20:32 多目的室の捜索終了

 多目的室を探し終え、千晴は廊下で待っていた万桜へ言った。

「部屋に鍵、かかってるよね」

「うん、お姉ちゃんがかけてたよ」

「それじゃあ、僕たちの使っている客室にはないとして、次はギャラリーを見てみよう」

 廊下を進んでギャラリーへ向かう。明かりはつけっぱなしにされていた。入口から中をのぞいたが、絵画とパイプ椅子しかない。

 五十嵐が思い出したように中へ入り、パイプ椅子のそばに放置していた小道具のトートバッグを肩へかけた。薄汚れてはいるものの、生地は厚めのキャンバスでジッパー式だ。なかなかいいものらしいと推察された。

「探すまでもなさそうですね」

 ここにはないだろうと判断して千晴はギャラリーの電気を消した。

 廊下へ視線を戻し、向かいにある二つの部屋に目を留める。

「向かいが客室でしたよね」

「ええ、奥の部屋を大井さんが使ってるんです。なので、こっちは空室になってます」

 亜坂の説明を受けて、千晴は手近な扉へ近づいた。ノブへ手をかけると開いた。誰も使っていない部屋ほど隠し場所として最適なものはない。

 だが、当ては外れた。綺麗に整えられたベッドが二つとテーブルと椅子のセットがあるだけだった。

 大井の部屋を勝手に調べるわけにはいかないため、千晴は仕方なく廊下を戻ることにした。

 階段のところまで来ると、神谷が立入禁止のロープを少々乱暴に外した。

「三階も見るんだろう?」

「もちろんです」

 劇団員たちの寝泊まりしている部屋も残らず見る必要がある。千晴は先頭を切って階段を上り始めた。

 三階には多目的室の真上に三分の一ほどの面積のバルコニーがあり、その他はすべて客室になっていた。神谷がすぐに部屋割りを教えてくれた。

「右の部屋は、奥が木野で真ん中が亜坂、その隣が宇原だったな。で、男子は廊下を進んだ先。左の一番奥から桁さん、俺、巧人。右は奥から円東さん、倉本さんだ」

 女性の部屋を見るのははばかられたが、亜坂が「わたしの部屋なら見てもらってかまわないです」と申し出てくれた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて失礼します」

 千晴はやや緊張しながら室内へ足を踏み入れる。ベッドが一つと窓際にテーブルと椅子があった。一人部屋だからかだいぶ狭い。

 窓辺、カーテンの裏、ベッドの下、クローゼットの中などを見てみたが、収穫はなかった。亜坂が犯人である可能性が薄れ、千晴は心の中でほっとした。

 次に宇原の部屋を見たが何も見つからなかった。化粧品類の小瓶やケースがテーブルにずらりと並び、柔軟性と思しきにおいも混ざっていてくさかった。万桜はすぐに廊下へ出てしまったほどだ。

 その後は許可を得ずに桁山の部屋へ入るわけにも行かず、飛ばして神谷の部屋を見た。

 率先して神谷はベッドの枕を持ち上げたり、クローゼットを開けたりしてみせた。怪しいものは何一つ見つからなかった。

「当然だろ、俺は何も知らないんだ」

 部屋を出る間際、神谷がほっとした様子でつぶやいた。

 今度は隣の五十嵐の部屋へ入った。彼もまた率先して室内へ入り、肩にかけていたトートバッグを無造作にテーブルの上へ置いた。少し鈍い音が千晴の耳を刺激した。

 五十嵐は神谷がやったように、クローゼットを開けて見せた。

「どうぞ」

 横から千晴は中をのぞき見る。何もなかった。左右上下を見ても、空っぽのクローゼットだ。

 ベッドにも何も隠されていないのを見て取り、千晴はたずねる。

「ところで、あのバッグには何が入ってるんですか?」

 五十嵐は「ああ」と、トートバッグを開けて中から何かを取り出した。にこっと笑いながら振り返ったその手には台本があった。

「ずるいだろ?」

「自分で言っちゃうんですね」

 あいかわらずおちゃらけて見せる彼に思わず笑いをこぼす。ほんの少しだけ昔を思い出して懐かしくなった。右も左も分からなかった千晴を助けてくれたのは、いつも五十嵐だった。稽古でうまくできなくて苦しかった時も、彼がそばに来て笑わせてくれたのだ。

「あとは小物のノートとペンケースが入ってる。フリーライター役だからな、ノートパソコン代わりってわけだ」

「なるほど」

 千晴は納得して五十嵐の部屋を後にした。

「三階の客室にも鍵があるはずですよね?」

 廊下に出るなりたずねた千晴へ神谷が答える。

「あるけど使ってないな。このフロア自体を楽屋として使ってるから、部外者が入ってくることもない」

「それに何かあった時、すぐ連絡できるようにしとかないとまずいだろ? だから夜寝る時以外、部屋に鍵はかけないってことになってた」

 と、五十嵐も補足する。

「分かりました、ありがとうございます」

 いくつか見ていない部屋があるものの、千晴は後回しにしてもいいだろうと思った。それよりたしかめたいことが一つある。

「万桜ちゃん、このフロアで感じるものはないかい?」

「感じるって?」

「電波だよ。ジャミング装置は同じ周波数の電波を出すことで受信を妨害する仕組みなんだ。つまり、強い電波が出ていると考えられるんだけど、それを感じるかい?」

 万桜は廊下の端から端までを見渡すようにして首をかしげた。

「感じない、かな」

「そうか。じゃあ、ここにはないってことだね。ありがとう」

 千晴が階段の方へ足を向けると、後ろで神谷が不思議そうにした。

「電波なんて感じないだろ、普通」

「万桜ちゃんは敏感なんすよ」

 五十嵐が返すと、万桜は物怖じせずに口を挟む。

「けっこう分かるものですよ。あと、さっきは感じないって言いましたけど、少し前まではそれっぽいものがありました」

「マジかよ」

 万桜の能力を知らない神谷が目をみはる。

 口には出さないが、千晴も感じる能力は持っていた。ただ万桜よりは劣るため、意見を求めたまでだ。

「あとはバルコニーですかね」

 階段の雨で足を止め、千晴はガラス扉越しに視線をやった。

 バルコニーの様子は暗くてよく見えない。絶え間なく激しい雨が打ちつけ、強風で扉ががたがたと揺れている。雷光が一瞬バルコニーを明るく照らし、後から重低音が鳴り響く。開けるのはためらわれた。

 懐中電灯を持ったままだった神谷がガラス越しに外へライトを当てる。バルコニーに設置されたベンチが見えたが、それ以外に物が置いてある様子はない。

「なさそうだな」

「ええ、一階へ戻りましょう」

 階段を下りていく途中、万桜が「あとは離れしかないよね」と、誰にともなくつぶやいた。すぐに返事をしたのは神谷だ。

「お前たちはここで待ってろ。俺が見てくる」

 すると五十嵐も口を開いた。

「翔吾さん、オレもついてっていいすか?」

「かまわないが」

「やっぱ一人より二人でしょ。千晴もその方がいいと思うよな?」

「ええ、そうですね。お願いします」

 すでに濡れている神谷が外へ出るのをいとわないとしても、もしも犯人であれば一人で行かせるわけにはいかない。嘘の報告をさせないためには、誰かが一緒に見てきてくれた方がよかった。


 台所へとまっすぐに向かい、勝手口から神谷と五十嵐が出て行くのを見送る。風向きのおかげで玄関を開けた時と違い、雨が入って来ることはなかった。

 離れに明かりがついたのを確認し、千晴は扉を閉めた。まだ雷が鳴っているため、ついびくびくしてしまうのが嫌だった。

 近くの食器棚へ軽くもたれかかり、ふうと息をついたところで、亜坂がおずおずと声をかけてきた。

「あ、あの……こんな時にする話じゃないかもしれないんですけど」

「何ですか?」

 千晴が返すと、亜坂は表情を隠すようにうつむいた。

「ドラマ、見てました。SNSも」

「ああ、そうですか。ありがとうございます」

 そういえば彼女は自分のファンだった。千晴は気分が重くなるが、あの頃のように冷静な対応を心がける。

「昔の舞台も見られるものは見ました。演技が上手なのはもちろんなんですけど、なんていうか、舞台に立った瞬間に空気が変わるっていうか。とにかくすごいなって思ってて、その、ファンとしてだけではなく、俳優としても憧れだったんです」

 過去形で言われるのが一番辛い。横目に見た万桜はノートに何か書きこんでいた。

「そうですか」

「それで、えっと……」

 次に亜坂が何を言おうとしているか、千晴は予想がついた。どうして俳優をやめたんですか、だ。

 どう答えようか先回りして考えていると、勝手口が開いた。

「ダメだ、どこにもなかった」

 びしょ濡れになった神谷が言い、亜坂はすぐに「タオル持ってきます!」と廊下へ走っていった。

 五十嵐は結んでいた髪をほどいて頭を振る。細かい水滴がいくつかこちらまで飛んできた。

「トイレや風呂の中も見たけど、それらしいものはなかったよ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 離れにもないとなるともうお手上げだ。

 すぐに亜坂が二枚のバスタオルを持って戻ってきた。

「どうぞ、拭いてください」

「ありがとう」

「サンキュー、亜坂ちゃん」

 亜坂からタオルを受け取り、神谷と五十嵐が濡れた体を拭き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る