。新しいページの隅に証拠品のテープを貼りつけておき、情報を書き記していく。

 千晴は部屋の中をうろうろと歩き回った。

 密室にしたのは神谷が言う通り、冷房で遺体を冷やして死亡推定時刻をごまかすためだろう。ついさっきの犯行なのか、それとも数十分前のことなのか、分からなくさせたというわけだ。

 それにしては雑だと思わずにはいられないが、前の二件と同じく被害者の口をテープでふさいでいることからして、バレることが前提だったような気もしてくる。

「それじゃあ、どうして大井さんはギャラリーに?」

 大井は千雨を探していたはずだ。あらためてここに残っていた人たちから事情を聞く必要がある。

 廊下にいる全員が視界に入るよう、千晴は部屋を一歩出たところに立った。

「情報を整理したいと思います。まず、僕たちが山荘を出たのは八時十分くらいでしたね」

 神谷が千晴のななめ後ろへ立った。

「ああ、そうだ。大井さんはその後、高津妹を探そうとすぐに居間から出て行った。それから木野と亜坂、倉本さんと巧人の順で出て行った」

「みなさん、自分の部屋へまっすぐ戻りましたか?」

 うなずいたのは木野と亜坂だ。

「もちろん、まっすぐ戻ったわ」

「わたしもです」

 一方で五十嵐と倉本は言う。

「オレたちは台所に寄った」

「ああ、朝食のサンドウィッチが一つあまってたんだ。もったいないから食べようって話になって、台所で半分に切ってから三階に向かった」

「時間は分かりますか?」

 彼らは戸惑いながら顔を見合わせた。

「たぶん、二十三分くらいじゃなかったですか?」

「そうだな。台所を出る前にちらっと時計を見たけど、針が四と五の間にあった気がする」

 千晴は神谷を見た。

「それで神谷さんはずっと居間にいたんですね」

「ああ」

 どこか投げやりに彼がうなずく。疑いを晴らしたいと言いながら、またもや容疑者になってしまったことにほぞを噛んでいるようだ。

「僕たちは土砂崩れで道が通れなくなっていたので、引き返してきました。戻ったのは三十五分くらいです。それから居間で神谷さんと話をしていたのが、だいたい五分くらいでしょうか」

 腕時計で現在の時刻を確認すると八時五十三分だった。

「ところで巧人先輩は、どうしてギャラリーに鍵がかかっていることに気づいたんですか?」

 注目が集まり、五十嵐は困惑しつつも答える。

「大井さんを探してたんだ。部屋でサンドウィッチを食いながら着替えた後、オレも千雨を探そうと思い立って」

「それでギャラリーの扉が開かないことに気がついた?」

「ああ、そうだ。嫌な予感がしたから、知らせなきゃって思って」

「おれが廊下を走ってきた五十嵐を見てる。ちょうど二階へ下りてきたところだった。どうかしたのかと声をかけたら、ギャラリーが変だと言うから、おれは三階に戻ってみんなを呼んできたんだ」

 円東の証言に納得して、千晴は神谷の方を振り返った。

「犯行が行われた時刻は八時十分過ぎから四十分の間で約三十分ですね。巧人先輩と倉本さんは二十三分まで台所にいたので、その後に犯行を行うとすると十七分しかありません。少々無理があるかと」

「待って、お兄ちゃん。首を絞められたら三十秒くらいで意識失っちゃうって聞いたよ。一分も絞めていれば完全に意識がなくなって、そのまま死んじゃうとか」

 どこか遠慮がちに万桜が言い、神谷はうなずいてから疑問を呈する。

「そうだな、実際の犯行は一分あればできる。だが、大井さんがここにいると何故分かった? 彼女は高津妹を探していたんだから、まずはどこにいるのか見つけなければならないだろう?」

「そうですね。見つけたその場で殺害し、ギャラリーへ運んだとも考えられますが」

「いや、それは無理だ。あの時は全員がバラバラに行動していた。他のやつも廊下を歩いていたかもしれないのに、そんなリスクの高いことをするか?」

「うーん、たしかに。それなら、大井さんは声を出してませんでしたか? 千雨の名前を呼ぶとかして」

 答えたのは亜坂だ。

「階段を上がっていくのは分かりました。でもそれだけです。特に声を上げたりはしてませんでした」

「足音もですか?」

「はい。少なくともわたしには聞こえませんでした」

「どこを探しているのか、ちっとも分からなかったわ。二階にいたのか、三階にいたのか、それとも一階に戻っていたのかも分からない」

 木野の話にうなずいてから千晴は再び遺体を見る。

「すると、やはり犯人はここに大井さんがいることを知っていたんでしょうか」

「どうやって知り得るんだ?」

「それは分かりませんが……」

 考えていると、ふいに床の一部に違和感があることに気づいた。

「これは?」

 しゃがみこんでフローリングをよく観察してみる。遺体のあった扉から数メートル離れたところに何かの乾いた跡があった。

「何だ?」

 近づいてきて神谷ものぞきこむ。千晴は床を指さした。

「ここ、何かが乾いた跡みたいじゃないですか?」

 両目を細めてじっと見つめ、神谷は観察結果を口にする。

「そうだな、よく見るとそこだけ反射具合が違うようだ」

「水、でしょうか」

「飲み物を持ちこんでもいいことになってはいたが、それならグラスはどこだ?」

 見渡してみるがグラスはない。ただ額装されたポスターが壁に並んでいるばかりだ。

「大井さんが水を飲んでいたなら、その前に台所へ行ったことになります。神谷さん、誰かが一階へ下りてきた様子はありましたか?」

「いや、ないな。誰も下りてこなかった」

「となると、水ではありませんね。無色透明の液体で他に考えられるのは」

 顔を上げると万桜と目が合った。今朝のことを思い出して千晴はひらめく。

「涙だ。大井さんはここで泣いていたんですよ」

「泣いてた? こんなところでか? 高津妹がいるわけじゃないのに?」

 神谷の疑問に千晴は頭を働かせる。

「何かきっかけがあったはずです。もしかすると、千雨に関係する何かがここにあったのかもしれない。つまり、犯人が罠を仕掛けていたんです。それを見つけて大井さんはこの部屋に留まった。そこを犯人は……」

「罠があったなら、巧人にもできたってことになるのか? でもその罠は回収されてる。くそ、全然進まないじゃないか」

 推理が進んだところで容疑者を絞りこむことは出来ない。神谷が苛立ち、千晴は立ち上がりながら言った。

「全然ダメですね。一度、居間に戻りましょう」


 被害者が三人に増え、いまだ千雨の行方が分からないこともあり、劇団員たちは大人しく居間に集まっていた。

「大井さんが殺されたのって、これだよね?」

 万桜は全員が見やすいように、ノートを開いてローテーブルの真ん中へ置いた。

 そこに書かれた文章を読んで神谷が眉間にしわを寄せる。

「犯人とニアミスしてたのか。警察が来る前に口封じとして殺されたってわけだ」

 動機について誰もが理解した様子だが、木野だけは怪訝けげんそうにした。

「でも、顔を見てはないんでしょう?」

「ですが、声を聞いています。後になって、誰の声だったか思い出すかもしれません」

「高津たちは警察へ向かったんだ。さっさと口封じしようと考えるのは、何もおかしなことじゃない」

 千晴と神谷の返答に木野は「そっか」と納得して、うつむき加減になる。

 テーブルへ置いたノートへ手を伸ばし、千晴は今朝のことを考える。

「大井さんが食堂でスマートフォンを探していたのが五時二十分頃。その時に桁さんが殺害される音を彼女は聞いています。そして犯人はシャワーを浴びた。返り血を落としたんでしょう。そこへ何も知らない千雨が行ってしまい、現在も行方不明です」

 時間にしてかれこれ三時間半ほどだが、姿が見えないと不安になる。特に大井は千雨を止めることができたにも関わらず、自分だけ逃げ出したことで責任を感じていた。

「探さなくていいのか?」

 神谷が気を遣うような口調でたずねた。行動を促すようなニュアンスも感じられ、千晴は隣にいる万桜へ目を向ける。万桜は今にも泣き出しそうな、不安げな顔をしていた。千雨の行方不明は万桜にとっても大きな心の負担となっているのだ。

「探したいです。でも、見つけるのが怖くもあります」

 千晴は希望と絶望の狭間で揺れていた。生存を信じたいが、すでに三人も殺されているのだ。

「……そうだな。妹の遺体なんて見たくないよな」

 神谷が顔をゆがめてつぶやくと、ふいに倉本が口を開いた。

「あー、その……さ。今回の公演やる前に、いくつかミステリーについて勉強したんだけど」

 千晴との距離を縮めるように前傾姿勢になる。

「小説とかだと行方不明の場合は生きてる、っていうのが定番らしいじゃん? だから……と思ったけど、ごめん。そんなわけない、よな」

 励まそうとしたらしいが、滑稽さを自覚したのか言葉をにごす。千晴より一回りも年上の彼でさえ、現在の状況には混乱していた。

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