20:07 全員の事情聴取を終える

 円東と桁山を食堂へ戻らせてから千晴はたずねた。

「犯人は分かったのかい?」

 万桜のノートを見ながら千雨は返す。

「勘ではあの人だと思うんだけど、証拠がないから言いきれない。それに被害者の口に粘着テープが貼ってあったでしょう? あれは陰口を言っていた彼女の口を封じたい、という意味よね」

「うん、そうだろうね」

「でも最近、彼女が特に誰かとトラブルになっている様子はなかった。しかも経済的に安定していた様子だから、倉本さんが言ってたように陰口が落ち着いていた可能性もある。さらにはチラシやポスターを作ってたんだから、劇団にとって必要な人間だった。それなのに殺したってことは、まだ何かあるような気がしない?」

 千雨の言うように、陰口を言われたというのは動機としては弱かった。他にも何か理由があったはずだと考えるのは自然である。

「それじゃあ、もっと情報を引き出すべきだと?」

「ええ、そうしたいところね。だけど犯人しか知り得ないものかもしれない。かまをかけられるといいんだけど、残念なことにいい案が浮かばないわ」

 少々苛立っているようだ。千雨は左の親指の爪を噛みそうになり、直前で気づいてやめた。左手を膝の上へ下ろし、親指を包みこむようにぎゅっと握りしめる。

「千晴」

「何」

「あたしはあんたのことを信じてる。万桜ちゃんのこともよ」

 万桜も不思議そうに姉を見た。

「どういうこと?」

「大丈夫、万桜ちゃんは情報を書き留めることに集中して。あなたは立派なワトスンになれる」

 千雨は言いながらノートを万桜へ渡した。意図を察した様子で万桜はうなずく。

 千晴も薄々気づいていながら、呆れたように返した。

「それで何をしようとしているんだい?」

「言わなくても分かるでしょう?」

 じっと目を見つめられ、千晴はあえて素っ気なく返した。

「分からないよ、言ってもらわなきゃ」

 千雨は静かに深呼吸をしてからすっくと立ち上がった。

「馬鹿言わないでよ、あたしの邪魔をしないで!」

 万桜までがびくっとした。千晴は瞬時に確信して立ち上がり、不機嫌に言い返す。

「邪魔なのはどっちだよ。ここはやっぱり警察を呼ぶべきだろう?」

「もう少しで犯人が分かりそうなのよ!? 千晴の分からず屋!」

 言い捨てて千雨が食堂へ向かっていく。

 待機していた劇団員たちは何が起きたか分からず、ざわついていた。

「どうしたの、千雨ちゃん」

 木野が歩み寄ると千雨は答えた。

「何でもありません。あたしは勝手にやらせてもらうだけなので」

 それを聞いて千晴は万桜へ顔を向けた。――見え透いた演技でしかないのではないかという思いもあるが、自分たちが喧嘩をすることで劇団員たちの意識は多かれ少なかれこちらに向く。千雨はその隙を狙っているのだ。

「万桜ちゃん、外に出よう。車で遠くまで行ければ警察を呼べるんだから」

「えっ、でもスマホは?」

 話を聞いていたらしい桁山がすぐに食堂から出て行った。スマホをしまった箱を取りに行ったのだろう。

 しかし彼はすぐに手ぶらで戻ってきた。

「箱がない!」

 千晴は背筋がひやりとし、焦燥感を覚えながら駆け寄る。

「どこに置いてあったんですか?」

「物置だ。私が中の案内をしている間に、メイドが物置へしまう手はずになっていた」

 椅子に座っていた亜坂ががたっと立ち上がる。

「わたし、ちゃんと物置にしまいました!」

「ああ、俺もそれは見てる」

 倉本が証言すると、桁山はため息混じりに結論した。

「誰かが持ち去ったようだな」

 スマホがないのでは話にならない。千晴は慌ててたずねる。

「他にスマホを持っている人は?」

「いないよ。観客のスマホを取り上げておいて、私たちはスマホを使えるのでは不公平だから、全員あの箱にしまっていたんだ」

 すぐに千晴は唯一スマートフォンを持っている大井へ声をかけた。

「それでは大井さん、スマートフォンを貸してもらえますか?」

「ええ、一緒に行きます」

 さっとこちらに来てくれた彼女だが、誰ともなく「でも熊が」と声が上がった。

 建物から車までは少し距離がある。走ればすぐだが外は大雨で、辺りを照らす街灯などはない。もし近くに熊がいれば一大事である。

 神谷が物置へ飛んで行き、懐中電灯を取ってきた。

「まずはたしかめよう」

 千晴はうなずいて彼とともに玄関へ向かう。

 一方、千雨は冷めた顔をして出て行く人々を見送った。残った五人の様子をそれとなく目で探る。


 神谷が慎重に玄関の扉を開けて周辺を照らす。風が雨を連れて吹きこみ、千晴の眼鏡を濡らした。

 右へ左へと光を当ててみるが何も無く、ただ地面の草が暴風雨に揺さぶられているばかりだ。

「すごい風だな」

 後ろの方にいた五十嵐がつぶやくと、外が一瞬白く光った。

「雷っ」

 驚いた大井が叫び、神谷はとっさに扉を閉めた。体中がしびれるような低音が扉越しに鳴り響く。

「雨がひどいな。熊はいないようだが、車まで行くのにずぶ濡れになりそうだ。それでも行くか?」

 すでに彼は頭の先から靴の先まで濡れていた。わずか数十秒の間にこれでは、雨具を使わずに外へ出るのは無謀だろう。だが、レインコートの用意はなく、折りたたみ傘は車の中だ。

「それでも」

 千晴が言いかけると大きな雷鳴がピシャリととどろいた。すぐ近くに落ちたようだ。

 思わずびくっとして、手の平に爪が食いこむくらい強く両手を握ってしまった。万桜も驚いて腕にしがみついてきた。

「……雷、苦手なのか?」

 様子を見ていた神谷にたずねられ、千晴は苦笑いをする。

「い、いえ、そういうわけじゃ……」

「無理しなくていいぞ」

「すみません」

 千晴は肩をすくめてしょげて見せた。実は大きな音が苦手なのだが、いずれにしても、千雨は警察へ連絡することを望んでいないだろう。


 食堂へ戻ると、千雨は憮然ぶぜんとした表情のままだった。どうやら何も得られなかったらしい。

「熊がいたの?」

「いや、雨風がひどくてな。車へ行くだけでも大変だからやめることになった」

 と、神谷が代わりに答えてくれる。雷のことを口にしないのは優しさだろうか。

 千雨は馬鹿にするようにふんと鼻を鳴らした。

「どうせ雷を怖がったんでしょう? 千晴は弱いから」

 これまでに何度となく言われてきた言葉だがムカついた。千晴は眼鏡を外してシャツの裾で拭きながら返す。

「うるさいな。ジャミング装置を探してオフにすればいいだけだろ」

「じゃあ、探せば? ついでにスマホの入った箱も見つけてちょうだいね」

 いつの間に身につけたのか、演技に磨きがかかっているようだ。

 千晴はむすっとしたまま彼女をにらみ、眼鏡をかけながらくるりと背を向けた。

「探しましょう。誰か協力してくれると助かります」

 廊下へ出ると、先ほどとほぼ同じメンバーがついてきた。いないのは大井だけだ。自分にできることがなくなったのを悟り、食堂に残ることを選んだらしい。


 千晴たちが一階を捜索している間、千雨は残った人々へ話しかけた。

「何もしないというのも退屈ですし、少し話でもしませんか? もしくは先ほど話し忘れたことがあれば、聞かせてください」

 木野がうつむき加減になりつつ、千雨を見る。上目遣いになってどこか甘えるみたいにも見える。

「私はないけど……そもそも、あんまり彼女とは付き合いがなかったし」

「同感だな」

 と、うなずくのは倉本だ。

「俺もあんまりよく知らない。話せることは全部、さっき話したよ」

「そうですか。だったら、他のことでもいいです」

 誰も口を開かなかった。千雨が一人一人に視線をやっても、皆一様に難しい顔をして黙っている。秘密があるというわけではなく、何を話したらいいか分からないだけのようだった。

 千雨も口を閉じた。無意識に眉間にしわが寄ってしまうがかまってられなかった。わざわざ演技までして分断し、人数を減らしたというのに、これでは失敗に終わる予感がした。


 千晴の想定し得るジャミング装置の形状を共有し、一階を探したが見つけられなかった。千晴たちは迷わず二階へ上がった。

 まずは手近な多目的室へ入ってみる。明かりはつけられたままになっており、奥に見える遺体だけが異様な空気をまとっていた。

「無理はしなくていいです、入りたくなければ待っててください」

 そう声をかけてから千晴は先頭を切って奥へ向かう。多目的室にはボードゲームの並んだ棚がある。ジャミング装置はそれらの箱の後ろに隠されているかもしれない。

 遺体を見ないようにして棚の前へ立ち、上から順に見ていく。

 後から来た神谷が小さくうめいた。遺体を見てしまったようだ。だから無理はしなくていいと言ったのに……千晴は内心で呆れつつ、捜索を続ける。

 五十嵐はビリヤード台の周辺やカーテンの裏などを見ていた。

 千晴が棚の半分ほどを見終えたところで神谷がまた声を上げた。

「開くのか、これ」

 ちらりと目をやると、彼はテーブルを囲んでいたソファの一つを見ていた。座面が上がって中に収納スペースがあった。

 思わず歩み寄ってみたが神谷は首を横へ振る。

「ないな」

「そうですか」

 他の二つも見てみたがどちらも空っぽだった。いかにもありそうだと思って期待したが、簡単に見つかるわけがなかった。

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