20:47 食堂へ戻る

 食堂はにわかに騒然としていた。千雨と大井が立っており、他の人々は戸惑い顔で座っている。

「何があったんだ?」

 神谷が先んじてたずねると、大井の泣き出しそうな声が返ってきた。

「スマホがないんです!」

 千晴たちは呆気にとられた。

「スマホが? でも、さっきまでは持ってましたよね?」

 信じがたい気持ちを表情に出しながら千晴が言うと、千雨が説明した。

「つい五分くらい前にスマホがなくなっていることに気づいたの。千晴たちと玄関を見に行った時は持ってたから、廊下を探してみたけれど見つからなかったわ」

「そんな……食堂に戻ってからは、ずっとここにいたのに?」

「信じられないでしょうけど、本当にないのよ」

 千雨が困った顔をし、千晴は後ろにいる人々を振り返る。

「スマホがない、ということは……」

「犯人が盗んだんだろう。それしかない」

 神谷の言葉に五十嵐や亜坂が沈んだ表情を見せた。万桜も戸惑って兄や姉の顔を交互に見ている。

 千雨は腕を組み、ため息混じりに言った。

「それで身体検査をしようかどうかと話していたところよ」

 状況は飲みこめた。しかし木野が言う。

「身体検査って、服を脱ぐの? みんなの前でなんて嫌よ、私」

「そうですね、やるとしたら男女で部屋を分けましょう。男性は千晴が、女性はあたしが検査する。これでどうですか?」

 うなずく者はいなかった。誰もが疑心暗鬼になっていた。千晴にも懸念けねん点があるのだが、口にしていいかどうか迷う。

 すると倉本がおずおずと挙手しながら言った。

「あのさ、身体検査なんてしても意味ないんじゃないか? たぶん、もうどこかに隠してるよ」

 千晴は無言で首を縦に振った。

「そうだな。私も倉本くんと同じ考えだ」

 桁山も同意を示し、神谷が苦い顔をした。

「もし俺が盗んだなら、さりげなくどこかに隠すだろうな。食堂の中だったら、ほら、そこの棚の引き出しとか」

 と、小棚へ視線を向ける。

 千雨は歩いてその前まで行くと、二段ある引き出しを開けて確認した。中はどちらも空っぽだった。

「はあ、もういいです。でも、隠すとしたらどこに? 千晴、怪しいところはなかったの?」

 間仕切りのそばに立つ千雨へ、千晴は歩み寄った。

「ないよ。確認できるところは全部見た。でも箱も装置も見つからなかった。大井さんのスマホもだ」

 千雨は冷めきった目で兄を見つめた。

「そんなわけがないでしょう? あんた、ちゃんと探したの?」

「もちろん探したよ。離れだって神谷さんと巧人先輩が見てきてくれたんだ。けど、何もなかった」

 千雨こそまだ何も情報を得られていないのか、どうして大井さんのスマートフォンがなくなったのかと責めたくなる。ぐっとこらえてにらみ返していると、千雨がふと視線を外した。

「まずいわね、犯人が名乗り出てくれると助かるのだけれど」

 千雨にしては弱気な発言だ。千晴はびっくりして目を丸くしたが、一方で仕方がないような気もした。

 思えば本格的な殺人事件を仕事で扱うことは滅多にない。探偵として表立った仕事をするようになっても、まだ千雨に割り振られているのは素行調査だの迷子のペット探しだの、退屈極まりないものばかりだ。結局のところ、現実に起きた事件に千雨は対応しきれていないのかもしれない。

 千晴だって何も見つけられないとは思わなかった。さらには大井のスマートフォンまでなくなるなんて想定外だ。犯人がどんなトリックを使ったのか、まるで想像がつかない。

「それで、どうするんだ?」

 桁山が半ば呆れた調子で問いかけ、千雨は考えこむ。

「今日はもう解散にするしかないですね。あらためて探すにしても、みなさん疲れたでしょう?」

 木野がゆっくりとうなずき、桁山は返した。

「それがいいな。健ちゃん、行こう」

「ああ」

 円東が腰を上げかけたところで倉本が口を出す。

「待ってくださいよ。部屋に戻っても大丈夫なんですか? この中の誰かが犯人なんでしょう?」

 我が身を案じるが故に出てきた問いだった。

「僕も部屋へ戻るべきではないと思います」

 便乗して千晴も口を開いたが、千雨はすれ違いざまに冷たく返した。

「犯人が分からないんだからしょうがないでしょ」

「野放しにするのか? また誰かが殺されるかもしれないのに」

 とっさに声を大きくする千晴を、立ち止まった千雨は横目に見る。

「それじゃあ、現時点で怪しい人たちをどこかに縛って監禁する? もしもそれが冤罪えんざいで、真犯人が別にいたなら結局被害者は増えるわよ」

 言いながら髪を束ねていたシュシュを外し、左の手首へ着ける。金色の猫型のチャームが揺れて光を反射した。

「そうじゃないだろ。全員で一つのところに集まって過ごせばいいだけだ」

「悪いけど、あたしは現実的だと思わないのよね。だって眠ってしまえば、一緒にいないことと同じでしょう? もし犯人に睡眠薬でも盛られたら、結局犯行を防げないじゃない。交代で見張りをしてもいいけど、それで体が休まると思う?」

 落ち着いた調子で返す千雨に誰もが注目していた。一方の千晴が感情的になっているため、説得力が増して聞こえたことだろう。実に探偵役の似合う人である。

「そもそも次の被害者が出るかどうかも分からないのよ? あたしは集まって過ごしたところで意味があると思えない。だったら確実に体を休められるよう、部屋で過ごすべきだわ。鍵をかければいいだけだもの」

 千晴はどう返そうか一瞬迷って、どこかで聞いたような台詞を吐いた。

「ふざけんな、人が一人死んでるんだぞ!?」

 一年以上も芝居から離れていたせいか、アドリブが下手になっていた。千雨に内心で笑われている気がしたが、彼女はちっとも表情を変えることなく言う。

「じゃあ、どちらが現実的かどうか、多数決で決めましょうよ。各自部屋に戻るか、それともここで集まって過ごすか」

 千雨が食堂にいる全員へ視線をやりながら問う。

「部屋に戻りたい人、挙手をお願いします」

 おずおずと手が挙げられる。木野、大井、桁山、円東、五十嵐、亜坂の六人だ。もう結果は出ていた。

「もしこれで何が起きたとしても、あたしが悪いわけじゃないわよ。多数決で決まったことなんだから」

 後半を強調してから千雨は出て行った。

 立ち尽くす千晴を置いて、どんどん食堂から人がいなくなっていく。

「探偵のくせに無責任かよ」

 倉本が吐き捨て、神谷はこらえきれなかったように息をついた。

「現実的じゃないって言われたらな」

 本当にこれでいいのか、疑問は残る。だが、あの千雨がまだ犯人を当てられずにいるのだ。犯行を阻止するのではなく、様子見をする選択を取ったのだ。信じられない気持ちだったがどうしようもなかった。

 万桜が心配そうに見上げながら袖を引いた。

「お兄ちゃん、戻ろう」

「……うん」

 仕方なく千雨の指示に従い、今夜は部屋で過ごすことにした。


 自分の部屋へ戻ると急激な気持ち悪さに襲われた。隣の多目的室では宇原が死んでいるというのに、のこのこ部屋へ戻ってきたことに激しい違和感を覚える。

 千晴は窓際へ寄ってカーテンを閉めてから、ゆっくりとベッドへ腰を下ろした。

 大雨が降っているせいで湿度が高く、汗で肌がべたついている。雷はもう遠くへ行ったようだが、雨風は依然として強い。

 シャワーだけでも浴びようかと考えたが動く気にならない。

 隣の部屋からは千雨と万桜の声が聞こえる。声量を抑えているようで何を話しているかまでははっきりせず、ちっとも情報にならない。

 靴を脱いで体を横たえる。眼鏡を外して枕元へ置いた。両目を閉じると一気に疲れが出てきたようで、急に体が鉛のように重たくなった。

 誰が犯人なのか、千雨は本当に分からないのだろうか。見当はついていたようだが、証拠をつかめないのは何故なのか。

 いや、証拠ならあるはずだ。ジャミング装置を所持している人物が犯人だ。もしくは被害者の口に貼られていた梱包用の粘着テープ。両方持っていれば言い逃れはできない――が、荷物検査をすると言ったら多数の反感を買うだろう。特に女性陣は荷物を見られるのを嫌がるはずだ。犯人がそれに便乗すれば、また多数決で否決されてしまう。

 そうこうしているうちに、犯人がそれらをどこかに隠しているかもしれない。スマートフォンを入れた箱まで隠されているのだから、犯人はいい隠し場所を知っているに決まっていた。

 それではどうしたらいいか。

 やはり、様子見をするしかない。誰が見ても明らかな証拠を見つけて、犯人を指摘するしかないのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る